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【3〜6時間あればok】ワルシャワ観光ガイド|おすすめ旧市街散策コース

ワルシャワ観光ガイド
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クラクフ市公認ガイドのカスプシュイック綾香(本名)です。2014年以降、ポーランド在住。ガイド・通訳業の傍ら、旅行や生活に欠かせないポーランド情報をお届け中!
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 ポーランド旅行での訪問都市はクラクフのみ、またはクラクフ&「ワルシャワは一泊しかしません」という方が非常に多いです!そこで、半日程度でサクッとワルシャワ旧市街を周れるおすすめコースを提案します。まずは、写真でメイン観光ルートに沿った見どころを紹介していきます

ポーランドの歴史
ワルシャワのネガティブイメージ
観光楽しむぞ

新世界通りからのコペルニクス像

ワルシャワ
ワルシャワ

 ワルシャワ旧市街観光はレストランやカフェが多く建ちならぶ新世界通り(ノヴィ・シフィアト)からスタート!この通りの始まりからひたすら北へ、約30分ほど歩いた先に王宮があります。途中、最初の観光スポットとなるコペルニクス像がある辺りからは建物が高くなり、クラコフスキェ・プシェドミエイシチェ通り(かつてワルシャワと古都クラクフを結んでいた道)という名前に変わります。
 
 ポーランドを代表する天文学者、コペルニクスの像は、19世紀の半ばの作品。第二次世界大戦中、ドイツ軍によって台座から投げ落とされましたが、とある村のゴミ置き場で発見され、修理後にまたここに設置されました。背後にある立派な建物はポーランド科学アカデミーの本部となっているスタシツ宮殿です(たまにコンサートが開かれる場所)

ニコラウス・コペルニクス

▼ 旧市街観光の出発地点はこの辺りから

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ショパンの心臓が眠る教会

ワルシャワ
ワルシャワ

 コペルニクス像に背を向けて左手に、立派な塔が2つある聖十字架教会があります。17世紀末に建設され、18世紀後半に現在のバロック様式の外観となりました。第二次世界大戦中、ここでポーランド民間兵とドイツ兵との激しい戦闘があり、北の塔は鐘を盗む目的でドイツ軍によって破壊されたため、教会そのものは1950年前後に再建されています。
 
 ミサをやっていなければ教会には自由に入ることができますが、お祈りしている方もいるので静かに見学しましょう。1850年頃、ショパンの心臓が入った瓶が教会内の地下室に納められ、真ん中左手の柱にはショパンの記念碑があります。コニャックに漬けられたショパンの心臓は2014年に調査されており、このときにショパンの直接の死因がおおよそ特定されています(結核に伴う心膜炎)

最大教派カトリックについて徹底解説

▼ 教会は日曜日はミサが多いので注意

あやか
ちなみに、王宮につづく道やその周辺に5つ以上のショパンの曲が流れるベンチがあるよ!

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国内屈指の名門、ワルシャワ大学

ワルシャワ
ワルシャワ

 ポーランドの名門大学といえば、ワルシャワ大学(QS世界大学ランキング262位)と古都クラクフのヤギェウォ大学!現在の学生数はおよそ5万人
ワルシャワ大学は、ポーランドがロシア、プロイセン、オーストリアによって不当に占領されて地図から消えていた19世紀にロシア皇帝・ポーランド王アレクサンドル1世によって設立されました。
 
 1818年に設立された当初の大学名はワルシャワ王立大学。大学はロシアの圧政の中で幾度も危機にさらされ、ポーランドの大学として名乗れるようになったのは1918年以降です。第二次世界大戦中は大学校舎の60%が破壊され、ナチス・ドイツによって閉鎖されるも地下大学としてもひっそりと運営されていました。キャンパス内には自由に入ることができ、奥のほうにショパン一家が暮らしていたカジミエシュ宮殿という黄色い建物があります。

ポーランドの教育システム

▼ ぐるっと散策してみるのもイイかも

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ポーランドいちの超高級ホテル

ワルシャワ
ホテル・ブリストル

 観光地じゃありませんが、ついでにポーランドで最も高級と言われるホテル「ホテル・ブリストル」を拝んでみましょう。シーズン中でも数ヶ月前から予約すれば一泊およそ850PLN(32,500円)から宿泊できるので現実的な価格帯。1901年にオープンし、ポーランド初のエレベーターが設置されました。個人的には、ワルシャワのホテルは中央駅に近いインターコンチネンタルを推しますが…(43階と44階の間にある室内プールは絶景で最高!)。
 
 第二次世界大戦中、およそ8割以上が破壊されたと言われるワルシャワ。しかし、このホテルの建物は奇跡的にもあまり被害がなく、ほぼオリジナルの姿を保っています。1918年のポーランド独立後には最初の政府による議会も開かれ、ホテルとしては創業120年以上の老舗。エリザベス女王やエドワード8世、J.F.ケネディ、モナコ大公など数多くの著名人が宿泊しており、伝統的なホテルならではの豪華な内装と重厚感は見ものです。とは言っても、宿泊者やゲスト以外は基本的には中に入れません

▼ ホテル前には高級車がズラリ…

あやか
一番高い部屋は日本円で30万円を超えるらしいから、やっぱ庶民には遠い存在やな…。

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大統領官邸&19世紀の英雄の像

ワルシャワ
ワルシャワ

 ホテルの隣には大統領官邸があります。17世紀、宮廷建築家の設計で軍司令官ヘトマン親子によって建てられた宮殿であり、その後は間もなく複数の貴族によって所有されました。18世紀末には議会も開かれており、この頃から政治的な場として機能しています。1818年、当時8歳のショパンが初めて公の場で演奏した場所としても有名。現在の姿は19世紀にさかのぼり、第二次世界大戦中はナチス・ドイツによって高級ホテルへと化していました。
 
 そして1955年、ワルシャワ条約(ソ連がNATOに対抗して結成した東共産圏の軍事同盟/1991年解散)が調印されたのもこの場所。また、1965年よりポーランドの歴代大統領が住んでいます。
建物前にある威風堂々とした男性の像は18世紀のポーランドの英雄、ユゼフ・ポニャトフスキ。最後のポーランド国王の甥であり、消えゆく祖国を守り抜くために軍人として奮闘しました。官邸から少し先に歩いたところには同じくポーランドの英雄である詩人アダム・ミツキェヴィチの像があります

ポーランドの英雄5人

▼ ミツキェヴィチ像の先に公共トイレあり

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聖アンナ教会の塔で市街一望

ワルシャワ
ワルシャワ

 大統領官邸あたりまでは重厚感ある建物も多いですが、だんだん街並みがカラフル&可愛らしくなってきます。建物の様式はルネッサンス中心。この辺りは気軽に入りやすい飲食店が建ちならぶエリアなので休憩するのも◎。王宮広場の手前、右手にある立派な教会は聖アンナ教会です。起源は15世紀半ばにさかのぼり、16世紀前半に今日とほぼ同じ姿で完成しました。第二次世界大戦中に屋根が二度焼失するも、装飾の多くは失われずに済んでいます。
 
 教会の隣には別で塔が建っています。壁で繋がっているのですぐ分かるはず。ここからワルシャワ市内が一望できるので、ぜひ上からの眺望を楽しんでください(10分ほど階段を上る必要あり)。北側はヴィスワ川と王宮広場を臨むことができ、南側はワルシャワ中央駅方面でオフィス街エリア。北と南でまったく違う風景です。5〜11月は平日10:00〜21:00・土日11:00〜22:00、それ以外の月は平日10:00〜18:00・土日11:00〜18:00が塔の営業時間となり、チケット料金は10PLN(現金のみ)。

ポーランドでよく見る建築

▼ 教会と塔の間にある広場もチェック

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いつも賑わっている王宮広場

ワルシャワ
ワルシャワ

 ついに一番奥の王宮広場に到着です。ここはイベントや路上パフォーマンスで賑わうところでもあるので、時間帯によってはかなり騒々しいかも…。
真ん中には高さ22メートルのジグムント3世ヴァザの柱(碑)が建っています。この柱の歴史は1644年にさかのぼり、この頃、ポーランドの首都はクラクフからワルシャワに移りました。ただしワルシャワ遷都の公的な文書は発行されておらず、一般的には1592年以降と見なされています。
 
 広場の西側には中世にさかのぼるレンガ造りの防御壁があり、東側には王宮があります。一見は王宮という風格でもなく、クラクフのヴァヴェル城とは似ても似つかない姿。しかし、中は豪華絢爛な内装を持つ部屋がいくつもあり、時間があればぜひ、チケットを購入して見学してみてください。城の起源は14世紀にさかのぼり、今日でも15世紀頃の部分と見られる断片があります。ポーランド分割真っ只中の19世紀、国王のコレクションはロシアによって略奪されてしまい、第二次世界大戦中はドイツ軍によって爆破されたりと被害が大きかったため、戦後に復元されました。1970年代にようやく再建が始まり、1984年から一般公開されています。

▼ 王宮見学の所要時間は80〜120分

あやか
ワルシャワの王宮はヴァヴェル城とちがって時間指定や枚数制限がないから入りやすい♪

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近代の愛国者の碑で溢れる大聖堂

ワルシャワ
洗礼者ヨハネ大聖堂の裏にある鐘

 中央広場へ向かって北西に伸びる聖ヤン通り(シフィエントヤンスカ)を歩いて行きましょう。間もなく、右手に大きな洗礼者ヨハネ大聖堂が見えてきます。第二次世界大戦中、ドイツ軍は大聖堂を爆破したために現在の姿は復元したもの。ワルシャワ遷都の16世紀末には王宮に付随する宗教施設と見なされ、18世紀には国王の戴冠式がありました。そして1791年5月3日、ヨーロッパ初の憲法を制定したポーランドはその宣言式をここで行っています。
 
 大聖堂の真後ろにはカラフルな建物が並ぶ小さな広場があり、そこに1646年に鋳造された鐘があります。設計上のミスにより本来の機能を果たすことなく、決して鳴らされることのない鐘として今日までここに置かれているとか。また、この鐘に触れて願いごとを心の中で唱え、鐘の周りを3回歩いて周ると願いが叶う…というジンクスがあります。一方で色恋沙汰の曰くつきの鐘でもあるため、知る人ぞ知る心霊スポットのようです(10月の最後の真夜中、ライバル同士の男性2人の霊が現れる)

▼ シンプルな主祭壇はヤスナ・グラの聖母

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クライマックスの中央広場へ

ワルシャワ
ワルシャワ

 大聖堂の建つ通りやその周辺にはたくさんのお土産屋さんやレストランがあります。人魚伝説のあるワルシャワ独自のユニークなお土産も目白押し。上の写真はカラフルな靴下ですが、パターンとして見られるイラストはポーランド国王、キュリー夫人、故教皇ヨハネ・パウロ2世、コペルニクスなど…。偉人を靴下にするとは恐るべし。ポーランド名物・琥珀のお店もたくさんありますが、宝石ならアットホームなトゥルクスがおすすめ(記事参照)!
 
 そうして歩いていると、ついに中央広場(昔の市場)へ。ポーランドの古い街にはほぼ必ず、かつての商人の家で四角く囲まれた中央広場があります。クラクフの中央広場は4ヘクタールに対してワルシャワは0.7ヘクタール。それでも絵になる美しさです。17世紀末あたり、この辺りの家と郊外の川辺あたりの家は60倍以上もの価格差がありました。
真ん中にあるのは人魚像。複数ある伝説の一つを紹介すると…、昔々、ワルシャワが漁村として栄えていた頃、2人の美しい人魚が住んでいました。しかし一人はバルト海へ航海の旅に出ます。そして、デンマーク海峡の岩を気に入りました。その人魚は今でもコペンハーゲンの港にある岩の上に座っています(あの世界3大がっかりの人魚か!)

▼ 冬はスケートリンクになっている場所

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復元の軌跡を知れるおすすめ博物館

ワルシャワ
ワルシャワ

 第二次世界大戦中、ワルシャワはドイツ軍の報復によって8割以上が破壊されたと言われています。統計的にはワルシャワにあった65万棟の住宅のうち20%が完全に使用できない状態にあり、また、957あった歴史的建造物のうち80%は破壊されていました。今日のワルシャワはポーランド全国民の努力と愛国心をかけて、何十年もの年月を経て復興した街です。そのストーリーをぜひ皆さんにも知っていただきたく、こちらの博物館を紹介します。
 
 かつて「東のパリ」とも称されたワルシャワ旧市街はどのように復元されていったのか…。豊富な写真と映像、実際に使われた道具や模型を通して学ぶことができるため、視覚だけでもなんとなく理解することができると思います。再建が本格的に始まったのは1946年以降。多額の財源が必要だったため、1948年に社会基金が設立され、ポーランド人の給与から0.5%が再建費用として引かれました。そうして完全な姿で見事に復元されたワルシャワ旧市街は1980年に世界遺産に登録されています

▼ 小さい博物館なので40分もあれば十分

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要塞に沿って歩いて王宮広場へ戻る

ワルシャワ
ワルシャワ

 いよいよ、私の解説もこれで最後です。
中央広場の北側にあるノヴォミエイスカ通り、あるいはクシベ・コウォ通りを通って、中世のワルシャワを取り囲んでいた防御壁跡の辺りまで行ってみましょう。壁跡沿いにはベンチがあり、人々の憩いの場となっています。特に目を引くのは16世紀半ばに建設された円形の要塞、バルバカン。現在のバルバカンは1950年代になって再建されたものですが、中世の防衛の名残をしっかり感じられます。
 
 バルバカンを過ぎて右手へ、壁跡沿いに歩いて行くと、マウィ・ポフスタニェツ(小さな反乱軍)という少年の像があります。その少年は大きすぎるヘルメットに迷彩服、靴を履き、肩にライフルを担いでいます。第二次世界大戦中、ポーランドでは老若男女問わず、ドイツ軍に対抗して民間人も多く戦いました。この少年の像は勇敢に敵に立ち向かった小さな英雄を讃えて設置されたものです。戦争における民間人死者数は、ポーランドはおよそ591万人、日本は80万人。そこから比較してもいかにポーランドが激しい戦闘地であったかが分かります

エニグマ解読

▼ バルバカンの内側はギャラリー

 
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 ここまでの観光、いかがでしたか?
私は古都クラクフの公認ガイドではあるものの、ワルシャワもごくたまにご案内する機会があります。しかし、どうしてもクラクフと比較して話しがち…。ワルシャワにはワルシャワの良さがありますが、やはり、伝統的なクラクフ推し!もっと色んなところを観たい方は▼の記事もお読みください

 

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あやか
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2件のコメント

pogsalila より:

ポーランドでは英語が通じるところもありますか?
私は現在イギリスに住んでいて、将来はポーランドに行きたいと思ってますが、ポーランド語は難しいです…、でも私は英語が喋れるので、英語が通じると嬉しいです

若いポーランド人の多くは英語を話すことができます。またワルシャワやクラクフといった観光地であれば、より英語を話すことに慣れている方が多いです。生活するとなればポーランド語を知っておいたほうがいいですが、旅行や短い滞在であれば英語のみでも特に困ることはないでしょう。

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