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ポーランドはこんな国

ポーランドはココにあるよ!
・EU加盟国では26ヵ国中6番目に大きい
・日本から九州と四国を抜いたくらいの面積
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ザッとポーランドの基本情報

Rzeczpospolita Polska
正式名称 ポーランド共和国
首都 ワルシャワ
言語 ポーランド語
主な信仰 キリスト教カトリック
合言葉 神・名誉・祖国
通貨単位 ズロチ/PLN
人口 約3,840万人
総面積 312,679平方キロ
平均寿命 男性74歳/女性82歳
追加情報:ポーランドの国歌について

 ポーランドの国歌「ドンブロフスキのマズルカ」は18世紀、国家存亡(後述)をかけてロシアと戦ったヤン・ヘンリク・ドンブロフスキ将軍に由来するもの。マズルカというポーランド民族舞曲のリズムにのせて歌われる、壮気にあふれたメロディが耳に残ります。作詞はドンブロフスキの親友ユゼフ・ヴィビツキによるもの。

聴いてみて!
(YouTube)

ポーランド語のアルファベットと発音の基本

◆こんにちは―ジンドブレ(Dzień dobry)
◆ありがとう―ジェンクイェン(Dziękuję)
◆さようなら―ドヴィゼニァ(Do widzenia)
◆おやすみドブラノツ(Dobranoc)

ポーランド語はスラブ語派といって、英語やお隣のドイツとはまた異なる種類の言語です。
ポーランド語に最も近いのは同じスラブ語派であるウクライナ語。例えば、ウクライナ語で「こんにちは」は「ドーブルィデーニ」と言います。

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1分でポーランドを説明

ポーランドは7つの国々と接し、広大な平原と豊かな自然をもつ中欧の国です。
日本人の多くがポーランドと言われて連想するのは、ショパンや映画『戦場のピアニスト』、2018年開催のサッカーワールドカップで日本と対戦したことではないでしょうか。

第二次世界大戦での悲劇や、ソ連衛星国としての暗いイメージもありますが、かつてはポーランド・リトアニア共和国として「ヨーロッパ最強の国」と呼ばれ、欧州の歴史に多大なる影響を与えてきたのがポーランドです。

首都ワルシャワに行けば、近代的な高層建築の多さや発展の規模に驚くことでしょう。
人気の観光都市である古都クラクフには、中世の街並や伝統、文化がそのまま残っています。

私はガイドとしてこれまでに多くの方々を案内してきましたが、ほとんどの方が「また来たい」と仰いますし、本当に数年以内に再会した方も数えきれないほどいっらしゃいます

ポーランドそのものの魅力もさることながら、西欧と比較してリーズナブルな物価や食事の美味しさも旅行者には嬉しいところ。
ポーランド人も日本に対して好意的な人が多く、旅行中に親切に助けてもらったとか、一緒に食事を楽しんだという話もよく聞きます。

ポーランドがマイナーな国かというとそうでもなく、今は互いの首都を結ぶ直行便も毎日就航し、搭乗率も高く絶好調なんだとか。

とにかく、百聞は一見に如かず。

当ブログ「ポーランドなび」を通してさらに興味や関心を持っていただき、皆さまがポーランドに来られることを願っております!

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歴史をサラッと説明すると…

966年の復活祭、ミェシュコ1世というポーランド西部に住んでいたポラニェ族の長は、ボヘミア公の娘、ドブラヴァと結婚したことを機にカトリックへと改宗しました。
改宗することでポーランドは国家として認められ、間もなく南や東へと勢力を広げていきます(初代国王は息子のボレスワフ1世)。

事実上クラクフへの遷都が行われたのは11世紀前半であり、約560年に渡って経済・文化面で大事な役割を担っていました。
ポーランドの黄金時代は16世紀と言われますが、全体を通して平和に統治されていたのはクラクフが首都だった頃と言えるでしょう。

ワルシャワへの遷都は1596年。
ポーランド王国とリトアニア大公国が共通の国王によって統治する共和国が誕生し、欧州最大の領土を誇る最強国家へとのぼりつめます。

しかし18世紀後半にロシア、プロイセン、オーストリアの三国に不当に占領(ポーランド分割)された結果、その後123年間、ヨーロッパの地図から消されてしまいました。

その間も愛国者は幾度となく独立を目指して戦い、またそういった祖国への強い想いがさらにポーランド文化を繁栄させ、実際に多くの文化人や芸術家らが当時活躍しています。

ようやくポーランドが独立を果たしたのは、第一次世界大戦後の1918年のこと。

新生ポーランド共和国の “建国の父” として知られるユゼフ・ピウスツキを中心に国家再生が図られ、新しいスタートを切りました。
同時に日本との国交も始まり、2019年、両国は国交樹立100周年を迎えています。

そして独立からわずか20年が経った頃、勃発したのが第二次世界大戦でした。

この大戦はドイツのポーランド侵攻から始まり、ソ連からも攻め入れられたポーランドはあっという間に両国に占領されます。
ナチスは旧ポーランド領に収容所を次々と建設し、ポーランド人やユダヤ人、その他の民族も強制労働やガス室で死んでいきました

現在、観光地として栄えるポーランドの歴史ある数々の街もドイツやソ連からの攻撃で破壊されてしまいましたが、多くは戦後ポーランド人たちの努力によって復元されています。

終戦後は40年以上もソ連の衛星国家として共産主義の支配を受け、またもや辛く長い時代に耐えなければなりませんでした。
民主化と自由を求めて反対運動が起こりますが、ソ連は国民への弾圧を繰り返し、カトリック教会との対立もますます激化しました。

そして1989年の東欧革命によって共産主義政権はついに崩壊し、ポーランドはようやく真の自由を掴みとることができたのです。

2004年にはEU加盟を実現。

21世紀に入ってからの経済後退は一度もなく、2019年も約4%の経済成長を維持しており、EUの中では2008年以降もプラス成長を記録し続ける唯一の国となっています

思い出の写真

7分で分かるポーランドの歴史!建国から社会主義脱却までの千年を総括

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ポーランドを代表する著名人

あなたは「有名なポーランド人は?」と聞かれて、何人思い浮かべられますか?

下記に紹介する5人がみんなポーランド人であることを知っていて、さらにどういった人物であるか説明できればバッチリ
実際にポーランドへ訪れるともっとたくさんの偉人がいることを知るでしょうが、まずは特に有名な人たちを押さえておきましょう。

ニコラウス・コペルニクス
1473〜1543

ポーランド西部トルン出身。地動説を唱えた天文学者として有名だが、カトリック教会の司祭でもあった。1491年から1495年、クラクフのヤギェウォ大学でリベラルアーツや天文学を学んでいる。人生の大半を天文研究に費やし、1543年に「天球の回転について」という本を出版した。
ちなみにガリレオは16世紀の人物であり、コペルニクスは彼のように宗教裁判にかけられていない。しかし地動説を確信した後も何十年と発表することができず、見本刷りされた本も臨終の間際に確認したという。

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フリデリック・ショパン
1810〜1849

ワルシャワ近郊のジェラゾヴァ・ヴォラ出身のロマン派ピアニスト/作曲家。日本人がショパン好きというのはポーランドでもよく知られている。ポーランドが地図から消えていた19世紀に生まれ、故国への想いを表した曲を多数制作した。人生の約半分を国外(主にパリ)で過ごし、遺体が埋葬されたのはフランスであるものの、心臓はワルシャワの聖十字架教会内の柱下に埋められている
代表作は『ノクターン』、『英雄ポロネーズ』、『幻想即興曲』、『別れの曲』など。

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マリ・キュリー(キュリー夫人)
1867年〜1934年

世界で初めてノーベル賞を二度受賞(物理学賞と化学賞)し、放射能研究のパイオニアとして知られる。彼女の時代、出身地のワルシャワはロシアの支配下にあった。ラジウムやポロニウムという放射性元素の発見はがん治療に大きく貢献し、第一次世界大戦中はX線装置で “負傷した兵士” を診断した。
19世紀、女性は男性のように大学で学んだり研究することは認められておらず、キュリー夫人が現代の研究者以上にただならぬ努力を必要としたことは言うまでもない。

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ヨハネ・パウロ2世
1920年〜2005年

第264代ローマ教皇であり、初めてのスラブ系教皇としてもポーランド人の誇り。本名はカロル・ヴォイテワといい、ヨハネ・パウロ2世は教皇の名である。クラクフから西へ約50キロのヴァドヴィツェ出身。若いときに両親と兄を亡くし、また大学時代は第二次世界大戦の真っ只中で過ごした。
戦後まもなく司祭となるが、当時カトリック教会はソ連の無神論政権によって弾圧を受けており、そんな中でヴォイテワが教皇として選出されたのは東欧革命の兆しとなった。世界各地で恐れずに平和を説き、宗教や信仰問わず多くの人々から尊敬されている。

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ロマン・ポランスキー
1933年〜

2002年の作品、『戦場のピアニスト』で日本でも広く知られるようになった映画監督。ユダヤ教徒の父とカトリック教徒の母(両親ともにポーランド人)をもち、パリで生まれた。3歳の時にクラクフへ引っ越し、第二次世界大戦中はナチスがユダヤ人を隔離するために設けたゲットーに住まわされる。母はアウシュヴィッツで殺された。
『戦場のピアニスト』はポーランド人ピアニスト、ヴワディスワフ・シュピルマンの壮絶な実体験を基に制作されたものだが、ポランスキー自身の戦争体験も重ねている。

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その他、ちょこっと豆知識

2018年時点でポーランドの人口は3,800万人ですが、その内の約97%がポーランド人となっています。またその中でも純ポーランド人とも言える西スラブ系が多くを占めており、実際にポーランドへ来てみるとアジア人や黒人といった外国人の少なさにビックリするかもしれません。最近はウクライナからの移民が増えてきましたが、彼らもスラブ系であるため見分けが付きにくいです。
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ポーランド国旗は上半分が白、下半分が赤という非常にシンプルなデザイン。インドネシアとモナコはポーランド国旗を逆にしたようなデザインでよく似ています。それぞれ縦横の比率が異なりますが、オリンピックでは比率が統一されるため、これらの国旗が近くにあると紛らわしいことに…?!
実はこれまでそういった案がまったくなかったわけではなく、当初は2012年からの導入を検討していました。ユーロ通貨を採用するためのマーストリヒト基準もほぼ満たしており、経済面でのハードルはほとんどありません。しかしギリシャの財政破綻危機や欧州債務危機を受け、当面は独自通貨ズロチ(ズウォティ)を維持することにしています。また導入するには憲法改正が必要となり、近年中にユーロに変わる可能性は低いでしょう。

2018年のデータによると、ポーランドへの日本人訪問者数は2018年で年間63,690人でした。ワルシャワと成田を結ぶ直行便が就航する前の2011年のデータでは、年間約4万人。まだ圧倒的に増えたとは言えないですが、当初は週3便だった直行便も1日1便となり、将来的には関空就航も目指しているとのこと。近いうちに10万人を達成できるかもしれませんね。

ポーランドに住む在留邦人は1,761人(日本人が40番目に多く住む国/2018年のデータ)となっています。その中でも定住者は500人に満たないと考えられ、多くは留学生や民間企業関係者及びその家族、また2015年に開始されたワーキングホリデー制度を利用している一時滞在者が大半を占めます。ちなみにお隣ドイツの在留邦人は45,416人だそうです。

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以上、ここまで読まれたあなたはポーランドという国を十分と把握できたはず。
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