これからポーランドへ行く方が知っておきたい情報

【ウクライナ支援活動報告】避難民140人以上サポート&お伝えしたい気持ち

MOST ウクライナ支援活動報告
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クラクフ市公認ガイドのカスプシュイック綾香(本名)です。2014年以降、ポーランド在住。ガイド・通訳業の傍ら、旅行や生活に欠かせないポーランド情報をお届け中!
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 任意団体MOST代表として、ウクライナ避難民&物資支援を始めてもう2年。
私が未だに細々とこの活動を続けられているのは紛れもなく、皆さまの温かい応援、励ましのお言葉、ご支援とご協力があるからです

ありがとうございます

 当初の立て替え費用は合計数百万円相当、それでも「妻がやりたいことは全力で応援する」と懸命に支えてくれた夫にも感謝。
幼い娘がいる私にとっては特に、夫の理解と協力がなければここまではやれませんでした。

 今では限られた状況の中で支援を続けていますが、ここ数年の自分の精神面における成長は大きく、一生のお付き合いになるであろう方達と出会えたことにも意義を感じます
これからも、私を信用してくださる方と無理のない支援を続けていきたいと思っています。

ウクライナ避難民支援 MOST

MOSTがサポートした避難民の数
2024年2月現在 146人
 
支援金総額
224,360PLN
支援金用途はこちらをご覧ください

 

 
ウクライナ支援

ウクライナ支援 ウクライナ支援

MOST の詳しい活動経緯

2022年2月24日ー
この日、隣国で戦争が勃発しました。そしてあっという間に100万人以上もの避難民がポーランドに押し寄せたとき、自分には何が出来るか考えました。避難民の多くが子どもを連れた女性であり、幼い娘を持つ私には他人事と思えなかったのです。
さらに2013年、国際政治や紛争問題に関心を持ち始めた私は数週間かけて旧ユーゴスラビア諸国を訪れ、ユーゴスラビア紛争の爪痕を見てきました。戦後10年以上と経っても爆撃の跡がまだ残り、道路には瓦礫が積み上げられ、窓が割れた建物に住む人々もいました。衝撃を受けつつ、学生で旅行者だった自分には何も出来なかったー でも、今は出来ると思いました。
 
2022年3月16日ー
日本政府がウクライナ避難民の受け入れを表明したこともあり、この日、FBの支援グループで「日本人として、日本に関心のあるウクライナ避難民を日本に退避させるための支援を行なう」と表明しました。(あとあと翻弄するものの)避難民を受け入れると宣言した日本の迅速な対応には素直に感銘を受け、思い立ったが吉日と言わんばかりに書き込んだのです。
すると、2,415件のリアクション、542件ものシェアがあり、手探りの支援活動が始まりました。幸いにも活動を始めて間もなく、テレビ朝日のANNニュースで放送されたことで身元保証人・空室提供の申し出を多く受け、寄付金も集まりました。その後、テレビ大阪「やさしいニュース」、NHK東海ニュース、NHK「日曜討論」に出演して支援の必要性を訴えました。
 
2022年4月18日ー
この頃はまだ任意団体すら掲げておらず、どのように “必ずいるはずの” 日本へ退避したい避難民を見つけていくかが課題でした。そして支援活動を始めて1ヶ月ほど経った頃、ウクライナ学生支援会(JSUS)に連携の提案を申し出ました。
JSUSは日本語学校の有志グループであり、過去にシリア難民を受け入れたパスウェイズジャパン(PJ)とも連携し、日本に避難したウクライナ避難民に対して日本語・高等教育の無料提供を行っています。3月末時点で300件以上もの問い合わせがあったそうで、当初は、支援会が対応しきれなかった避難民を私たちのほうで救うことができればと思って問い合わせました。間もなくJSUSとPJとの連携が始まり、ポーランドを経由して日本へ退避する若い避難民を支援することになりました。
 
パスウェイズジャパン(PJ)
ウクライナ学生支援会(JSUS)

 
2022年…MOSTのサポートで15名、学校・団体連携で120名以上の避難民支援。総額4,344PLNの物資支援、金銭支援。ミュンヘン日本人学校で講演。
2023年…MOSTのサポートで5名、学校・団体連携で5名の避難民支援。総額16,147PLNの物資支援。6月にメディカから陸路でウクライナのシェヒニへ。
2024年…学校・団体連携で11名の避難民支援中。避難民支援、物資支援の継続。復興支援計画中。

ウクライナ支援
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どんな避難民支援をやってるの?

 活動当初からのMOSTのメイン活動は避難民支援であり、今も継続しています。基本的には、もとより日本に関心のある避難民を対象として支援しており、これまでにMOSTが個人的に送った避難民は全員、今も日本で生活をつづけています。
2022年3月の活動開始以来、20人以上もの避難民がMOSTにヘルプを求めてきました。こういった人たちは、何らかの支援がなければどこにも行く当てがありません。
 
 避難民支援の大まかな順番としては、身元保証人探し(身元保証人がいなければビザを申請できません)→日本での一時受け入れ先の選定→ビザ申請→発給後に片道航空券購入→渡航→速やかに住居確定→定住支援…という流れになります。
もちろん、一筋縄にはいきません。日本側のことは日本のサポーターや身元保証人の方々、行政の方々と話を進めていきます。また、ポーランド側の具体的な支援としては、私が日本渡航までのポーランドでの滞在先を探し、ビザ申請の書類作成を行います。無事にビザが発給され、一時滞在先が決まれば片道航空券を購入します。
 
 このボランティア活動を通して、本当に多くの避難民に感謝のことばをいただきました。綺麗事でもなんでもなく、それが一番の報酬です。「命を守ってくれてありがとう」、「人生を変えてくれてありがとう」ー。MOSTがここまで支援できるのは紛れもなく、日本で同じくボランティアとして手伝ってくださる方々、身元保証を受け入れてくださった方々、そして寄付金のおかげです。すべて私ひとりではなし得ないことであり、それは避難民の皆さんもよく理解しています。日本での生活は決して楽ではなく、むしろ退避してからがスタート。壁にぶつかりながらもそれぞれの生きる道を模索していますが、日本へ来たことを後悔しているようすはありません。

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ウクライナ支援
ズラータ

 

最初に支援した避難民レナ

 2022年3月19日昼過ぎ、当時22歳の避難民女性レナから「あなたが日本に避難したいウクライナ人を支援していると友人から聞きました。本当ですか?」というメッセージが届きました。私が決意表明をして3日後の出来事。このレナとの出会いは、私の支援活動を日本のメディアを通して周知させるきっかけになりました。
 
 3月25日、彼女が一時退避している街のカフェで待ち合わせしました。このとき、私のTwitterを見たテレビ朝日に取材を申し込まれており、取材クルーの皆さんとカフェへ向かいました。レナはとても内気な女性で、まさかメディア出演をOKするとは思っていなかったのですが…。
おそらくレナには「断りづらい」というプレッシャーもあったのでしょうが、結果的にはこのメディア出演が彼女の人生を大きく、良い方向に変えるための転機となりました。私が送った避難民の中で最も運がいいのはレナで、今は熊本市で大好きな動物たちと触れ合いながら動物看護師(なんと国家資格)を目指してお勉強中です。
 
 レナとの出会いは特別。そもそも彼女とのメディア出演があったからこそ、多くの寄付金を集めてほかの避難民を支援することもでき、また大量の物資をウクライナへ送ることが出来ました。私を見つけて取材してくださった朝日さんにも感謝していますが、レナの決意も大きいです。
もっと振り返れば、私の決意表明そのものが、レナ含め多くの避難民の運命を大きく変えることになりました。やってみないと分からない、直感を信じろ、これが自分のモットー。これからも、「人にしてもらいたいと思うことはなんでも人にする」という気持ちを忘れずに生きていきたいです。

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ウクライナ支援

 

物資支援も大切なサポート

 物資支援に関しては、歳も近いエミさんとカナコさんとの出会いがまず印象に残っています。もともとはお客さまでしたが、私は「ウクライナへ送るためのカイロを持ってきていただけないか」とお願いしてみることに…。すると想像以上の量を持ってきてくださり、また、支援にも積極的に関わりたいと言ってくださいました。
そして帰国後、なんと、お勤めの会社を巻き込んでまとまった額の支援金を寄付してくださったのです。避難民や支援の話になると目に涙を浮かべて耳を傾けてくださって、私以上にエモーショナルかもしれません。お二人との出会いに心から感謝!
 
 また、2023年春頃、私はワルシャワにある支援団体に物資を送り始めました。その団体はドイツ人とウクライナ人の夫妻が運営しており、ウクライナに多くの物資を自分たちで届けています。私と初めて会ったとき、私の話を聞きながら奥さんのレシアさんは号泣。そしてウクライナの現状を切実に教えてくださいました。
ー戦争勃発から半年ほどは多くの人々から支援をもらっていたが、今では2000社にヘルプを求めても実際にまともに返事してくれたのは数十社のみ。私はそれを聞いて驚きました。ウクライナは世界のために戦っているというのに、もうみんな忘れてしまったのかと。お金や物を出せと強要しているわけじゃない、せめて、関心を持ちつづけることは出来ないんだろうか?
 
 苦しんでいるのはウクライナだけではありません。見渡せば、南北問題はじめ多くの国が戦争や貧困に喘いでいます。私もこういった活動をしながらも、世界中の人々を満遍なく救うことはできません。
貧困がなくなりますように、すべての子どもたちが教育を受けられますように、適切な医療を受けられますようにー。よく聞く言葉ですが、私は性格もあってこういうことは表立っては言わないです。でもそう願う心は大切だし、そういう気持ちがいつまでも人の心にありつづけることを望んでいます。そのために行動できるような人になりたい、社会情勢にずっと関心を持ちつづけたい、そう強く思っています。

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ウクライナ支援

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オイスカ開発教育専門学校の支援

 MOSTの避難民支援は主に2パターンあり、一つはMOST独自による支援、もう一つは他の団体・教育機関によって受け入れられた避難民がウクライナ〜ポーランドにいる間のみサポートするという支援(=ポーランド滞在中のお世話、滞在先確保、ビザ申請書類作成とチェックなど)です。後者も決して楽ではなく、なかなかスムーズにいかないことも多々あります。みんな若いですし、人数が多いと避難民同士がケンカすることもありました。笑
 
 基本的に受け入れ先の学校や大学と私が連絡を取り合うことはないのですが、たまに直接お礼の言葉やご報告をいただいたりと、ちょっとしたやり取りはありました。しかし、中でもこれまで5名の避難民を受け入れてくださった静岡にあるオイスカ開発専門学校さんとは長くお付き合いさせていただいております。2023年1月に東京で開かれた、団体によるパーティーで初めて顔を合わせましたが、避難民の女の子たちの笑顔がとっても素敵!!
もうそれだけでこの学校がどれだけ素晴らしい支援をされているか伝わってきました。最近、日本語がかなり上手なヴィーラは運転免許を取得したとのこと。他の子たちもバイトをしながら着実に日本語力を伸ばして自活を目指しているようです。
 
 そんなオイスカさんが受け入れた5人目の避難民、オレシアと連絡を取り始めたのは2023年8月あたりでした。彼女はすでにポーランドに何年も住んでいたので厳密には避難民ではなく、それもあってかビザは発給されず…。落ち込んでいたところ、オイスカさんは他の在留資格で日本に招くことにしました。そのためにはMOSTとオレシアの関係を示さねばならず、任意団体であるMOSTは役に立たないのでは?という懸念がありました。しかし、なんと無事にビザは発給され、もうすぐ日本へ行くことができます。本当によかったです!
 
近況報告2023年9月号
近況報告2024年1月号
オイスカさんの支援がよくわかるページ

▲クラファンサイトですがすでに終了しています

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ウクライナ支援

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心から尊敬する人々との出会い

 この支援活動において、私の最高の相棒は千葉県在住のケントさん。お互いにこの活動が唯一無二の経験であることを噛みしめています。ケントさんは活動当初から私とともに多くの時間をこの活動に捧げ、フットワークの軽さを活かして都内を走り回ってくれ、離れたところにいながらも二人三脚で避難民を支援してきました。本当に、ケントさんがいなければ私はこんなにもの避難民を安心して日本へ送ることはできなかったし、いつも感謝しています。
 
 ナオさんファミリーとの出会いもかなり刺激的でした。いきなり目の前に現れ、「あなたの支援活動を知って、あなたに会うためにポーランドに来ました!」と、私に言うのです。最初はただびっくりしました。ナオさん親子がポーランドへ来た頃、私のもとには何人ものヘルプの声が届いており、避難民についてzoomでの打ち合わせも多く、猫の手も借りたいほど忙しかったです。しかし個人情報を扱うので簡単に人に頼める作業ではありません。
そこでナオさん親子は私の家に来てご飯を作ってくださったり、娘のお世話をしてくれました。最終的には避難民家族の身元保証人になって日本へ帰りましたが、もう、ナオさんファミリーにはハートを持っていかれたような気分。こんなに素晴らしい心を持った家族がいるのか、家族でこんなに人のために捧げられるものなのか…。
 
 出会いに関しては、もう言い出せばキリがありません。どの出会いも素晴らしくかけがえのないもので、一時帰国するたびに会いたい人がたくさんいます。心を豊かにして生きていけるよう、こういった方々とはいつまでも繋がりを持ちたいです。
また、私の仕事においても特別な出会いや体験は数えきれないほどあり、関係がつづいている人も多く、ポーランドに来てから人生の経験値が一気に上がりました。まだ私がポーランドのマサラタウンにいた頃、こんなにもの良き人々に恵まれた自分を想像できただろうか。と思うと、私をポーランドに連れ去った夫に感謝ですね

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ウクライナ支援

ウクライナ支援 ウクライナ支援 ウクライナ支援

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 MOSTの支援活動について、ここまで読んでくださってありがとうございます。
そしてたくさんのご支援やご声援をいただいていたにも関わらず、報告が今さらとなってしまったことには申し訳なく思っております。

 MOSTは任意団体なので資金的にもやれることに限界はありますが、今後は特別目的会社を設立して復興支援を目指す予定です
あくまで予定であり模索中ですが、興味がある方がいらっしゃったらぜひご連絡ください

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あやか
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6件のコメント

足立和寛 より:

クラクフなどでの観光をご支援いただいた後も、ポーランド🇵🇱のことをもっと知りたくてブログを拝読してきましたが、ウクライナ🇺🇦の方々にご支援されている様々なこと、周りの方々の温かいご支援のことの多くを知り、とても感動しました。
私も「社会情勢に関心を持ち続け」、限られてても、少しでもご支援できることがあれば、それをやり続けたいと感じました。
ウクライナ🇺🇦へのご支援、ポーランド🇵🇱のこと、これからの発信をとても楽しみにしています!

コメントありがとうございます!
ポーランド旅行後もこうしてブログを読んでくださって本当に嬉しいです。滅多に更新しないブログですが…。足立さんがたくさん持ってきてくださったカイロ、郵便局から一緒に送ったのが懐かしいですよね。あれからも日本から船便で送ってくださり、継続的なご支援に私も励まされています。一人でやっているわけじゃないからこそ、ここまで続けることができています (^ ^)
これからもどうぞよろしくお願いします!

仲野 より:

たくさんの報告ありがとうございます‼️
綾香さんの支援活動には頭が下がります。
私からはほんの少しの支援しかできませんが、綾香さんの仰るように関心を持ち続けることが大切だと思います。レナさん、テレビで見たことがあります。多くの方々がつないだ命なのですね。これからも応援しています‼️

コメントありがとうございます。
ほんの少しの支援でも、集まればこれほどまでに大きな支援となります。自分でも驚くほど、たくさんのウクライナ人を日本へ安全に退避させることができました。レナもズラータも、日本へ退避したウクライナ人の中ではすっかり有名人です。いつかはウクライナに戻り、日本とウクライナの架け橋になりたいという人もいます。隣国のことだから、というのもありますが、ウクライナのニュースはいつもチェックしています。これからも私なりに支援していくので、どうぞよろしくお願いします。

トンケ より:

( ´∀`)人(´∀` )

((( ;゚Д゚)))

。゚(゜´∀`)゜。

うさぎスタンプに慣れてたから、久しぶりのこれは懐かしい。笑

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