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ショパンを生んだポーランドの音楽史が面白い!オペラとポロネーズも紹介

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クラクフ市公認ガイドのカスプシュイック綾香(本名)です。2014年以降、ポーランド在住。ガイド・通訳業の傍ら、旅行や生活に欠かせないポーランド情報をお届け中!
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この記事の内容
 ポーランドといえばショパン!と言う日本人は多いでしょうが、ポーランド人からしても日本人といえば大のショパン好きで知られています。しかしショパンに限らず、ポーランドは、世界中に名を馳せる数々の音楽の天才を生み出していることをご存知でしょうか。
 
 当記事ではポーランドの音楽史を建国時の千年以上前からさかのぼり、著名人はもちろん、近代に発展したオペラや民族舞曲といった音楽文化を分かりやすく紹介していきます!動画で音楽を聴くこともできるので、時間に余裕のある時にじっくりお読みください♪
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弾き語りうさぎ
この記事の目次
3分で分かるポーランドの音楽史
著名なポーランド人音楽家
ポーランド独自のオペラ文化
民族舞踏 ポロネーズとマズルカ
この記事のまとめ
【さすがショパンの国】ポーランドの興味深い音楽豆知識とイベント一覧


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3分で分かるポーランドの音楽史

教会のオルガンまずはポーランドの音楽史を建国時の10世紀頃からさかのぼって紹介します。
先にポーランド史をざっくり知っておくと、よりイメージしやすいかもしれません。

7分で分かるポーランドの歴史!建国から独立まで

 

10世紀頃
ポーランド王国初期

ポーランド最古の歌(民謡)は “Ojオイ Chmieluフミェル, Chmieluフミェル“(ああ、ホップ、ホップ)という、ポーランド語で書かれた結婚式の曲。「ホップ」はビールの原材料のホップを指す(ウォッカは12世紀頃から登場)。966年のポーランド建国以前からあった曲とされ、19世紀初頭まで一般的に歌われていた。

ピオトル
“oj chmielu, chmielu” は地域によって色んなバージョンがあり、歌詞も異なるようです。ただこの曲の名を知っているという人は、今はほぼいないだろうな…。現に僕も初耳です。
13〜15世紀初頭
宗教音楽が盛んとなる

民謡ではないポーランド最古の音楽は、ポーランド南部のNowyノヴィ Sączソンチ という町で見つかった聖歌の楽譜(ノートルダム楽派の影響を受けたもの)となる。また、同時期に宗教音楽 “Bogurodzicaボグロヂツァ“(神の母)という聖歌が作曲された。ポーランド最初の国歌という位置づけであり、1410年の「グルンヴァルトの戦い(ドイツ騎士団vsポーランド•リトアニア連合軍)」でも歌われている。

12世紀半ばころからほぼ1世紀にわたって,パリのノートル・ダム大聖堂を中心に栄えた中世ポリフォニー音楽の楽派。それまでのポリフォニー音楽がグレゴリオ聖歌のリズムに準じていたのに対し,長短の音符の組合せによって3拍子を基本とする厳格なリズム体系を確立して音楽史に画期的な革新をもたらした。
        出典: コトバンク

15〜17世紀(ルネサンス)
クラクフで宮廷音楽が繁栄

当時の首都クラクフを拠点に、ヴァツワフ・シャモトゥルスキ、ミコワイ・ジェレンスキ、ミコワイ・ゴムウカ、ディオメデス・カトーら宮廷音楽家がポーランドの宗教音楽を発展させる。シャモトゥルスキは「もし長生きしていれば、イタリアのジョヴァンニ・ダ・パレストリーナを羨む必要はなかったであろう」とも言われた人物(パレストリーナは「教会音楽の父」と呼ばれる)。

ピオトル
僕は聖歌隊に所属していたので、ディオメデス•カトー(ポーランドに帰化したという純イタリア人)以外の曲は歌えます!ジェレンスキの「オフェルトリム集」は特に有名。
17世紀前後(バロック)
オペラがポーランドに浸透

当時のポーランド国王ジグムント3世(在位1587-1632)とヴワディスワフ4世(在位1632-48)が多くのイタリア人音楽家を宮廷に招く。ヴワディスワフ4世は17世紀初頭のイタリアで生まれたオペラを、最初にポーランドに広めた人物。欧州旅行中、フィレンツェで鑑賞したオペラを大変気に入り、1628年に私財を投じて初のオペラをワルシャワで上演した。一方、ポーランド人音楽家もバロック音楽の作曲に力を入れた。

ピオトル
イタリア国外でオペラが上演されたのはポーランドが最初。貴族の間で流行し、ポーランド人音楽家もオペラの作曲を試みました。ちなみにポーランドのオペラといえばワルシャワ室内歌劇場が人気で、2015年と2019年に来日した際は大盛況でした!
18世紀〜19世紀
著名なクラシック音楽家が誕生

16世紀から存在するポーランド独自の民族舞曲/ダンス「ポロネーズ」は18世紀に完成したという。貴族舞踏会でブームを巻き起こし、19世紀以降に誕生する才能あるピアニストたち(ショパンもその一人)によって、そのリズムはより知名度を増す。18世紀末のポーランド分割後も、人々は民族舞曲やオペラなどの文化を残そうと努力した。

ポーランド分割はなぜ起きた?地図から消えた123年間

20世紀前後
モダニズムにおける音楽の発展

Młodaムウォダ Polskaポルスカ(若きポーランド)という近代主義/モダニズムにより、絵画や文学、音楽の分野で新しい感覚が生まれる。この時に活躍した音楽家といえばピアニスト/作曲家のイグナツィ•パデレフスキ(次項で紹介)、ショパンに次ぐ作曲家とも言われるカロル•シマノフスキなど多数。ポーランド独自のオペラ文化も最高潮に達した。また、キャバレーでの音楽エンターテイメントが芸術家や庶民の間で娯楽となり始める。

第二次世界大戦〜1970年代
抑圧される音楽とジャズの流行
戦争が勃発し、ナチスに占領された旧ポーランド領では「音楽は国民の精神を表すもの」としてショパンを聴くことすら禁じられた。戦時中のポーランド人は地下コンサートでひっそりと音楽をたしなむ程度。戦後はソ連による共産主義国家となり、英米で流行っていた音楽は敵性音楽と見なされる。公に聴くことは禁じられていたが、民主化運動が高まるとジャズへの関心が強くなっていった。
ピオトル
日本でもジャズが好きな人たちの間で「ポーランドジャズ」は根強い人気があります。19世紀のポーランド分割時代にクラシックやオペラがより栄えたように、共産主義時代にジャズが著しく流行ったのは反骨精神への現れだったのかもしれません。
成長しつづける音楽市場

 

著名なポーランド人音楽家

音楽音楽史を調べる中で、著名なポーランド音楽家たちがこんなにもいてビックリ。

誰を選ぶべきか長く考えましが、その中でも19世紀以降に活躍した5人にしぼって紹介したいと思います(そのほかの音楽家6人も名前だけ最後のほうに記載しています)。
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ショパン

フリデリック・ショパン
1810〜1849


誰もが知るクラシック界の天才。フランス人の父とポーランド人の母との間に生まれ、半生を亡命先のフランスで過ごした。しかし彼自身のポーランドへの愛国心から、フランス人もポーランドの作曲家と認めているほど。祖国を想う曲の一つに、明るく威厳な「軍隊ポロネーズ」がある。ピアニストとしての才能は早くに開花し、7歳にしてト短調と変口長調の2つのポロネーズを作曲。11歳の時にロシア皇帝アレクサンドル1世臨席のもとでピアノを演奏し、褒美としてダイヤモンドの指輪をもらったという逸話をもつ。
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軍隊ポロネーズ


 

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ヴィエニャフスキ

ヘンリク・ヴィエニャフスキ
1835〜1880


ヴァイオリンのショパンと呼ばれる作曲家/ヴァイオリン奏者。8歳でパリ音楽院に入学し、13歳で演奏家として独立するという異様な出世スピードを果たした。華麗な演奏と驚異的な技巧は各国で注目を浴び、伝説のピアニスト、アントン・ルビンシテインとのアメリカ演奏旅行で一躍有名になる。彼が作曲した「華麗なるポロネーズ」は特に難易度が高く、多くのコンクールで課題曲として指定されている。弟ユゼフも著名なピアニストであり、ヨーロッパ演奏旅行では兄弟自作の曲を引っさげて共演を果たした。
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華麗なるポロネーズ


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パデレフスキ

イグナツィ・パデレフスキ
1860〜1941


ポーランドを代表するピアニスト/政治家。12歳にしてショパンも通ったワルシャワ音楽院に進学し、卒業後はウィーン音楽院でさらに腕を磨く。シュトラウスブルグ音楽院で教鞭を執ったのちウィーンで華々しいデビューを果たし、欧米各国の演奏会で大熱狂を巻き起こした。ショパンと同じく愛国心の強かったパデレフスキは、当時他国に占領されていたポーランドを守り抜くためにポーランド首相/外務大臣を兼務する政治家としても活躍する。1908年には演奏時間が70分を超える大曲「ポーランド」を発表。
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ミセラネア


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シェッフェル

ボグスワフ・シェッフェル
1929〜2019


作曲家、劇作家、画家でもある多才なシェッフェルは「ポーランドの現代音楽の父」とも呼ばれる。17歳から作曲活動を開始し、総作品は600作越え。作品には100分を超えるものもあり、大作「15人の独奏者とオーケストラのための(シンフォニア/コンチェルト)」は楽譜462ページを要するほどの長い曲。44作に及ぶシェッフェルの戯曲は16ヵ国語に翻訳されており、世界中で広く上演されている。また「用のない限り、毎日作曲する」と公言していた。
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ミサ・エレットロニカ


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ペンデレツキ

クシェストフ・ペンデレツキ
1933〜2020


現代音楽の作曲家・指揮者であり、ポーランド楽派の主要人物の一人。当初はピアノや弦楽器を打楽器的に使用する特殊奏法で注目を集めた。カトリック教徒であるペンデレツキは創作の源泉を宗教であると明言し、多くの作品に宗教的なメッセージを含めている。代表作の一つに「広島の犠牲者に捧げる哀歌」(1960年)があり、フジテレビ「本当にあった怖い話」のBGMにも採用された。音楽界最大の権威ある賞として知られるグラミー賞を4度にわたり受賞している。
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広島の犠牲者に捧げる哀歌


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上記のように紹介しようか迷った方たち。名前はウィキペディアにリンクしています。

そのほか18〜20世紀の音楽家
ユゼフ・エルスネル
作曲家・音楽教育家(1769-1854)
マリア・シマノフスカ
ピアニスト・作曲家(1789-1831)
スタニスワフ・モニューシュコ
作曲家・オペラ作家(1819-1872年)
ユリウシュ・ザレンプスキ
ピアニスト・作曲家(1854-1885)
ミェチスワフ・カルウォヴィチ
作曲家(1882-1937)
カロル・シマノフスキ
作曲家(1882-1937)

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あやか
ちなみに私、2016年のヴィエニャフスキ国際ヴァイオリンコンクールにて、ペンデレツキ氏と直接握手しました!ただコンクール開始前にホテルのチェックインで遭遇し、握手してくださるという流れだったため、私はペンデレツキ氏についてまだ何も知りませんでした…。

ヴィエニャフスキ国際ヴァイオリン・コンクール

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ポーランド独自のオペラ文化

オペラ16世紀末、フィレンツェで音楽と演劇が合わさった古代ギリシャ劇を復活させようとする試みから生まれたのが “オペラ”。

最初に紹介した音楽史でも少し触れましたが、ポーランドはイタリア発祥のオペラをいち早く我が国へと持ち込みました。

ルネサンス末期に流行った新たな演劇がポーランドで思いがけぬ大ヒット…。
千キロ以上も離れたワルシャワの宮廷まで招かれたイタリア人は驚いたことでしょう。

ピオトル
ルネサンスとは、14世紀から約300年ほど続いたイタリア発祥の文化・芸術運動のこと。古代ギリシャやローマ時代の華やかな文化を復興させようと、新たな思想や表現の自由が生まれました。
あやか
ポーランドにルネサンス文化がやって来たのは15世紀半ば。入ってきたのは遅いですが、この頃からポーランドは一気にイタリアかぶれになります。多くの建築家や音楽家、文化人をイタリアから呼び寄せ、国王や貴族もイタリアへ旅したり、留学するのが流行っていました。
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当時の国王ヴワディスワフ4世が魅入ったことを機に宮廷でブームを巻き起こし、国王が亡くなるまでの20年間、ワルシャワの王宮で十数本が上演されたのだそう。

ポーランド最後の国王スタニスワフ・アウグスト・ポニャトフスキ(在位1764〜95)の治世も宮廷オペラが再び盛んとなり、ポーランドが地図から消えた18世紀以降もそのレパートリーは増える一方でした

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多くのポーランド人作曲家がオペラを書いていますが、中でも有名なのがスタニスワフ・モニューシュコ(1819〜72)。

2019年は生誕200周年を記念し、国内外でオペラ上演の回数が増えました。
国民オペラの父とも呼ばれ、ポーランド分割で人々が翻弄する中、数々の素晴らしい合唱・独唱歌曲やオペラを手がけています。

モニューシュコは13作目のオペラ作品『ハルカ』で大成功し、第二次世界大戦前の欧米で何百回(!)と上演されました。

Halka ハルカは主人公である女性の名(ニックネーム的なもの)ですが、オペラのポスターに描かれるハルカはどことなく「和」

思わず日本人女性のハルカさんを連想してしまうのは、私だけでしょうか?
なんだか親近感を覚えますが、内容は男女関係のもつれが波乱を呼ぶスキャンダル系

「亜麻色の髪の乙女」という副題をもつオペラ、<Halkaハルカ>は、1700年のポーランドの農村を舞台にした物語である。
〜(略)題材となった民話の1700年頃のポーランドは、王制下の封建社会。この時代に、「貴族のご乱行に怒った農民達が、最後には崖の上からその貴族をつき落す」という実際にあったとされる物語である。
出典: Opera “Halka” 横川美智子

ピオトル
ポーランドではオペラは気軽に楽しむもので、安いものでバルコニー席600円〜(20ズロチ)、地上席では3500円(120ズロチ)程度で見ることができます。ポーランドにお越しの際はぜひ、オペラ鑑賞も楽しんでみてください!

 

民族舞踏 ポロネーズとマズルカ

ポロネーズを踊るおそらく多くの日本人にとって、「ポロネーズ=ショパン」であり、「マズルカ=う〜ん、確かショパンにそんな曲もあったような…」というイメージかと思います(ちがう?)。

厳密に言うとポロネーズとマズルカはポーランドの代表的な民族舞踏の音楽

どちらも少なくとも400年以上前から存在しますが、ショパンによって認知度が高まったのは言うまでもありません。
ショパンは39年の短い生涯で18曲のポロネーズ、58曲のマズルカを作曲しました。

これらの音楽は要するにリズムが肝ですが、まず実際に聴いてみてください。
最初はポロネーズ(〜33秒)、次にマズルカ(34秒〜)という構成になっています。

この2つの差はそのテンポにありますが、実はまったく違う系統の舞曲。

ポーランドでは地域によっても好みが分かれるものの、誰もが口ずさめ、より広く浸透しているのは断然ポロネーズと言えます。

 
ポロネーズ 3/4拍子
 上流階級が舞踏会で踊っていた優雅なリズムの舞曲。激しい動きを伴わないゆったりとしたテンポでウォーキングダンスのような位置づけ。ポロネーズはフランス語で「ポーランド風」という意味であり、その包括的な呼び方からもかつてはポーランド舞曲全般を指していた可能性がある。そのため、ポロネーズの起源については議論されている。

マズルカ 3/4・3/8拍子
 ポーランド語では「マズレク」と呼ぶ。ポロネーズとは対照的に農民の間で伝承されてきた舞曲であり、大衆向けだった。独特の旋律でテンポが早く、踊る時も駆け抜けるようなステップになるのが特徴。一般庶民に古くから愛されてきたリズムであり、ゆえに幼い頃からマズルカを聞き慣れていたショパンは即興で数々のマズルカを書き留めた。

 国歌 ドンブロフスキのマズルカ

ポーランドの国歌はマズルカ
ショパンは民族音楽というジャンルだったポロネーズとマズルカを舞曲からクラシック音楽へと変換し、その功績は見事なもの。

ポーランドでショパンコンサートを楽しむ方は多いですが、こういった背景や特徴を知っているとより耳に残るではないでしょうか。

絶対行きたい!クラクフのコンサート&ショー情報

あやか
ポーランド人はみ〜んなポロネーズのリズムに乗せて踊ることができます!そういえば結婚式前、披露宴で踊るためにポロネーズの練習をしましたが、(幼少期にやるようなお遊戯を除き)ダンス自体が初めてだったのでものすごく恥ずかしかったのを覚えています。。

 

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この記事のまとめ
アイコン ポーランドの音楽史や文化、いかがだったでしょうか?個人的にはオペラがこんなにもポーランド人に愛されていたとはビックリでした!そういえば、夫も飛行機の中でオペラを聴いていることがあります。
 
 皆さんも長い飛行機での移動時間はショパンやポーランドのオペラを聴いてみたり、高速列車EIPに乗ったならば停車駅で流れる「ノクターン」に耳を澄ましてみたり、伝統的なフォークダンスを披露するレストランに行ってみたり、身近に溢れる音楽に注目してみてください。

ヴァイオリン

【さすがショパンの国】ポーランドの興味深い音楽豆知識とイベント一覧

 

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