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ヴァイオリンはピアノほどポピュラーではないため、演奏を耳にする機会は少ないかもしれません。私もそうでした。
しかし今回は番組制作会社のポーランド語通訳として、5年に一度開催されるというヴィエニャフスキ国際ヴァイオリン・コンクールに生で触れる機会があったのです!知れば知るほどに興味深いコンクール。ぜひ皆さんもこの伝統あるポーランドの文化を知ってください。
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このページの目次
1. どんなコンクール?
2. ヘンリク・ヴィエニャフスキ
3. 第15回の日本人出場者
4. コンクールと演奏の感想
5. 第15回コンクールの裏事情
どんなコンクール?
実は私のポーランドの家族もそういったコンクールがあることはチラッと知ってはいたものの(夫は知らなかったのですが)、関心は無かったそうです。
しかし今回私がこのコンクールに関する仕事を引き受けると、途端に興味を持ち出し「綾香のおかげでヴィエニャフスキ通になったよ!」と言われるほどに。私も今後注目していきたいです。
世界4大コンクールの1つ

ヴィエニャフスキ国際ヴァイオリン・コンクールは、なんと世界4大ヴァイオリン・コンクールの1つ!
若手ヴァイオリニストの登竜門とも呼ばれ、一流ヴァイオリニストの卵である世界中の若者達がこのコンクールの出場を夢見て練習に励んでいます。しかも、有名なショパン・コンクールと同じく5年に一度の開催となれば、それだけ出場者の意気込みも深そうですね。
エリザベト王妃国際コンクール、チャイコフスキー国際コンクール、パガニーニ国際コンクールなどに並ぶヴィエニャフスキ国際コンクール。クラシックファンには必見のコンクールと言えそうです。
コンクール開催地はポズナン

コンクールはもともとワルシャワで行われていましたが、第二次世界大戦でドイツ軍により完全に首都が破壊されてしまったため、1952年から開催地がポズナンに変更となりました。
生前ヴィエニャフスキはポズナンにコンサートで4回訪れており、その時のポズナンの街並や現地人の温かさを大変気に入っていたそう。そのようなエピソードが由来して、ポズナンが選ばれたのです。ちなみに彼の故郷はルブリン。
そして今ではポズナン市の協力はもちろんのこと、ヴィエニャフスキを誇りに思うポズナン市民達が大々的にサポートしています。私が開催期間にポズナンへ足を運んだ時も街中でコンクールの広告を見かけ、街が活気づいていました。
1935年から続く伝統

1935年、ポーランドのヴァイオリニスト・作曲家ヘンリク・ヴィエニャフスキ(1835〜1880)の生誕100周年を記念し、甥であった作曲家アダムが第1回ヴィエニャフスキ国際ヴァイオリン・コンクールを開催。
80年以上の時を経て続く、ポーランドの伝統的な音楽コンクールです。
2016年で第15回目の開催となりました。15という数字だけを見るとまだ歴史が浅いように聞こえるかもしれませんが、あのショパン・コンクールでも2015年で第17回目です。しかし戦前から続くものなので、両者とも伝統あるコンクールには違いありません。
コンクールは4ラウンド制

出場者を決定するためのコンクール予備選は、コンクールが開催される約5ヶ月〜半年前に行われます。
予備選は今回のコンクールでは世界4都市(東京、トロント、インターラーケン/スイス、ルスワビツェ/ポーランド)で実施され、予備選に挑んだ若手ヴァイオリニストは合計250人でした。
応募書類には師事した先生、コンクール優勝歴などの項目はないそうで、完全にその時の演奏によって評価されるようです。また、音源を送ったりという事前審査はありません。予備選はどこでも1度だけ受けることができます。
厳しい審査を越え、ポズナンで行われる本審査に進めるのは最大50人。
第1ラウンドで出場者が全員演奏した後、だいたい半分に絞られ、それがあと2回繰り返されて最後にファイナル(第4ラウンド)があります。ファイナルに進めるのは原則6名ですが、出場者の腕によっては1位が2人というのもあり得ますし、1位に相当する人がいなければ2位からランクが付けられます。
過去の日本人入賞者

日本人としてやはり気になるのは、これまでに何人の日本人がこのコンクールで入賞したか、ですよね。写真は2011年2位に輝いた小林美樹さんです。
1967年まではポーランドやソ連(ロシア)など東欧エリアを中心に欧米出身の入賞者ばかりだったのですが、第6回の1972年に初アジア人として石川静が2位に入賞。彼女をきっかけとし、第7回から日本人ヴァイオリニストの名が目立つようになってきました。
驚くべきは第8回の1981年!
なんとこの時は5人もの日本人が入賞し、第1位の漆原啓子さんは世界中で注目を浴びました。第6回からは必ず日本人が入賞しているので、日本人出場者はこのコンクール出場者の中でも恐れられている存在かもしれませんね。
それでは、歴代入賞者の日本人27人を順番に紹介していきましょう。
- 第6回(1972年)
第2位 石川静
入賞 小栗まち絵 - 第7回(1977年)
第5位 黒崎広嗣※
第6位 澤和樹
入賞 小西朝、水野佳子 - 第8回(1981年)
第1位 漆原啓子
第2位 川口ヱリサ
第4位 景山誠治
第5位 古澤巌
第6位 島根恵 - 第9回(1986年)
第2位 若林暢
第6位 鈴木裕子
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2017年、「魂のヴァイオリニスト」と呼ばれた若林暢さんの特集がNHKニュースおはよう日本「けさのクローズアップ」のコーナー(2017年8月28日放送)で組まれることになり、そちらのリサーチ業務をさせていただきました。暢さんは2016年に癌で亡くなっています。 - 第10回(1991年)
第2位 安彦千恵
第3位 白石禮子
第5位 吉村知子
入賞 二村英仁 - 第11回(1996年)
第2位 大谷玲子
第3位 田中晶子
第4位 瀬崎明日香
入賞 野口千代光 - 第12回(2001年)
第4位 神尾真由子 - 第13回(2006年)
第2位 鈴木愛里 - 第14回(2011年)
第2位 小林美樹
特別賞 弓新 - 第15回(2016年)
第2位 岡本誠司
第7位 周防亮介
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第7回の黒崎広嗣は日本人ですが、国籍はオーストリアです。それにしても、こんなにも多くの日本人が入賞していたとは驚きですね。他のアジアでもここまで入賞者の目立つ国はありません。
ヘンリク・ヴィエニャフスキ
数々のヴァイオリンコンクールの中でも、特に権威があると言われるヴィエニャフスキ・コンクール。
ヘンリク・ヴィエニャフスキがどんなに偉大なヴァイオリニストだったのか気になってきませんか?彼がどんな人物だったのか具体的に紹介しましょう。
ヴァイオリンのショパン

1835年7月10日、ポーランド分割による混乱時代のルブリンに生まれたヘンリク・ヴィエニャフスキ。
彼はヴァイオリニスト・作曲家ですが、弟ユゼフもピアニストであり兄弟での共演も何度か果たしています。
ヴィエニャフスキは8歳でパリ音楽学院に入学し、13歳で早くも演奏家として広く欧米を巡演しました。1874年から1877年まではブリュッセル王位音楽院の教授を務めています。
彼自身が凄腕のヴァイオリニストであるだけに作曲した曲は難易度が高く、コンクールの課題曲としてもよく選ばれます。当然、ヴィエニャフスキ・コンクールでも多くの出場者が彼の曲を演奏しますが、どこかで聴いたことのあるようなメロディーで「これはヴィエニャフスキの曲だったのか!」と感動しました。
その曲がこの「華麗なるポロネーズ第1番ニ長調」です。ぜひご試聴ください。
ヴィエニャフスキの生涯

伝説のピアニストともいわれるアントン・ルビンシテインとアメリカで演奏旅行をし、それが大成功して大金持ちになったヴィエニャフスキ。
彼はユダヤ人家系に生まれているのですが、父の代でカトリックに改宗しています。最初に写真を見た時、「ポーランド人っぽくないな」と思ってしまったのですが、後からユダヤ系だと知って納得しました。ちなみにイスラエル出身の著名なヴァイオリニストはとても多いです。
著名な音楽家がそうであるように幼い頃にヴァイオリニストとしての才能を開花させ、ヨーゼフ・マサールに師事。マサールの師匠は、あのベートヴェンがソナタを捧げたというクロイツェルです。
その後は13歳で演奏家として独立し、25歳の時にロシア帝室管弦楽団のコンサートマスターとして招かれました。
しかし、そんな驚異的な技巧を持つ偉大なるヴァイオリニストにも欠点が。
大酒飲み、博打好き、浪費癖、それに加えて極度な肥満体となり、30代で重い心臓病を抱えてしまいます。演奏中に倒れることもあったとか。そんな彼の最期はあっけないもので、モスクワにて44歳の若さで客死しました。
と、なんだかガッカリしてしまった方もいるかもしれませんが、彼の残した功績と後世のヴァイオリニスト達に残した影響は非常に大きく、こうして彼の名にちなんだコンクールも伝統的に開催されるまでなりました。ショパンと並び、ポーランド人が誇る音楽家です。
第15回の日本人出場者
今回の日本人出場者は7人。本当は8人だったようでカタログでもそうなっているのですが、1人棄権しました。
日本人出場者4人と実際にインタビューや演奏の後でお話を聞かせていただきましたが、私が中でも注目していたのは日本人最年少17歳の服部百音です!
出場者の名前一覧

今回のコンクールに向けて計250人が予選に挑み、実際に舞台に立ったのは41人(数名の棄権者は含めず)。
その内7人が日本人ということで、記者会見でも「なぜ、こんなにも多くの日本人がヴァイオリニストとしての才能を持っているのか」と審査員に聞いた人がいました。どうやら、本場のヨーロッパよりもアジアの方が人気のようです。
それでは、第15回ヴィエニャフスキ国際ヴァイオリン・コンクールの日本人出場者7名を演奏順でご紹介しましょう。
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- 服部百音(1999年生まれ)
- 寺内詩織(1990年生まれ)
- 周防亮介(1995年生まれ)
- 土岐祐奈(1994年生まれ)
- 長尾春花(1989年生まれ)
- 北田千尋(1997年生まれ)
- 岡本誠司(1994年生まれ)
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注目を集めたのは服部百音

詳しくは別の記事で(抹消されない程度に…笑)お話しますが、第15回コンクールでは幾つかの不正があったために残念ながら非常にアンフェアなコンクールとなってしまいました。
服部は、実力でいえばファイナルに残ってもなんら不思議ではないほどの驚異的な天才若手ヴァイオリニストで、実際にある審査員も「彼女はファイナルにいるはずだった」と述べています。
そんな彼女は、誰もが知るあの超有名作曲家の娘…。皆さんも驚くはず。
父は最近ではドラマ「半沢直樹」や「真田丸」で知られる作曲家服部隆之、母は元ヴァイオリニスト服部エリ。
祖父も作曲家服部克久、曾祖父も同じく作曲家の服部良一。平成生まれの私ですら、服部良一の代表作は何度か耳にしたことがあります。詳しくは服部隆之のウィキペディアをご覧ください。
以下は、服部百音公式サイトから引用した彼女のプロフィールの一部です。
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5歳よりヴァイオリンを始め、6歳で桐朋学園附属子供のための音楽教室に入室。8歳でオーケストラと初共演。
2009年 ヴィエニアフスキー・リピンスキ国際ヴァイオリン・コンクールのジュニア部門で史上最年少第1位及び特別賞を受賞、全日本芸術コンクールで1位。東京都教育委員会、港区教育委員会より表彰を受ける。
2013年 ブルガリア、ヤング・ヴィルトゥオーゾ国際ヴァイオリン・コンクールのジュニア部門でグランプリ、特別賞を受賞。 同年 ロシア、ノヴォシビルスク国際ヴァイオリン・コンクールに飛び級でシニアの部を受け、最年少グランプリを受賞。 並びに審査員特別賞、新曲賞を受賞。2015年 スイス、ボリス・ゴールドシュタイン国際ヴァイオリン・コンクールでグランプリを受賞。
鈴木亜久里、大谷康子、辰巳明子、ザハール・ブロン各氏に師事。—続きはこちら
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音楽一家となれば「そういう血筋か」と納得してしまうでしょうが、彼女が才能だけでここまでの成果を出してきたと思い込むのは失礼かもしれません。
ホテルで彼女の演奏風景を見させていただき、彼女自身が語るヴァイオリン人生を聞きましたが、間違いなく人一倍の努力とひた向きさも才能開花に関係しています。今回の第1ステージも3時間しか睡眠を取っていなかったそうで、もうずっと練習に励んでいたとか。
17歳の女の子がここまで何かに打ち込めるだけでもスゴいのに、ヴァイオリンにかける情熱も私が思った以上に深く感激しました(ヴァイオリンが弾けなくなったら、人生終わりだそうです)。
礼儀正しい女の子で深々とお辞儀をしたり、オンとオフを切り替えて練習に懸命に励む姿には感動しました!
コンクールと演奏の感想
私がこのコンクールで報道側としてどんな仕事をしたかという報告も兼ねて、別の記事で詳しく紹介します。
クラシックどころかヴァイオリン素人の私が感想を言うのはどうかとも思うのですが、調べてみるとコンサート会場に足を運ぶ人って結構「自称素人さん」も多いそうです。ちょっと安心かも。
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第15回コンクールの裏事情
日本側の報道では当然触れられていませんが、このコンクールは予選の段階ですでにアンフェアでした。
このコンクールに最初から注目していた日本人でも(出場者や関係者以外は)そんな事実を知っている人は少ないでしょうが、ポーランドではかなりスキャンダル化しています。まだ第2ステージまでは良かったんですけど、第3ステージからはかなり荒れましたね。
それも負け惜しみで来るものとか、そんなものじゃありません。審査員が不正があったことを認めているのですから。
この名誉あるポーランドのコンクールに汚名を着せたのは、審査委員長のヴェンゲロフ(ユダヤ系ロシア人)でした。
日本人が2人入賞したというおめでたい話に水を差すようですが、私が言わなければ誰が言うんだということで、次回はその真相をお話しします。既にポーランドで報道されていることが多いので、さすがに抹消はないでしょう(笑)。
こういった情報を知りたい方も少なからずいると思って書くだけなので(実際に数人から問い合わせあり)、興味のある方だけ次のページにお進みください。
im.
im. は、imienia(イミエニャ)の略で「〜の名に因んで」という意味です。
例えば、今回の記事でご紹介したヴィエニャフスキ国際ヴァイオリン・コンクールはポーランド語で Międzynarodowy Konkurs Skrzypcowy im. Henryka Wieniawskieg(ミェンゼナロドヴェ コンクルス スクシェプツォヴェ イミエニャ ヘンリカ ヴィエニャフスキエゴ)といいます。im. の後ろは生格になることに注意。



ポズナンでの本予選には
日本人は合計8人出場していて、
日本予選を通過して出場していた
中村 友希乃が抜けています。
Sato様
棄権者の名前はあえて記載しておりません。
パンフレットに出場者として紹介はあるものの出場しなかった方は数名いらっしゃいました。
Ayaka様
返信ありがとうございます。
棄権はしておらず、
ポーランドの予選でも一次予選を通過し
二次予選でも演奏しています。
確認してみてください。
パンフレットに載っている日本人が一人いないという話を会場でしたのは覚えているのですが、また後ほど確認してみます。
ありがとうございます。