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【あの6人の男性は誰?】ポーランド紙幣の肖像を飾るポーランド君主を紹介

ポーランド紙幣の肖像を飾る6人の君主
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クラクフ市公認ガイドのカスプシュイック綾香(本名)です。2014年以降、ポーランド在住。ガイド・通訳業の傍ら、旅行や生活に欠かせないポーランド情報をお届け中!
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偉大なるポーランド君主を知ろう

 

旅行者さん
ポーランドのお札ってカラフル!みんな男性みたいだけど、肖像になってる人たちはポーランドのどういった偉人なの?
あやか
それぞれのお札の肖像になっている偉人たちは、建国時の10世紀から17世紀までを代表する6人のポーランドの君主です。
旅行者さん
日本のお札では近代の偉人が肖像になってるけど、ポーランドは何百年も前の人なのか。この6人の君主を知れば、ポーランドの歴史がだいたい分かりそう!
ポーランドの歴史
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紙幣は6種類、硬貨は8種類

ポーランドのお金1ズロチ=100グロシュ

 ポーランドの通貨は złotyズウォティ(日本語ではズロチとも)であり、補助通貨は groszグロシュ です。紙幣は小さい順に10ズロチ(茶色の紙幣)、20ズロチ(ピンクの紙幣)、50ズロチ(青色の紙幣)、100ズロチ(緑色の紙幣)、200ズロチ(黄色の紙幣)、500ズロチがあります。500ズロチは2017年にできた新しい紙幣で滅多に出会えません。硬貨は小さい順に1グロシュ、5グロシュ、10グロシュ、20グロシュ、50グロシュ、1ズロチ、2ズロチ、5ズロチがあります。硬貨のほうには肖像はありません。

円からズロチに両替する方法
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10ズロチ ミェシュコ1世

Mieszko-1
Mieszko I(922-945〜992)

 ポーランド王国の創始者であり、ピャスト公家(ピャスト王朝)の長として現在のポーランド領に重なるほとんどの領土を治めたミェシュコ1世。966年、彼はキリスト教国家であるボヘミア公国(現チェコ)の公女ドブラヴァと結婚して洗礼を受け、この出来事はポーランドが国家として認められる契機となります。この頃、東欧や中東欧に住む人々の多くは自然宗教を崇拝していました。しかし9世紀以降、キリスト教への改宗を迫られるようになります。それほどまでに、中世ヨーロッパのキリスト教国家は絶大な権勢を握っていました。ミェシュコ1世の治世、ポーランドで最も重要な町は現在のポーランド西部にあるグニェズノであり、他にもいくつもの拠点があったと言われています。

ポーランドの歴史 10世紀
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20ズロチ ボレスワフ1世 勇敢王

ボレスワフ1世
Bolesław I Chrobry(967〜1025)

 ポーランドの初代国王は、ミェシュコ1世の息子であるボレスワフ1世。1025年、カトリックの頂点であるローマ教皇の承認を得てグニェズノ大聖堂で戴冠し、正式にキリスト教国家として認められたポーランドは公国から王国にランクアップしました。隣国の神聖ローマ帝国(現ドイツ)の皇帝オットー3世とも同盟を結ぶ(残念ながら次の皇帝で関係悪化)一方、早くも独立したキリスト教国家となり、ヨーロッパの大国の一つとして存在感を示すようになります。この頃のポーランドにはまだ「首都」という概念は存在しておらず、当時の本拠地グニェズノに加えて後の首都となるクラクフ、ヴロツワフ 、コウォブジェグが重要な都市でした。

ポーランドの歴史 ボレスワフ1世
ポーランドとドイツ、奇跡の2年間
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50ズロチ カジミエシュ3世 大王

カジミエシュ3世
Kazimierz Wielki(1310〜1370)

 ピャスト王朝最後の国王となったカジミェシュ3世は、平和的にポーランドを何倍にもパワーアップさせた偉大な君主。ポーランドは欧州で迫害されるユダヤ人に対して他国より寛容でしたが、特定の地域に限定されていました。しかしカジミェシュ3世はユダヤ人の権利をさらに広く認め、これを機にポーランドには多くのユダヤ人が定住するようになります。「木造のポーランドをレンガにして去った」とも言われ、国内初の大学(現ヤギェウォ大学)を創立し、ポーランドに巨万の富を築き上げたヴィエリチカ岩塩坑の発展にも大きく貢献しました。また、彼によって約70もの都市が国内に建設され、最も代表的な街は今日のクラクフ旧市街の南にある「カジミェシュ(現在は地区)」です。

ピャスト王朝の終幕 カジミエシュ3世大王
アブラハムの宗教をざっくり解説
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100ズロチ ヴワディスワフ・ヤギェウォ

Władysław Jagiełło
Władysław Jagiełło(1362?〜1434)

 カジミェシュ3世でポーランド最初の王朝が終わりましたが、次のヤギェウォ王朝は「ポーランドの黄金時代」とも言われています。そんなヤギェウォ王朝の創始者、ヤギェウォはリトアニア出身のリトアニア大公およびポーランド国王。1386年、ポーランド初の女性国王ヤドヴィガ・アンデガウェンスカと結婚し、同時にキリスト教徒として洗礼を受けました。これを機にリトアニアのキリスト教化が進み、のちに誕生するポーランド・リトアニア共和国の礎となります。彼の最大の功績は、ドイツ騎士団とポーランド・リトアニア連合軍による「グルンヴァルトの戦い(1410年)」で勝利を収めたこと。この戦いでドイツ騎士団は西へと衰退し、長くドイツにとっての屈辱となりました。

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200ズロチ  ジグムント1世

Zygmunt I Stary
Zygmunt I Stary(1467〜1548)

 ヤギェウォの孫にあたるジグムント1世はポーランドの芸術、文学、科学の発展に大きく貢献したリトアニア大公およびポーランド国王。ポーランド語とラテン語はもちろん、ルテニア語やドイツ語も話すことができた彼は外交能力に長けていました。しかしジグムント1世の治世、ポーランドは厳しい政治状況に置かれており、リトアニアとモスクワの対立やタタールの略奪行為による戦争に頭を抱えます。一方、ポーランド造幣局を設立することにより、かなりの負債を負っていた国家財政を好転させて経済的自由を取り戻しました。また、2番目の妃となったミラノ公の公女ボナ・スフォルツァと結婚し、ようやくポーランドにイタリア発祥のルネサンス文化が100年遅れで開花しました。

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500ズロチ ヤン3世ソビエスキ

Jan III Sobieski
Jan III Sobieski(1629〜1696)

 ポーランドの最高額紙幣の肖像を飾るのは、ヨーロッパの英雄としても知られるヤン3世ソビエスキです。当時のポーランドは国家史上最大の領土を誇り、その面積は今の3倍以上!そんな絶頂期を迎えていたポーランドに生まれたソビエスキですが、彼の治世の国家財政は終始火の車でした。国王として選出された1674年、オスマン軍との戦いで軍事面でも危機に立たされていましたが、ソビエスキはポーランド軍最高司令官として大活躍した過去もあります。国王になったあとも、自らが指揮を取った「第二次ウィーン包囲(1683年)」でヨーロッパをオスマンの侵略から守り抜きました。とにかくオスマン帝国に忙殺されていた時代だったので、ソビエスキといえば国内政治よりも「欧州をムスリム化の危機から救ったヒーロー」というイメージ。まさに、最高額紙幣に相応しい国王です。

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ちょっと、つぶやいていい?
アイコン  皆さん、どのポーランド君主が一番印象的でしたか?私はこの6人の中でも、カジミェシュ3世とソビエスキを推しています。特にソビエスキはもっと世界的に名を知られるべき。でも、誰一人欠けても今のポーランドはありません。まぁ、あまりよろしくない国王も数人ほどいましたが…。
ポーランドの歴史
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