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3つの宗教を噛み砕いて解説
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これら3つはアブラハムの宗教
古い順に並べるとユダヤ教→キリスト教→イスラム教となりますが、これらはまとめて「アブラハムの宗教」とも呼ばれます。聖書を読んだことがない人も「ノアの方舟」や「バベルの塔」といった伝説の名を一度は聞いたことがありますよね
アブラハムとは、それらの物語のあとに登場する、1番最初に神のお告げを聞いたとされる人物です(聖書には神のお告げを聞いたとされる人物=預言者がたくさん登場します)。そしてイスラエル民族の祖であり、イスラム教ではアラブ族の祖と言い伝えられ、広くは「信仰の父」とも言います。
アブラハムの宗教は、旧約聖書の内容に触れずして語ることはできません。旧約聖書には様々なことが記されていますが、一部を挙げると「人々を救う救世主が必ず現れる」と書かれています。かんたんに言えば、「まだ救世主は現れていない」と救世主を今も待ち続けているのがユダヤ教、ユダヤ教徒からでたイエス・キリストこそが救世主だと信じるのがキリスト教、しかしイエス・キリストを救世主と認めずムハンマドという預言者の教えに従っているのがイスラム教なんです。つまり、信仰する神は同じであるものの、救世主が一致していません。
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まずは旧約聖書をざっくり知ろう
これら3つの宗教は根底は同じと言える聖典を読んでいます。それをユダヤ教ではトーラー、キリスト教では旧約聖書、イスラム教ではコーランと言います。ここでは、皆さんにとって、まだより身近であろう旧約聖書に焦点を当てて説明しましょう。
旧約聖書は、紀元前12世紀からイエス・キリストが誕生する400年前の間にかけて、ヘブライ人(古代イスラエル人)によってヘブライ語あるいは一部アラム語でまとめられた書物です。
現在の旧約聖書は全39巻から成っており、これらは「律法(モーセ五書)」「歴史書」「詩歌書」「預言書」の大きく4つに分類することができます。
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律法とは、旧約聖書の最初に書かれている「創世記・出エジプト記・レビ記・民数記・申命記」を指し、これらはまとめてモーセ五書と言います。伝統的にモーセという人物が書いたと考えられていましたが、現在はそうではないというのが定説です。
モーセは紀元前13世紀頃の預言者であり、イスラエル民族の指導者でした。モーセは神の啓示によりイスラエル民族を率いてエジプトを脱出し、唯一絶対の神ヤハウェとの契約により「十戒」を与えられます(モーセの十戒)。イエス・キリストは律法についての正しい理解の仕方を人々に説いていました。また、ユダヤ教徒は、モーセ五書(律法)を現在に至っても文字通りに守っている人々です。
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モーセの十戒…❶私のほかに神があってはならない、❷あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない、❸主の日を心にとどめ、これを聖とせよ、❹あなたの父母を敬え、❺殺してはならない、❻姦淫してはならない、❼盗んではならない、❽隣人に関して偽証してはならない、❾隣人の妻を欲してはならない、➓隣人の財産を欲してはならない
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律法(モーセ五書)の5つ目の書である「申命記」の次の「ヨシュア記」から「エステル記」までの14巻を指します。これらの書は、モーセのようにイスラエルの指導者や英雄が活躍した時代の話をまとめています。その話をカンタンに紹介すると…
紀元前1000年頃、ヘブライ王国(イスラエル王国とも)という国が現在のイスラエルのあたりに成立しました。この国はダビデ王とソロモン王のもとで栄華を極めますが、ソロモン王死後の前926年に王国は南北に独立します。そして、北部はイスラエル王国(北王国)、南部はユダ王国(南王国)となりました。この分裂は、南部のユダヤ族がダビデ王とソロモン王の統治に不満を抱いたことによって生じたものです。その後は神の教えに背く王がつづき、神は怒りを示すようになりました。
神の罰か、前8世紀の終わり頃に北王国はアッシリア帝国に滅ぼされ、南王国は新バビロニア王国に滅ぼされました。南王国の民はバビロンに補因とし2度にわたって連行され、新バビロニア王国に移住させられます(バビロン捕囚)。しかし、その70年後に新バビロニア王国はペルシア帝国によって滅ぼされてしまったため、捕囚民は南王国のあったエルサレムの地に帰還しました。この捕囚の歴史は「列王記」「歴代誌」「エズラ記」「ネへミヤ記」に記されており、ペルシャ時代については最後の「エステル記」に記されています(超長いよ〜)。
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ユダヤ教のはじまり…バビロン捕囚によってユダヤ人は民族意識を持つようになり、ユダヤ教という宗教が確立します。ユダヤ教の教えはバビロン捕囚時のバビロニア文化の影響をかなり受けているのです。捕囚されたユダヤ人は失った南王国と、神殿の代わりに律法を心の拠り所とするようになり、それが現在の正統派ユダヤ教徒に見られるような律法を重んじる宗教となりました。そして、神ヤハウェはユダヤ民族の神であるだけでなく、世界を創造した唯一神として理解されるようになります。
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詩歌書は、ユダヤ人によって書かれた150編から成る知恵と愛の詩です。ヨブ記、詩編、箴言、コヘレト、雅歌の5巻からなり、特にヨブ記は旧約聖書の最も劇的な書の一つとされます。ヨブ記が書かれたのは、実は旧約聖書の一番最初にある「創世記」よりも前だと言われています。この書は、ヨブとその友人の対話形式による長い詩でテーマは「神が与える苦しみ」。最後の「雅詩」は愛の詩であり、神と人間の相互愛を見ることができます。
詩歌書を読めば、これら3つの宗教にとっての神の存在がどれだけ揺るぎないものか伝わってくるでしょう。神への深い愛と信頼があまりにも強く表現されているため、個人的には(信仰心が芽生えないうちは)読んでいて一番しんどいところです。逆に言うと、ここさえ違和感なく読めれば「アブラハムの宗教の真髄に触れられた」と言えます。
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預言書は、旧約聖書の最後を締めくくる5つの大予言書「イザヤ書・エレミヤ書・哀歌・エゼキエル書・ダニエル書」と、「ホセア書」から「マラキ書」の12の小預言書から成ります。大預言書と小預言書というのはそれぞれの文量の多さを指しており、預言の重要性にはなんら変わりません。
これらは預言者の説教の集大成であり、神から授かった言葉の書です。預言者とは、アブラハム、モーセ、エリヤやイザヤといった預言するために神によって選ばれた人々のことです。預言には未来の出来事への暗示が数多く含まれており、その一つがキリスト教が救世主として信じるイエス・キリストの誕生です。このように旧約にある預言が実現すると、新約聖書では「成就した」と表します。
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旧約聖書を通して見る3つの宗教
旧約聖書という呼び方はキリスト教徒観点ですが、旧約聖書は全39巻から成ります。イエス・キリストが誕生してから書かれた新約聖書も含めると全66巻!なかなかのボリュームですよね。
さて、ユダヤ教では旧約聖書のことを律法、預言書などと種類に分けて呼びます。ユダヤ教徒はイエス・キリストを救世主としても、預言者としても認めておらず、偽預言者という扱いです。イエス・キリストの誕生以降の書物がキリスト教においての新約なので、ユダヤ教徒はそもそも旧約とか新約といった呼び方はしません。一方、イスラム教では旧約と新約の一部を尊重しますが、最も大切なのは、預言者ムハンマドやムハンマドの後継者が編集したコーランという書物です。ユダヤ教徒はムハンマドの存在そのものを認めておらず、キリスト教徒にとっては偽預言者です。しかし、イスラム教徒はムハンマドを最後の預言者として信じています。
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私にとってのユダヤ教とイスラム教…私はキリスト教徒ですが、キリスト教の大元であるユダヤ教は否定しません。しかし、イスラム教はアラブ人のための民族宗教という一面を強く感じます。聖母マリアのことを勘違いで「アロンの姉」としたり、お祈りも最初はエルサレムの方向を向いて礼拝していましたが、ユダヤ人との争いが激化したという理由だけで向きを変えてしまったからです。
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3つの宗教の特徴 Q&A形式
ユダヤ教……紀元前2000年頃、最初の預言者アブラハムが神のお告げを受け、祝福されたことから始まる。バビロン捕囚によってユダヤ人という民族意識が高まったことで宗教として確立。
キリスト教…旧約の数々の預言が成就され、救世主として現れたのがイエス・キリストだと信じている。ユダヤ教徒から出たイエスは数々の奇跡や業を行うことで神の子であると証明した。
イスラム教…イエスが誕生した700年後に成立し、預言者ムハンマドによって創始された宗教。ムハンマドの主張は「イエスは救世主ではなく預言者であり、我こそが最後の預言者である」。
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ユダヤ教……キリスト教でいう旧約/トーラーと、タルムードやミドラシュと呼ばれるトーラーの註釈書。しかし、タルムードの内容があまりにも差別的なため、タルムードを認めない教派もある。
キリスト教…旧約とイエスが誕生した後にまとめられた新約の両方を聖典としている。
イスラム教…旧約と新約の一部を聖典として取り入れているが、最も大切なのはムハンマドを通じてまとめられたコーランである。
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ユダヤ教……信仰や教義以上に、その前提として行為・行動・実践を重要視している。
キリスト教…神は罪を犯した者を裁くが、その神を信仰し愛していれば、神も人々を赦し無償の愛を与えてくれる(天国に導く)と信じている。
イスラム教…司祭や司教といった聖職者は存在しない。聖なるものは唯一の神アッラーであり、アッラーの前では皆平等と考えている。
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ユダヤ教……唯一神ヤハウェ
キリスト教…唯一神ヤハウェとは言うが、 神や父、主と表すことの方が多い
イスラム教…唯一神アッラー
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ユダヤ教……1,400万人(全人口の0.2%)
キリスト教…22億人(全人口の31%)
イスラム教…16億人(全人口の23%)
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ユダヤ教……ユダ王国の首都エルサレムにあったヘロデ神殿の西側の壁である「嘆きの壁」
キリスト教…イエスが十字架にはりつけられたゴルゴダの丘に建てられた「聖墳墓教会」
イスラム教…預言者ムハンマドが一夜のうちに昇天する旅を体験したといわれる「岩のドーム」
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ユダヤ教……シナゴーグ
キリスト教…教会
イスラム教…モスク
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ユダヤ教……去る者追わず(本当は死刑だが、大昔に国を滅ぼされたので死刑執行機関がない)
キリスト教…去る者追わず
イスラム教…イスラム法上、死刑
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これは素晴らしい記事です。また後でじっくり読み直してみます。音楽をやっていて、宗教観無しに佳き演奏をするのは無理です。学生達にも大いに勧められるページです。ご執筆ありがとうございました!
北島さん
ありがとうございます!(*^^*)
そういえば、夏にマスタークラスでピアノのレッスンに来られたお嬢さんのお母様も同じことを仰っていました。
思わぬところで当記事がお役に立てて何よりです。
新約聖書についても少しまとめましたので、またお時間のあるときに読んでいただけると嬉しいです。
https://witam-pl.com/2016/12/01/blog268/
旧約聖書の内容をこれっぽっちも知らないわたしでもとてもわかりやすかったです!
唯一神の宗教というところで理解が止まっていてました。
それぞれの違いから、キリスト教徒としての見解、イスラム教の特徴に、宗教を取り巻く状況に至るまで細かくわかりやす内容でした!
この記事を見つけた時、後で見ようとページを開いたまま置いておきましたが読んだ今でも何度でも読める読み応えのある内容です!
わかりにくいことをわかりやすく解説する天才ですね!この記事をたった一人で仕上げているということが、本当に凄いことです。
凄い凄いとばかり続きますが、もう尊敬の念しかありません。
ところで「top」のアイコンコウノトリでしょうか?可愛らしくて、ふふってなりました(^^)
綾香さんの記事を見るといつも自分もちゃんとしなきゃ、と毎回思います。これからも応援しています!
お久しぶりです!
変わらずブログをご愛読いただきありがとうございます (^o^)
ポンチュキといえばSさんですから、すぐ分かりましたよ(笑)。
宗教は信仰に基づくものなので、第三者の立場で完全に理解するのは難しいと思います。
それでも私なりの説明で分かりやすいと仰っていただき、非常に嬉しいです。
ポーランドの歴史を把握したり、クラクフのガイドをするうえでもキリスト教やカトリックの知識は不可欠です。
しかし、それだけでは視野がまだ狭いんですよね。
ユダヤ教やイスラム教を知ることで、現代のポーランドを取り巻く状況や政策などもお話することができるんです。
今はブログリニューアル中ですが(現在は主に古い記事の再編集)、ゆくゆくこの記事にも手を加えることになると思います。
ぜひ、またふと読み返してみてくださいね♪
そしてtopアイコンですが、ご察しの通りコウノトリです!
ポーランドのコウノトリは口が赤く、シュバシコウと言います。
古い記事の編集が一通り終わればコウノトリについても紹介しますね。
こんにちは
とてもわかりやすく説明して下さりありがとうございます!まずメシアに対する考えが違ったんですね
それでスッキリしました。
私自身4月にクリスチャンになったばかりでわからない事が多く、現在の中東での戦争について理解したくで過去の歴史から紐解いてみるものの頭の中が大混乱する毎日でした。
コメントありがとうございます。イスラエルでの情勢が急激に悪化して以来、当記事が非常によく読まれています。スッキリした、と仰ってもらえて嬉しいです。
芝田さんはクリスチャンになったばかりとのことで、きっと私と同じ成人洗礼ですよね。私はカトリックの洗礼を受けてから8年以上経ちますが、未だに迷いというか、分からないことがあります。しかし先日、ルター派の牧師さん(ガイドのお客さま)にその気持ちについて打ち明けてみたところ、「信仰とは1%の希望と99%の疑いだ」というお言葉をいただき心が軽くなりました。ちなみにこれは、遠藤周作という有名なカトリックの作家さんの言葉です。その牧師さんとはご一緒にカトリックのミサに与りました。生まれながらの敬虔なクリスチャンでも分からないことはありますから、迷いがあって当然だと思います。それについて、「自分は本当にクリスチャンでいいのだろうか」と責める必要はありませんよ (^ ^) その葛藤もありつつ、信じようとする姿勢に意味があると思います。