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【要点のみ解説】旧約・新約聖書の内容とキリスト教徒が神を信じる理由

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クラクフ市公認ガイドのカスプシュイック綾香(本名)です。2014年以降、ポーランド在住。ガイド・通訳業の傍ら、旅行や生活に欠かせないポーランド情報をお届け中!
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この記事の内容
 キリスト教は世界総人口の3割を占める信者をもつ、世界三大宗教の一つ。しかし、日本での信者の割合はわずか1%に過ぎません。簡単に言えば “イエスの教えを聞き入れ、またイエスが説いた死後の復活と永遠のいのちを信じる” のがキリスト教です。しかし非キリスト教徒にとっては、そのイメージをすぐに掴むことは難しいでしょう。
 
 かつての私がそうですが、キリスト教にほぼ無縁な立場で「神の愛や恵み」を語ってもらっても曖昧すぎてよく分かりません。そこで当記事では、結婚を機にカトリック教徒となった私がキリスト教について噛み砕いて説明します。
 
教会
この記事の目次
キリスト教における重要な存在
  父なる神とイエス・キリスト
  イエスの母、聖母マリア

信仰対象は「三位一体」の神
神がいないという考えは非科学的
教典は旧約聖書と新約聖書
  旧約聖書と新約聖書のちがい
  6日間で天地万物が創造される
  アダムとイヴが犯した罪

神が契約を改め、イエスが現れる
  イエスの存在を信じる意味
  旧約に書かれた救世主の預言
  ほかの誰よりも神を愛せよ
  まだ実現していない最後の預言

この記事のまとめ


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キリスト教における重要な存在

キリスト教の教典である聖書を開いてみると、数多あまたの固有名詞を目にします。
聖書は古代の歴史書物でもあり、ゆえに当時の人の名まで書き連ねられているのです。

まずはキリスト教において最も重要な存在である父なる神、イエス・キリスト(以下イエス)、聖母マリアについて知りましょう。

 

父なる神とイエス・キリスト

イエス聖書は父なる神が成す『天地創造』で始まり、その章だけでも神はすべてにおいて究極的で万能な存在であることが分かります。

父なる神とイエス・キリスト(以下イエス)は同じ神なのでよく混同されがちですが、どのように異なるのか見ていきましょう。

父なる神
宇宙、さまざまな環境と生命体、人を細部にわたって創造する力を持つ万物の保護者。それゆえに「主」とも呼ばれる。旧約聖書では預言者を通して神の存在と救世主の誕生を知らせ、後に御子イエスを世に送った。

イエス・キリスト
父なる神の御子として、神性をもって生まれた歴史的人物。33年間の罪なき生涯を送り、人々に永遠のいのちを授けるために人の罪をすべて負い、身代わりとなって十字架につけられた。死後は墓に葬られたのち3日後によみがえり、復活を証明して見せた。
神の子であるイエス・キリスト(以下イエス)は、父なる神を「父」と呼びます。

父なる神はいますが、母なる神という表現はキリスト教においてありません。
神には性別がありませんが、それでも父と表すのは古代からの父へのイメージにあります。

父は家庭の権力者であり、身近な表現として「父」と呼び始めたのでしょう。
また聖書では女性を除いて人を数える場面がよく見られるますが、これは神による差別ではなく、そういった習わしによるものです。

イエス・キリストという名前
 イエスの生まれた時代には名字がなく、当時のイエスは「ナザレのイエス」と呼ばれていました。ナザレとはイエスが育った町の名前で今もイスラエルに実在する都市です。イエス、キリストという名の両方に “救い主” “救い” といった意味があります。
下の写真は
今のナザレです
ナザレ

 

イエスの母、聖母マリア

聖母マリアイエスは神の子といっても、人である限り女性の体から生まれる必要があります
そこで神が選んだ女性は、当時、ヨセフという男性と婚約関係にあったマリアでした。

マリアは敬虔なユダヤ教徒であり、ユダヤ人は婚前交渉を禁じられています。
聖書によると、マリアは聖霊の(後述)の力によって処女のままイエスを宿しました。

あやか
常識的に考えればありえない話ですが、神の子イエスが生まれたことと、人や動物が生まれることはまったく違う事象です。神はすべてを成し遂げられる存在なのです。
聖母マリア

【時系列で総まとめ】イエスの母、聖母マリアの清らかな一生を徹底紹介

 

信仰対象は「三位一体」の神

キリスト教の信仰対象はもちろん神なのですが、神の定義は三位一体さんみいったいにあります。

三位一体とは、「父なる神」「イエス」「聖霊」を同一と見なすこと。
キリスト教は一神教なので、個々を神と捉えてしまうと大きな矛盾が生じてしまいます。

この概念がいまいちピンと来ない方は、空間の定義を考えてみてください。
「空間」とは「広さ」「長さ」「高さ」の3つから成るものであり、そのどれもが欠けても「空間」と呼ぶことはできませんよね。
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三位一体 これは非常に重要な考え方で、この三位一体の教理に意義を唱えるならば異端です。

三位一体の中でも、最もイメージしにくい存在は「聖霊」かもしれません。
聖霊は人格を有するもののカタチがないため、鳩がよく聖霊の象徴として用いられます。

聖霊は父なる神とイエスとともに働く「」であり、天地創造も、聖母マリアが身籠ったのも聖霊を通して成されたことです。

マルコによる福音書3-28
 
あなた方によく言っておく。人の子らが犯すすべての罪と、神に対する冒涜は、ことごとく赦(ゆる)される。しかし、聖霊に対して冒涜の言葉を口にする者は、永遠に赦しが得られず、永遠に罪の責めを負う。
あやか
イエスがこう述べるほどの聖霊、いかに尊い存在か分かりますね。ちなみにイエスはマリアという一人の女性から生まれたので人間でもあります。イエスは神であると同時に人でもあると捉えてください。

 

神がいないという考えは非科学的

黒板と女性聖書の内容について詳しくご紹介する前に、この世を支配する神がいると信じるのは合理的であることを伝えておきましょう。

なぜなら、この地球の限りなく恵まれた環境は、まさに生物や人を生かすためだけに造られたものとしか思えないからです。
科学者ニュートンや発明家エジソン、進化論を唱えたダーウィン、量子論創始者プランク、天文学者コペルニクスも皆、口を揃えて「神の存在は認めざるを得ない」と断言しています。

科学的には、神はいないと断言する方がむしろ非科学的だということです。
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ケルビン
人はどうやって造られたか
旧約聖書の『天地創造』によると神はまず、最初に土の塵(ちり)で男を造られましたが、人間は本当に土にある元素と同じ要素で構成されています。そして次に、男の助け手として男のあばら骨を取って女が造られました。これは挿し木と同じような原理。
また、男性と女性の違いは性染色体にあります。男女は共に23組46本の染色体があり、22組まではまったく同じです。しかし23本目の染色体は男性がXとY、女性がXXとなっており、これが性別を決定しているのです。つまり男性の持つYが欠け、代わりにXをコピーしたのが女性ということ。男の次に女が造られたというのは非常に理論的です。
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教典は旧約聖書と新約聖書

キリスト教の教典である旧約聖書と新約聖書は、神の啓示を受けた人々(預言者)やイエスの弟子によってまとめられた書物です。

聖書は旧約の『創世記』という宇宙や人の創造から始まり、新約の『ヨハネの黙示録』という人々への裁きと終末預言で終わります。

 

旧約聖書と新約聖書のちがい

聖書世界で最も売れている本、聖書。
旧約聖書と新約聖書の2つから構成されており、厳選された重要かつ信頼できる書記や手紙が集められて今日の姿となりました。

この膨大な記録の中には古代に実在したといわれる王や国、土地、戦の名が記されており、史実として認識される書記もあります。

聖書は全66巻旧約聖書
紀元前1400年から約1000年の間にまとめられた神との契約や預言、歴史が書かれた39巻の書物。救世主(イエス)が後に誕生することが度々預言されている。

新約聖書
イエスが誕生し、天に召された後の1世紀中頃から2世紀の始まりにかけて書かれた27巻の書物。イエスが父なる神を通して説いた教えや預言、死後弟子たちが教会や信者に宛てた手紙などがまとめられている。

旧約聖書と新約聖書の関係
新約聖書は旧約聖書に書かれた預言が成就された結果をまとめたもの。旧約聖書の預言通りに誕生したイエス自身も、旧約にあることを引用して人々に教えを説いている。旧約・新約の "約" は "契約" の "約"。
聖書の歴史
あやか
聖書は起源があまりにも古いため、原本はまだ見つかっていません。すべて人がまとめたという特性上、異なる視点であったり文化的な影響を受けた記述、翻訳の違いが見られるのはやむを得ないことです。

 

6日間で天地万物が創造される

天地創造旧約聖書の創世記によると、天地にあるすべてのものは神が創造しました。
人はあらゆる生物の中でも一番最後に、そのすべてを治める者として造られ、また神のかたちに似せられた特別な存在となります。

そして全人類の祖先とされる最初の男と女は、次項でお話しする「アダムとイヴ」。

創世記1-31〜2-3

神はご自分がお造りになったすべてのものをご覧になった。それは極めて善かった。そして夕べとなり、朝となり、六日目が過ぎた。こうして、天と地と万物は完成した。— 神はすべての想像の業を七日目に休まれたので、その日を祝福して聖なる日とされた。
キリスト教では、この神による天地創造をもとに、一週間は七日間であり最後の日曜日が休日(安息日)であると定めています。

そのため日曜日に働くことは原則ありませんが、現代ではさまざまな職種があり日曜日に働かなければならない人もいます。
その場合は他の日に休めば問題ありません。

ちなみに新約聖書を読まないユダヤ教では、何がなんでも安息日は固定された日です。

ユダヤ教とキリスト教のちがい
 キリスト教とユダヤ教の違いは平たく言えば、イエスを救世主として信じるか信じないか。両方の宗教で崇められる「父」は同一の神です。しかしイエスを神の子と見なさないユダヤ教は、イエス誕生後に書かれた新約聖書を聖書の一部として認めません。
ユダヤ教には
新も旧もなし

旧約聖書とユダヤ/キリスト/イスラムを簡単に解説

 

アダムとイヴが犯した罪

アダムとイヴところで、神は人を愛するがゆえに最初は不老不死の男と女を造られました。
さらに幸福に溢れる楽園に住まわせていたのですが、今の私たちは必ずを迎えます。

死は、重大な罪を犯したアダムとイヴ、つまり人への罰として与えられたもの
同時に女には産みの苦しみが与えられ、男は一生苦労して額に汗をかきながら糧を得るようにと楽園から追放されてしまったのです。

しかし、それでも神はやはり人を愛しており、聖書にある神の教えに従った者が死後復活し、永遠のいのちを約束されました。

あやか
罰を破れる環境におく必要はなかったのでは?と思うかもしれませんが、では、罰を破れないほどの束縛の上で生きていて満足なのでしょうか。それならば善悪のどちらかを選べる環境で、なるべく良くいられるよう努力して生きるほうが生き甲斐ある人生だと思います。
創世記によると、アダムの創造後、実のなる植物が創造された。アダムはエデンの園に置かれるが、そこにはあらゆる種類の木があり、中央には命の木と善悪の知識の木と呼ばれる2本の木があった。
それらの木は全て食用に適した実をならせたが、主なる神はアダムに対し善悪の知識の実だけは食べてはならないと命令した。その後、女(イヴ)が創造される。

ある日、蛇が女に近付き、善悪の知識の木の実を食べるよう唆す。女はその実を食べた後、アダムにもそれを勧めた。実を食べた2人は目が開けて自分達が裸であることに気付き、それを恥じてイチジクの葉で 腰を覆ったという。

この結果、蛇は腹這いの生物となり、女は妊娠と出産の苦痛が増し、また、地(アダム)が呪われることによって、額に汗して働かなければ食料を手に出来ないほど、地の実りが減少することを主なる神は言い渡す。アダムが女をイヴと名付けたのはその後のことであり、主なる神は命の木の実をも食べることを恐れ、彼らに衣を与えると、2人を園から追放した。―Wikipedia

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神が契約を改め、イエスが現れる

時代の変化により神は新しい契約が必要と判断され、イエスが生まれました。
人は増え、また良い意味でも悪い意味でも人に知恵がつき、環境が変わったからです。

例えば旧約聖書では一夫多妻制ですが、新約聖書からは認められていません。
最初は単純に人の数を増やし、男女の比率を補うために一夫多妻制を取っていました。

 

イエスの存在を信じる意味

聖書の勉強アダムとイヴが犯した罪のことを「原罪」と言いますが、それ以降も人々は神の教えに背くという行為をくり返してきました。

罪人は当然罰せられることになります。

しかし神はイエスに人の罪をあがないさせ、イエスを信じる者を救うことにしました。
神の子であるイエスは人々の罪をすべて背負うために生まれた罪なき人であり、人々の身代わりとなって十字架につけられたのです。

神は御子をこの世に送るほどに人を愛し、罪を犯しても悔い改めることによってゆるしを得ることができるよう契約を改めました。
新約聖書はイエスによって完成し、その教えを信じることで人は永遠のいのちを得ます。

あやか
イエスは、救世主を待つユダヤ教を完成させるために人として生まれました。しかし、ユダヤ教徒の中でもイエスを救世主として認めない者がいたために、ユダヤ教から分離してキリスト教というものが新たに出来たのです。また、ユダヤ教はイエスの存在と彼が不思議な力を持っていたことは認めています。

 

旧約に書かれた救世主の預言

イエスの誕生救世主であるイエスの誕生と生涯について、旧約聖書にはその千年も前から300以上の箇所で預言として言及されています。

また、イエスがベツヘレムで生まれナザレ人と呼ばれることも、どのように亡くなり復活するか、命を絶つ日まで記されているのです。

中でも、最も代表的な預言がこちら。

旧約聖書 イザヤ書7-14
 
それ故、主ご自身が、あなたたちに徴を与えられる。見よ、おとめ(処女)が身籠って男の子を産み、その名をインヌマエルと呼ぶ。
 
預言
インヌマエルという名ですが、これは聖書の中でもイエスの呼び方が複数あり、その内の一つがインヌマエルというだけ。
イエスに「(神は)救い」といった意味があるように、インヌマエルにも「神は私たちとともにおられる」という似た意味があります。

そしてこの「処女が身籠る」というのは人の知恵で書けることではありません
この預言を神の啓示として書き留めたイザヤという男性も、「自分はいったい何を書いているんだ」と思っていたに違いありません。

 

ほかの誰よりも神を愛せよ

祈る天使非キリスト教徒が聖書をふつうに読んでいると、なんとも自己愛の強い神だと感じられる箇所が多く見られるかもしれません。

いったい、どうしたら「姿もカタチも見えないような神」を神が仰せになる通り、ほかの誰よりも愛することができるのでしょう。

マタイ10-37

わたしよりも父や母を愛する者は、わたしにふさわしくない。わたしよりも息子や娘を愛する者は、わたしにふさわしくない。
これは「家族や友人を愛するな」という意味ではないことに注意してください。
むしろ愛するべきだと神は教えています。

それでも神を最も愛すべき理由は、どんなに夫や妻、家族、友人を信頼し、愛していても裏切られることがあるからです。
万が一愛する人に欺かれたならば、目の前の愛する人を本当に信じるべきでしょうか。

あやか
人は人を欺き、時に裏切りますが、神は決して人を欺きません。それならば、最初から神を最も愛していると認めることができるのがキリスト教徒のあるべき姿勢なのです。

 

まだ実現していない最後の預言

イエスの再臨イエスは生前に預言した通りに死後3日後に復活し、人々の前に現れました。
そして40日間にわたって神の国の教えを説き、死後の復活を身をもって証明します。

一方、自身の再臨に関する預言はまだ実現しておらず、それが実現した先に待っているのが永遠の幸福、つまり天国といわれます。

よくハルマゲドンと言われて恐れられるのは、再臨する前触れとなる人類の終末。
迫害や地球規模の大災難が訪れた後、天国または地獄のどちらへ行くかの選別最後の審判)が神によって下されることになります。

救われるのは、神の教えに従った者。
ここでキリスト教に関する解説はいったん終わりますが、死後についてもう少し詳しく知りたい方は次の記事をお読みください。

【神のいる世界に賭けよ】死後、天国へ行くまでは海外旅行とよく似ている

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この記事のまとめ
 多くの日本人にとって聖書の内容は、壮大な物語のように感じるかもしれません。死者が生き返るというのも、にわかには信じがたい話。しかしキリスト教徒にとってキリスト教は宗教というよりも、生きる意味そのものです。そしてイエスは歴史上確かに存在した人物であり、科学的にも神が存在することは否めません。
布教目的で当記事を書いたわけではありませんが、少しでもキリスト教に関心を持っていただけたのであれば嬉しいです。あなたに神のご加護がありますように。

【信者が徹底解説】キリスト教の最大教派・カトリックってどんな教え?

 

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3 件のコメント

  • アバター クタビレッチドツカレンスキー より:

    この様子だと冬寒いのでしょうね?「連帯」とか「アウシュビッツ」しか知りませんでした。どんな感覚で考え方で行動するのか?このページで勉強してみたくなりました。一度パックツアーで行ってみたくなりました。東ヨーロッパは素朴とか農業国というイメージもあります。

    • アバター Ayaka より:

      クタビレッチドツカレンスキー様

      コメントありがとうございます。
      最近のポーランドは2週間少し前までは猛暑のようでしたが、すっかり秋になってしまいました。
      とは言っても、木にはまだ緑の葉っぱが生い茂っています。
      こんな感じでは冬が思いやられますが、また暫く経つと暖かくなってくるのかもしれません。
      ポーランドの冬はもちろん寒いですが、観光客が減り、落ち着いて観光できるシーズンでもあります。
      ぜひ、ご旅行をご検討ください。

  • ※当コメントは2020年4月25日に削除した記事(後半)のコメント欄をコピペしたものです。削除した記事の内容は当記事に統合しました。

    虫生 孝
    悪意に満ちた噂やデマを、無批判に受け売れてしまう人たちが、私も含めて多いのでしょうか、もっと勉強したいのですが、わかりやすいカテキズムの本が容易に入手出来ればいいのですが(最近、カトリックに行きだしたので、マリア、聖人の崇敬と崇拝、ロザリオの祈りを受け入れることができません)

    虫生 孝さんへの返信
    はじめまして、当ブログ管理人の綾香です。
    私も最初は恥ずかしながら、そのようなデマに惑わされました。今思うと失礼な話ですが、カトリックである夫に有る事無い事の真偽を確かめては真剣に話し合い、彼も真面目に取り合ってくれたのは感謝です。
    私自身は経験なカトリック教徒と呼ぶにはほど遠いかもしれませんが(23年間共にした習慣や考えを断ち切るのはやはり簡単ではありません…)、イエス・キリストは信じていますし、他のキリスト教の教義ではなくカトリック教会で学べたことはよかったと思っています。
    カテキズムの本はamazonでいくつかの本のレビューを見ることができるので、その中でご自身に合うと思ったものをお選びになるのがよいでしょう。私も結局のところ、amazonで購入したものをポーランドに取り寄せて学びました。

    あいあい
    キリスト教に対して全く無知の私です。期待を込めて読ませていただきました。
    私の周りにキリスト教が多く、会話をしててとても前向きな気持ちになれる事が多いので教えは良いのだと思います。
    自分自身はキリスト教に興味がありますが決定的に信じようと思う気持ちになれません。聖書も最初の数ページ読んでみましたが全く理解できませんでした。しかし未だ興味はあります。

    あいあいさんへの返信
    キリスト教徒がイエス・キリストを信仰する理由をこの記事だけでまるっきり理解するのは、人によっては難しいかと思います。
    それは生まれた国や環境で、いつの間にか身についてしまった情報や知識も関係しているのでしょう。
    ただ、少なくとも生まれた時からキリスト教徒であったり、完全にキリスト教に染まっている(この言い方は正しいのか分かりませんが…)人から聞くキリスト教についての話は、すんなりと入ってこないことが多いです。
    私としては、この記事のような説明であれば、最初から幾らかはすんなり理解できたと思っています。

    ただこの記事は、信者ではない人をキリスト教に改宗させるために書いたものではありません。
    信者ではない人がこの記事を読んでキリスト教に興味は持ったとしても、信者になるかはまったく別の話です。
    この記事ではタイトルの通り、キリスト教徒がイエス・キリストを神であると見なす理由はわかると思うのですが、信者ではない人がイエス・キリストを神であると信じるには足りない部分があるはずです。
    子供の頃からキリスト教徒だったわけでもない限り、完全な信仰心というものは私自身の経験からもそう簡単に得られるものではないと思っています。
    ちなみに、多くのカトリック教徒は日頃から熱心に聖書を読んでいるわけではありません。
    聖書を読むだけで信仰心が得られることはごく稀だと思います。

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