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【神のいる世界に賭けよ】死後、天国へ行くまでは海外旅行とよく似ている

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クラクフ市公認ガイドのカスプシュイック綾香(本名)です。2014年以降、ポーランド在住。ガイド・通訳業の傍ら、旅行や生活に欠かせないポーランド情報をお届け中!
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この記事の内容
 ポーランド人の夫との出会いを機にカトリック教徒になった私ですが、それ以前から死後の世界には関心がありました。オカルトな話ではなく、科学的視点からも、私たちの住むこの世界は何者かによって造られたものであることは間違いありません。それくらい、私たちは「完璧な世界」にいるのです。
 
 ここまで完全な世界を造り上げた創造主が、死んだ後は「無」という設定を考えるでしょうか。人間いつ死ぬか分からないからこそ、こういったテーマに向き合うことは大事だと思います。
 
教会
この記事の目次
神は存在するかという賭け
キリスト教徒は死を恐れない
信仰しなくても救いはある?
最後の審判で救われる者とは
この記事のまとめ


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神は存在するかという賭け

死後の世界誰しも、パスカルという有名な数学・哲学者の名を聞いたことがあるでしょう。
そんなパスカルが説いた「パスカルの賭け」、これが妙に説得力のある賭けなんです。

パスカル
仮に生きている間に無信仰であったとして、死後が無であればそれでいい。一方、何かを信仰していたとして、死後が無の世界なら失うものは何もない。ただ、信仰すべきものが実際に存在した時の【無信仰者の代償】は計り知れないだろう。
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無信仰や無神論を貫く人たちを否定するつもりはありませんが、神がいないことについて裏を返せばこういうことが言えるのです。

この賭けは神の実在の証明ではなく、得る時は全てを得、失うときは何も失わないことを前提に「神が存在することに賭けるのは賢い」という考えを確率論の領域で主張したもの。

神が存在しないという理性が信頼できるならば、賭けはそもそも必要ありません。

 

キリスト教徒は死を恐れない

イエスの再臨さて、キリスト教というのは「イエス(神)が説いた教え、死後の復活と永遠のいのち(楽園/天国)を信じる」宗教です。

永遠のいのちが与えられることを「救い」といいますが、もちろん信仰が伴うもの。
キリスト教をあまりご存知でない方はこちらの記事を先に読んでいただければ幸いです。

【要点のみ解説】旧約・新約聖書の内容とキリスト教徒が神を信じる理由

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死を恐れない 私は、現世で神を信仰することは死後を楽しむための準備だと思っています。

分かりやすく捉えるために、例えば、念願の海外旅行へ行くとしましょう。
何ヵ月も前からスケジュールを立て、ガイドブックを読んで、ホテルを吟味し、出発が数週間後まで迫ると体調を気遣ったりと、海外旅行を楽しむために最善の努力をしますよね。

言わば、この海外旅行がキリスト教でいう楽園であり、観光地やホテルなど現地情報が載っているガイドブックが聖書、体調を気遣うメンテナンスが信仰だと思ってください。

準備を怠っていると… でももし忙しさや怠慢を理由にまったく準備をしていなかったら、どうなりますか?

きっとワクワク感は少ないでしょうし、直前にやっと準備を始めて、それでもまだ実感がなかなか湧かないこともあるでしょう。

そういった人は「もっと調べておくべきだった」と後悔することになると思いますが、このようすは死の直前になって物足りなかった人生を後悔するのと似ているかもしれません。

 

信仰しなくても救いはある?

聖書の勉強しかし、準備をしていなくてもパスポートさえあれば海外へ行くことはできます。

これと同じで、人を愛する神が真面目に生きてきた人に向かって「残念だけど、あなたはキリスト教を信仰しなかったから地獄行き」なんて理不尽なことを言うでしょうか。

少なくともカトリックの考え方としては、キリスト教徒であるかどうかは関係なく、献身的に真面目に生きてきた人は誰でも永遠の救いに達することができると信じています。

あやか
新約聖書には「イエスを信じる者を救う」とあるので、「イエスを信じなくてもいい」と言っているわけではありません。ただ最終的に神の教えは皆に伝わることになっているので、仮に生前信じていなかったとしても最後の審判(後述)の前に信じることが出来れば、救われる可能性はあるとも考えられます。
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反対に、洗礼を受けた人は皆もれなく天国行きということもありません。

道徳や倫理に反する大罪を犯し、それを悪びれもしない人に救いの道はないのです。
いくら念入りに下調べをし、パスポートがあっても素行が悪ければ入国できないのと同じ。

また、神を信じていなかったとしても救われる可能性があることを読み取れる部分として、旧約聖書にこのような記述があります。

出エジプト記20-6 

わたしを愛し、わたしの命令を守る者には、千代にまで変わらぬ慈しみを与える
しかし「家族にキリスト教徒が一人でもいれば神を信じなくていい」という意味ではなく、神の教えを十分知っているにも関わらず信仰を無視することはよくありません

逆に言えば、死んでから救われるチャンスが絶対あるとは言えないのです。

もし関心があるならば、ぜひ気軽にカトリック教会のミサに行ってみてください。
世に数万という教派があるプロテスタントのことはよく分かりませんが、少なくともカトリック教会では入信への勧誘はありません。

ピオトル
かつてはすべての教会が、信者以外は救われないと述べていました。一部の聖書で陰府よみ(旧約聖書の時代に亡くなった人々が行ったとされる場所)を地獄と誤訳したものがあり、そのため「イエスを信じない者は地獄へ行く」という解釈が広まってしまったのだそうです。

 

最後の審判で救われる者とは

最後の審判聖書は「ヨハネの黙示録」というこの世の終末に関する章で最後が締めくくられます。

その時にイエスが再臨し、イエスが死後よみがえったのと同じように死者は復活します。
そして最後の審判が行われ、天国か地獄行きを生前の行いによって判断されるのです。

天国と地獄が具体的にどういった場所か、実は聖書には記載がありません。
ハッキリと言えるのは、天国に行く者は永遠のいのちと幸福が与えられるということ。

天国に行けないかも しかし生前に悪い行いをしてしまった人が即座に地獄行きとなるわけではありません。

イエスの死後、イエスの教えや奇蹟きせきを信じた使徒パウロという宣教者がいます。
イエスを信じる前の彼はキリスト教徒を迫害し、教会を荒らしていましたが、使徒パウロは回心したので神は彼を受け入れました。

要するに自身の犯した過ちを悔い改め、少なくとも最後の審判までに神を信じられる者が救われると解釈できるでしょう。
ただ「生前の信仰」であれば確実ですが、「死後の信仰」は存在しないかもしれません。

あやか
カトリックでは、天国と地獄の中間的存在とも言われる煉国れんごくというものがあると考えています。煉獄へ行くのは「地獄に落とすほどではないが天国にはまだ行かせられない」といった人。煉獄へ行ったとしても最終的には天国へ導かれます。天国に関しては「4. 天国は想像すらできない場所」もお読みください。

【信者が徹底解説】キリスト教の最大教派・カトリックってどんな教え?

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この記事のまとめ
 多くのキリスト教徒にとって、キリスト教は宗教という感覚ではありません。表向きには便宜上「宗教」と言いますが、イエスを信じることが人生そのものです。聖書を理解すればするほど、科学を知れば知るほど、私たちが創造主によって設計された世界、体で生きていることが分かるでしょう。もしあなたが聖書の教えを「信じるに値しない」と言うのなら、まずはこの宇宙、生命体がいかに出来すぎたものであるかを知る必要があると思います。
 
キリスト教に関心を持つ方が一人でも増え、そして神を信じるという賢明な選択をなさいますように。私も、キリスト教の信仰へと導いてくれた夫との出会いに感謝しながら生きていきたいです!

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最後までお読み頂きありがとうございます☆
あやか
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4 件のコメント

  • アバター ぬん より:

    自分はまだ18歳の青二才ですが…神様を信じています。と同時にこの世界にある全ての宗教の中でも最近はキリスト教が1番素晴らしいこと言ってるなって思います。故に成人した頃にはキリスト教を本気で信じたいとも思っています。自分のしてきた罪を悔い改める毎日を送るために。しかし自分にはキリスト教において分からない事がありまして…キリスト教は誰を信じるのですか?神様ですか?イエス様ですか?精霊ですか?
    ご回答お願いします。

    • アバター Ayaka より:

      こんにちは、管理人の綾香です。

      私が個人的な相談に乗ることは難しいですが、もしキリスト教への迷いや分からないことがあるのであれば教会に行ってみてください。
      キリスト教では、三位一体である唯一の神を信じています。三位一体は、父と子と聖霊を指し、その本質は一体です。ですから、イエス・キリストを信じるということは、父なる神、聖霊を同時に信じることになります。

      • アバター ぬん より:

        ご回答ありがとうございます。
        そうでしたか…。神様を信じるということは三位一体の全てを信じる事に他ならないのですか…。
        その全てを信じ、己の罪の重さを理解し正す事で天に愛されるのですか??

        • アバター Ayaka より:

          はい、仰るとおりです。
          ただ、頭では理解できたとしても信じることは簡単ではありません。私も洗礼までの勉強中、何度もつまづきました。
          本当にご自身がカトリックの考えに沿うかどうかという点も踏まえ、教会と向き合ってみてください。
          聖書は難しいので、児童向けの聖書に関する絵本などをまず手にとってみられることをおすすめします。

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