マイダネク強制収容所3 尊い命が行きつく場所



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この記事で、マイダネクについては最終回にしたいと思います。

マイダネク強制収容所2 そこで何が起こったのか

2016.08.25

マイダネク強制収容所 囚人が収容所に到着した日

2016.08.24

 

マイダネクに収容された人々

「ゆっくり急ぐ」という意味を持つ

「ゆっくり急ぐ」という意味を持つ

こちらの亀のモニュメントは、展示物の中でもひと際目を引いているもの。

これは Albin Maria Boniecki という囚人により、「ゆっくり急ぐ」の象徴として作られました。囚人にとっては働くことの抵抗を表したそうですが、SS側からするとただの飾りだったそうです。

上の写真の奥に何人かの顔写真や似顔絵が見えますが、彼らはマイダネクに収容された囚人達で生存者も数人います。

マイダネクに収容された人々

img_2938.jpgロムアルド・シュタバ
1913年、ドンブロヴァ・グルニチャ(ポーランド)生まれ。医者。1941年1月、秘密団体に属していたことを理由に逮捕され、アウシュヴィッツ強制収容所に収容された後に同じ医者であった囚人グループと共にマイダネク強制収容所へ移送される。マイダネクでは囚人番号16が与えられた。収容所内の病院にて医者として働き、またその一方でレジスタンスグループの中心人物でもあった。1944年4月、マイダネクの解体に備えてグロスローゼン強制収容所に移送され、後にリトムニェジツェ収容所(チェコ)に移送。戦後はグダニスク医学大学にて小児外科の教授を務める。ドイツ、デュッセルドルフで行われたマイダネクでのナチスの犯罪を問う裁判では、証人となった。2002年に他界。

イェジェ・ペッフェル
1908年、ワルシャワ生まれ。会計学と経済学を学んだ後に結婚し、1936年に長男イグナツェが誕生。イェジェは父と共に革製品の貿易会社を設立した。ポーランドがドイツに占領された時、ワルシャワのゲットーで働いていたが、ワルシャワゲットー蜂起の後に彼の家族と共にマイダネクに収容される。そこですべての家族と親戚を失う。1943年6月21日、ルブリン周辺にあった製材所から脱走し、ワルシャワに到着。隠れ家で暮らしていた。ワルシャワ蜂起に参加し、敗北の後に名字をジェリニスキに改めた。戦後はウッヂに住み、1946年に再婚。その1年後にアメリカへ移住し、1999年に他界した。

ウルシュラ・トフマン – ヴェルツ
1930年生まれ。家族と共にタルノグルド(ポーランド)から強制移動を命じられ、ズヴィエジェニェツにあった収容所に収容された後、マイダネクへ移送。1943年夏、家族と共に第三帝国の労働者となり、2年後に帰還。戦後、以前に会計士として働いていたワニツトに暮らしていた。

ブロニャ・ゼスマン
1930年、有名なルブリンの仕立て屋の娘として生まれる。1926年に生まれた姉バシャと共にマイダネクのゲットー解体(1942年11月28日)の後、マイダネクに収容される。姉の命を守るために、ブロニャは自身を姉より年上だと主張し、誕生日を1927年10月28日とした。1943年5月21日、既に姉が投獄されていたルブリン城の牢獄に66人の女性囚人グループと共に投獄され、裁縫婦として働いた。しかし、1944年7月22日、城で集団処刑される。ソ連の支援によってルブリン政権が樹立した前日のことだった。

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囚人一人ひとりに彼らのようなエピソードがあり、その一方、名前すら記録に残されず命を落とした人も数えきれない程います。ここでの死者数は(たったの36ヶ月の間に)推定8万人とされていますが、実際にはそれ以上の人々が命を落としたんでしょうね。

収容所での死者も多いですが、ポーランド国民のナチス・ドイツへの抵抗(各地で起こった蜂起)により、失われた命も決して忘れてはいけません。

第二次世界大戦中、日本で亡くなった民間人は80万人、ポーランド人では民間人600万人と言われています。

日本よりも面積の小さいポーランドがどれほど激戦と化していたか、そしてナチスによる迫害がどれほど酷いものだったか、その規模がこの数字だけでも読み取ることが出来るのではないでしょうか。

 

奪われた10,000の靴

遺品

バラックに敷き詰められた大量の靴

先ほどのバラックを後にし、次に入ったバラックでは思わずゾッとしました。

これらの靴はガス室で殺されたユダヤ人達のものです。マイダネクは巨大な敷地や倉庫を持っていたことから、他の収容者のガス室で殺された人々の靴も輸送列車で運ばれ、ここに保管されました。

この靴の数以上に失われた命

この靴の数以上に失われた命

男性、女性、子どもの靴…。

その靴を履いていたであろう人々の姿が目に浮かんできます。マイダネク解体後に見つかった靴の数は、約430,000足だったそうです。恐ろしい。

もちろん、ここで見つかった数であって全体のほんの一部に過ぎません。

 

ついに端の方に来た…

バラックの見学はここで終了

バラックの見学はここで終了

たくさんのものを見てきたせいか、随分と歩いてきた気がしましたが、まだようやく敷地の端に来ただけです。

当時、この4キロにも及ぶ道は囚人によって作られ、皮肉にも使われた石は壊されたユダヤ人の墓でもありました。またルブリン・ゲットーを建設する際に壊された家の瓦礫なども使われました。

一度入ったらもう終わりの世界

一度入ったらもう終わりの世界

1944年3月16日、ここから複数の囚人達が脱走したというニュースが収容所内に一気に広まります。

逃げた囚人達は夜、白いシーツを被り、雪を這うようしにて予め決めたルートを進み、有刺鉄線に近づきました。途中でSSのガードをやっつけ、見張りの塔に火を付けたことも一度あったようです。

これらの脱走した囚人達の存在が分かったのは点呼の時ですが、またその数日後にも脱走が起こり、なんと明るい時間帯に発生した日もあったとか…。

無数にあるようにも思える監視塔

無数にあるようにも思える監視塔

SS隊員の監視だけではなく、有刺鉄線が敷地を二重に囲んでいる環境で逃げ出したとは並大抵の体力ではありません。またその分、背負わなければいけないリスクもかなり高かったでしょう。

ちなみに収容所は外部の世界と遮断するための監視が厳しく、2.2mもの高さの有刺鉄線には高電圧が流れており、その周りには18の監視塔、そしてその塔には動くサーチライトと機関銃が備え付けられ、24時間の見張り、200頭のシェパード犬が飼われていました。

 

そして死体焼却炉へ

奥の煙突が死体焼却炉

奥の煙突が死体焼却炉

最初に見学したガス室からこの焼却炉までは随分と長い道のりです。

この道を通りながら私が思うことといえば、人間の愚かさと怒りしかありませんでした。どうして、ここまで人は残酷的になれるのでしょうか。

囚人の遺体への冒涜

私たちが死亡率について話す時、同時に亡骸のことを考える。この収容所で起こった最も恐るべきことは、正確に言えば、亡骸に対する尊厳である。

生きていた時に残酷な扱いを受けた人々は、死後も尚、残酷な扱いを受けた。女性達がガス室で殺され、遺体を葬られた時、彼女達の生きた証といえば焼却炉の煙突から出る煙だけだった。[…]最初の恐怖は、遺体から金歯を抜くことだ。[…]「死体運び」は朝に男性のゾーン(収容所は男性や女性、子どものゾーンに分かれていた)からやって来て、一輪車に死体を投げ入れ、収容所中を運んだ。一輪車はとても浅くて小さく、死体の手足がもつれあっていた。時々、それらの遺体が地面を引きずってさえいた。

入る前はぞくぞくと寒気が…

入る前はぞくぞくと寒気が

この死体焼却炉(クレマトリウム)では遺体が焼かれただけではなく、1943年秋から解体されるまでの間、死刑が執行された場所でもありました。その空間もまだここに残っています。

建物は再建されたものですが、中で見ることのできる炉は当時のままの姿。

そして、クレマトリウムには管理事務所、シャワールーム、検死室、遺体を保管するための2つの倉庫、そして燃料を保管する倉庫が隣接していました。

ちなみにアウシュヴィッツでは、実際に人々がガス室に入って行き、ガス室へ入れられ苦しみ、そして灰になるまでの一連の流れを見ることができるクレマトリウムの模型があります。

灰となった遺体は収容所内の農園の肥料になったそうですが、ここからも遺体への冒涜が強く感じられますね。

クレマトリウムの近くにある霊廟

クレマトリウムの近くにある霊廟

円形ドームの霊廟では、焼却された人々の遺灰を見ることが出来ました。

あえて、そこで見たものの写真はここでは載せませんが、こういうのを見て「怖い」とか「楽しい旅行なのに、わざわざこんなネガティブな場所に行きたくない」と思うのであれば、それはただの平和ボケに過ぎないでしょう。

ここで私たちの見学は終わりましたが、本当に複雑な感情に包まれました。

それでも私たちが人を赦(ゆる)さねばならないのなら、これほど難しいことはありません。話は飛ぶようですが、カトリックの洗礼を受けてから「私たちも人を赦します」という言葉を毎日耳にするので、そんなことをふと思いました。

この場所が博物館として公開されている以上、これからも多くの人々がここを訪れます。そこで感じたことを常に忘れないようにするのは難しいでしょう。

しかし、歴史を忘れる者は同じことを繰り返すという事実は決して忘れないでください。ここで亡くなった尊い命が無駄にならないように、少しでも多くの方にここを訪れてほしいです。

レポートおわり
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※今日のポーランド語はお休み

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あやか
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