宗教を信仰する理由、キリスト教のいう死後



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私は仏教の家系で生まれましたが、仏教行事は横目で見る程度でした。

関心がまったくなかったというわけではありません。でもお葬式にも出たことがない私にとって、仏教行事といえばお盆にお坊さんが家に来ることくらい

多くの日本人のように宗教に関しては寛容な態度というか、八百万の神を信じながらも仏教的な考えを受け入れているタイプだったのは確かです。
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そんな私がカトリックとなった理由はこちらの記事をご覧ください。当記事では “信仰する理由” を中心に書いています。

私たちの国際結婚2 〜ちょっとした問題〜

2015.10.28

 

このページの目次
1. 神は存在するという賭け
2. キリスト教徒になる意味
3. 地獄へ落ちるのは誰か?
4. 最後の審判とは…
5. 結局救われるのは誰か?

 

神は存在するという賭け

ところで、”パスカルの賭け” をご存知でしょうか?あの有名な数学(哲学)者、パスカルが説いた話なのですが…。
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パスカル
仮に生きている間に何も信じていなかったとして、死後が無であればそれでいい。一方、信仰していたとして、死後に何もなかったとしても無であるのだから失うものは何もない。ただ、信じている者が信仰しているものが実際に存在した時の無信仰者の代償は、計り知れないだろう。
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なるほど。

一般論からすると、自分さえ納得してそれが正しいと思うのなら、信じる宗教は何 でもいいと思うんです。

もちろん健全な宗教に限りますが。

ただ困ったことに宗教に属していると損だと言わんばかりに信者を批判する人が多いのも事実。しかし、そうやってむやみに批判する人こそ特にこのパスカルの賭けを知るべきかもしれません。

無信仰者を批判するつもりはまったくありませんが、裏を返せばこういうこと。

パスカルの賭けは、

一か八かでも神はいるという方に賭けた方が賢いと言っているのです。
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こう言うと必ず「もし神がいなかったら信仰にかけた時間は無駄じゃないか」と反論する人がいますが、神がいた場合の報いを考えるとそんなことはふつう思わないでしょう。ちなみにここでいう神はキリスト教の神に限定しません。

補足説明
この賭けは、神の実在の証明ではありません。「得る時は全てを得、失うときは何も失わない」として神が存在する方に賭けるという判断が賢いということを確率論の領域で主張したものです。また神が存在するかどうかという問題においては理性が信頼できるなら、賭けはそもそも必要ありません。
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 キリスト教徒になる意味

さて、ここからはキリスト教に限定してお話ししようと思います。

多くの日本人にとってはあまり馴染みのないキリスト教ですが、 皆さんは “キリスト教徒がキリスト教を信仰する理由” をご存知でしょうか。
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それはものすごく単純に言うと、死後の楽園(天国)に行くためです。

これをキリスト教では救いといいますが、もちろん無条件で楽園へ行けるわけではなく信仰が伴います。どんな信仰かについてはこちらをご覧ください。

なぜキリスト教徒はイエスを信じるのか 前編

2015.10.30

 

私は、キリスト教徒になるということは、死後という終盤を楽しむための準備だと思っています。

もう少し分かりやすく言うと…
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旅行の計画!

素晴らしい旅行にする計画!

例えば、人生初の待ちに待った海外旅行へ行くとしましょう。

早ければ半年前から具体的に計画し、ガイドブックをたくさん読み、ホテルを吟味し、数週間前からあれこれと体調を気遣ったりと、海外旅行を最高のものにするために最善の努力をしますよね。

もう数ヶ月前からすごくワクワクして楽しみで仕方ないと思います。

この海外旅行がキリスト教でいう楽園で、観光地やホテルなど現地の情報がたくさん載っているガイドブックは聖書、体調を気遣うメンテナンスが日曜日のミサだと思ってください。

 

でも、もし全く準備をしていなかったらどうなりますか?ギリギリまで仕事をしていたらどうなりますか?

もうすぐなのに、まだ実感がない

もうすぐなのに、まだ実感がない

きっと準備をちゃんとしていた人よりもワクワク感はないし、飛び立つ数週間前にやっと準備を始めて、それでもまだ実感が湧かないでしょう。そして

もう来週海外旅行!

なんてカレンダーを見ながら呟いているのではないでしょうか。
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そういった人は海外旅行中、「もっと調べておくんだった」なんてことがたくさんの場面で出てくるはず。

このようすは、死の直前になって「もっとちゃんと◯◯◯をしておくべきだった」「死んだらどうなるんだろう」と、とてつもない後悔や不安に襲われる人と同じように見えます。

 

もちろん上手く切り抜ける人もいるでしょうが、なかなかそうはいきません。やはり事前の準備は大事なこと。

 

地獄へ落ちるのは誰か?

しかし、なんだかんだ準備をしていなくてもパスポートさえあれば海外へ行けます。それなりに思い出をつくることだってできるはず。だから、
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キリスト教徒以外は
問答無用で地獄行き

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これは、ただの脅しは?

これは、ただの脅しでは?

愛に溢れた神が、真面目に生きてきた人に向かって「残念だけど、あなたはキリスト教を知らなかったから地獄行き」なんて理不尽なことを言うでしょうか。

入国審査官が「あなたは準備を念入りにしていなかったようなので、入国を拒否します。」なんて言うでしょうか。
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少なくともカトリックでは、キリスト教を知らない者や信仰しなかった者、あえて洗礼を授からなかった者でも献身的に真面目に生きてきた人は永遠の救いに達することができると信じています。

新約聖書には「イエスを信仰する者を救う」とはっきり書いてあるので、「イエスを信じなくてもいい」と言っているわけではありません。

ただ最終的には、神の教えは皆に伝わることになっているので、仮に生前信じていなかったとしても最後の審判(後述)の前に信じることが出来れば救われる可能性があるということです。

「じゃあ結局、イエスを信じないといけないんじゃないか」という捉え方もできますが、洗礼を授からなかった者でも救われる可能性があるとするのと、そうでないのとでは大違い。
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反対に、洗礼を授かった人はもれなく天国行きということもありません。

大罪を犯し、それを悪びれもせず悪に悪を重ねていると教会から破門されます。これはカトリックにおいてで、一部プロテスタントでは「洗礼を授かった時点で天国行きは保証されている」と教えているところもあるようですが、そんなうまい話は恐らくないでしょう。

パスポートがあっても素行によっては入国させてもらえませんよね。

補足説明
カトリックにおける大罪とは一般的にまじない、妖術、悪魔崇拝、偽りの誓い/誓約違反、殺人(安楽死、いかなる理由の中絶も含む)、自殺、強姦、離婚、姦通(婚前交渉も含む)、一夫多妻、偽証など。これらの内、罪を告白し悔い改めることで赦(ゆる)しを得られるものもありますが、救いようがないとされる罪もあります。

 

しかしかつてはすべての教会が、それもつい最近まで、信者以外は救われないと本気で信じていました。

これは、一部の聖書では誤訳として、死者が行く場所である陰府(よみ:イエスの誕生以前に亡くなった人々が行ったとされる場所)を地獄と訳したものがあり、そのため「イエスを信じない者は地獄へ行く」という解釈が広まってしまったからだそうです。

あるいは、そうでも言わないと布教しにくかったのかもしれません。
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また、信者に限らず救われるというのが読み取れる部分として聖書の始めの方にこのような教えがあります。
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旧約聖書 出エジプト記20-6 
わたしを愛し、わたしの命令を守る者には、千代(ちよ)にまで変わらぬ慈(いつく)しみを与える。

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つまり、自分の家族がキリスト教の神を信じていなくても自分自身が信じているのならば、先祖も子孫も千代に至るまで皆その祝福を受けるということ。

しかし当然、道理に外れた生き方をすればそれなりの試練が与えられます。

 

最後の審判とは…

聖書によると人類の終末にイエスが再臨し、最後の審判を行うとあります。
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最後の審判

最後の審判

この審判のときに死者は皆復活し、天国行きか、あるいは地獄行きかを生前の行いによって判断されるのです。

しかし、天国と地獄がどういった場所かは具体的には分かりません。ハッキリと言えるのは天国は幸福に満ちており、地獄は苦しむ場所だという抽象的なこと。

死後の世界が天国と地獄の二択である以上、天国へ行きたいと思うのは皆いっしょです。だからキリスト教においては特に、この世でどう生きてきたかというのが非常に重要視されます。

仏教のように生まれ変わり(良い方向へ変わる)という考えはないので、一度このどちらかの判決が下ったらもう運命は変えられません。仮に煉国(れんごく:天国と地獄の中間の場所)へ行ったとしても最終的には天国へ導かれるので、やはり二択と言っていいでしょう。

 

ただし、客観的にどうしようもなく悪い人生を送っていたとしても即座に地獄行きと判断されるわけではありません。

新約聖書にはイエスの死後キリスト教徒となった、使徒パウロという大変重要な人物が出てきますが、イエスを信じる前の彼はキリスト教徒を迫害したり、教会を荒らしていたそうです。

そんな使徒パウロがイエスを受け入れた経緯はともかく(話しが長くなるので…)そういった人をも神は受け入れてくれました。つまり、どんな過ちを犯したとしても改心/回心することによって救われるということです。

言い換えれば、最後まで悪を貫き通してしまった人の場合、ほぼ間違いなく地獄へ行くことになるでしょう。

 

天国についてもう少し詳しく知りたいという方は関連記事の「5. 死後はどのような場所か」をお読みください。

キリスト教、カトリックってどんな教派?

2015.12.11
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結局救われるのは誰か?

キリスト教ではどういった者が救われると教えているのか。

それは、自身の犯した過ちを悔い改めることができ、最後の審判で神を信じることができた者。とてもシンプルです。

“悔い改め” という言葉は聖書の至る所に見られますが、要するに悪いことは悪いと認め、仮に過ちを犯しても反省し、それを改善しようとする努力をしろと言っているだけなんです。

そこにはもはや、信仰など関係ありません。悔い改めることは、人として当然のことではないでしょうか。

 

長くなったので、今回はここまでにしておこうと思います…。これからもキリスト教やカトリックについての記事を書いていきますが、これはポーランドの文化を紹介する上でも不可欠なこと。

ぜひ次の記事もお読みください (o^ ^o)

 

最後までお読み頂きありがとうございます☆
あやか
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