ショパンを生んだ国ポーランドの音楽史を振り返る



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前回の記事、気付けば7000字近くもの大作になっていました。

ポーランドの興味深い音楽文化を探ってみました

2016.11.24
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今回はどちらかというと得意な歴史ネタですが、音楽の歴史を書くのは初めてです。最初に断っておきますが、私は音楽ワードには精通していません。もしおかしな表現があれば、教えてください!
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このページの目次
1. 初期のポーランド音楽
2. 17世紀前後の著しい発展
3. 国を代表する音楽家の登場
4. この記事のまとめ

 

初期のポーランド音楽

ポーランドの音楽は宗教で始まる

ポーランド音楽は宗教が原点

10世紀に建国されたポーランド王国、その当時から現代まで信仰深いカトリックの国として存在してきました。

ポーランドの壮絶な歴史1 ポーランド初期

2015.11.30
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映画でも現実でも教会のミサを見たことのある方はご存知だと思いますが、ミサに音楽(聖歌や賛美歌)は欠かせません。そう、ポーランド音楽史にとっての初めての音楽は聖歌なのです。

 

最初の歴史は13世紀に遡る

13世紀以前にも民謡などはあったと思いますが、残念ながらそれらの記録は書物では残っていません。

ポーランド音楽の起源は、ノヴィ・ソンチュというスロバキア国境に近いポーランド南部の町で見つかった楽譜にあります。その楽譜はパリのノートルダム楽派の影響を受けていますが、あまり詳しいことは分かっていないようです。

ノートルダム楽派

12世紀半ばころからほぼ1世紀にわたって,パリのノートル・ダム大聖堂を中心に栄えた中世ポリフォニー音楽の楽派。それまでのポリフォニー音楽がグレゴリオ聖歌のリズムに準じていたのに対し,長短の音符の組合せによって3拍子を基本とする厳格なリズム体系を確立して音楽史に画期的な革新をもたらした。出典:コトバンク

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1407年に書かれた楽譜

1407年に書かれた楽譜

また、同じように宗教音楽の「ボグロジツァ(神の母)」という聖歌が、同時期に作曲されたと言われています。

この曲の歌詞はポーランド語で書かれており、ポーランド最初の国歌という位置づけ。事実、1410年のポーランド史上初の大きな戦い、「グルンヴァルトの戦い」でこの曲がポーランド軍によって歌われていたことも分かっています。

ちなみにグルンヴァルトの戦いとは、ポーランド・リトアニア連合軍が強敵ドイツ騎士団を打つ破ったという、中世ヨーロッパ最大規模の戦いです。

詳しくはこちらの記事の最初の方で解説しています。気になる方はどうぞ。

7分で分かるポーランドの歴史!建国から独立まで

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16世紀に急激に発展

クラクフの中央広場

クラクフの中央広場

16世紀になると、当時の首都クラクフを拠点にして音楽が繁栄します。

その中でも特に、歴代国王の居城であったヴァヴェル城に仕える宮廷音楽家が活躍しました。代表的なのはヴァツワフ・シャモトゥルスキ、ミコワイ・ジェレンスキ、ミコワイ・ゴムウカ、そしてディオメデス・カトーの5人です。

この5人のプロフィールに興味があったので、ちょっと調べてみました。
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ヴァツワフ・シャモトゥルスキ
(1520〜1560)

ポズナン近郊のシャモトゥイという町に生まれたことから、シャモトゥルスキという名字が後に授けられた。

ポズナンのルブラニスキ・アカデミーとクラクフ大学を卒業し、数学と哲学を学でいる。同時に音楽にも精通し、ポーランド語とラテン語で詩を書いていた。27または28歳の時に作曲家として宮廷に仕えるが、35歳の時にクラクフを去っている。また、彼がポーランドよりもイタリアにおいての方が有名なのも謎である。しかし彼の偉業は当時のポーランド人にも広く認められており、「もし彼が長く生きていれば、イタリアのジョヴァンニ・ダ・パレストリーナを羨む必要はなかったであろう」とも言われていた(パレストリーナはカトリックにおいて「教会音楽の父」と呼ばれている)。

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ミコワイ・ジェレンスキ

生没年不詳だが、15世紀にカトリック教会で活躍したオルガニスト・作曲家だったと言われる。ローマで音楽を学んだという説があるが、彼の学歴や生涯はあまりよく分かっていない。現在にも残っている唯一の作品は、現在でもポーランドのミサ曲として歌われる「オフェルトリム集」である。

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ミコワイ・ゴムウカ
(1535年〜1609年)

サンドミエシュ出身。ルネッサンス音楽の作曲家で、宮廷音楽家だった。10歳の時から王宮で過ごし、フルートやトランペット、ポーランド独自の木管楽器シュトルト、ヴァイオリンやリュートなどの弦楽器を習っていた。やがて王室礼拝堂の楽団に属し、1563年に宮廷を去るまでリーダーとして権力を握るようになる。様々な楽器での演奏術に優れ、曲に感情をのせて演奏することが得意だった。

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ディオメデス・カトー
(1560年〜1618年)

生まれたのは1560年から1565年の間ともされる。イタリア系ポーランド人の作曲家・リュート奏者。

イタリアでの異端審問から逃れるため、5歳の時に家族とともにポーランドへ移住してきた。後に帰化し、ポーランド人となる。カトーはクラクフで音楽教育を受け、1588年からの5年間、リュート奏者として宮廷音楽に仕えていた。宮廷を去った後、当時の国王ジグムントと共にスウェーデンへ向かい、作曲家として一躍有名に。イタリアの親戚を通じて、イタリア流行の音楽情報を得ながら「カトーの音楽」とも呼ばれる独自の曲を多く生み出した。残りの生涯は、スウェーデンで過ごすことになる。

 

17世紀前後の著しい発展

ここ何回目だろう…?

国王の居城 ヴァヴェル城

16世紀後半〜18世紀にかけて、ポーランド音楽は大きな転機を迎えます。

当時の国王ジグムント3世とヴワディスワフ4世が、多くのイタリア人音楽家達を宮廷に招いたことがきっかけです。

この頃のポーランドは最も発展しており、ポーランド史上最大の黄金期。音楽家のみならずイタリア人建築家をも呼び寄せ、ヴァヴェル城、王家や貴族の宮殿を改修させたりしていました。

一方、ポーランド音楽家達は宗教的バロック音楽の作曲に力を入れており、アダム・ヤジェンブスキ、グジェゴシュ・ゴルチェツキ、バルトウォミェイ・ペンキェルなどの音楽家達が活躍しています。

 

オペラがポーランドに浸透

オペラはイタリアのフィレンツェ発祥

オペラは17世紀初頭のイタリア発祥

国王ヴワディスワフ4世は、欧州旅行の際に寄ったイタリアのフィレンツェで鑑賞したオペラを大変気に入り、その3年後の1628年には私財を投じて初のオペラをワルシャワで上演しました。

イタリアにとっても国外でオペラを上演したのはポーランドが初めてだったそうです。オペラは反響を呼び、貴族の間で大流行。その後、ポーランド人作曲家もオペラの作曲を試みました。

ちなみにポーランドのオペラといえばワルシャワ室内歌劇場が人気ですが、こちらは初めての鑑賞にもおすすめ。

去年は東京に来日し、生演奏のオーケストラもいるというのに6000円から鑑賞できることで反響を呼びました。

 

貴族がポロネーズを踊りだす

photo by

photo by radekfoto

ポーランド独自の音楽/ダンスに「ポロネーズ」がありますが、初期のポロネーズは16世紀から存在しています。

現在に見られるポロネーズは、18世紀を境に貴族の間でブームを巻き起こした時に完成されたもの。そして19世紀以降に誕生する才能あるピアニスト達によって、ポロネーズの曲調はよりポピュラーな音楽となっていきます。

しかし18世紀も最後の方になるとポーランド(ポーランド・リトアニア共和国)が急激に衰え、ついには国が消滅。

そうなると自国の文化も消えてしまいそうですが、ポーランド人達はそんな時代だからこそ、よりポロネーズやオペラなどの文化を残そうと努力しました。

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国を代表する音楽家の登場

誰もが知るポーランド人といえば…

誰もが知るポーランド人といえば…

ここでやっと登場するのが、フレデリック・ショパン、ヘンリク・ヴィエニャフスキ、イグナツィ・パデレフスキなどの有名な作曲家・演奏家です。

先に挙げた3人については前回の記事の最初の方でも紹介しています。

ポーランドの興味深い音楽文化を探ってみました

2016.11.24
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ご存知の通り、ショパンは「ポーランドといえばショパン」と言われるほどの代表的な音楽家であり、ポーランド人のみならず多くの人が尊敬する偉人

彼の曲はとても美しく人々を魅了する一方、難易度が高く、後に活躍する音楽家達にも大きな影響を与えました。

ポーランドの主な著名音楽家

ピアニスト・作曲家ユリウシュ・ザレンプスキ(1854年〜1885年)、作曲家カロル・シマノフスキ(1882年〜1937年)、作曲家ミェチスワフ・カルウォヴィチュ(1876年〜1909年)、作曲家・音楽教育家ユゼフ・クサヴェレ・エルスネル、オペラ作家スタニスワフ・モニューシュコ(1819年〜1872年)、ピアニスト・作曲家マリア・シマノフスカ(1789年〜1831年)

※名前はウィキペディアの日本語解説にリンクしています。

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ショパン以外の音楽家達も、紛れもなくポーランドやヨーロッパの音楽を大きく支えてきた偉大な人物です。

また、マリア・シマノフスカは最近になって音楽通の間でも知られるようになったピアニストですが、音楽に関心のなかったゲーテをも魅了したそうです。

ショパン以前の作曲家としてはポーランドで最も影響を与えていたといわれ、ショパンは彼女に影響を与えられたとも言われているそう!そんな彼女がなぜ影に隠れてしまっているのか、それは彼女が女性だったからでしょう…。

 

この記事のまとめ

やっぱり歴史は面白い

やっぱり歴史は面白い

前回と比べるとあっさり書き上げたような印象ですが、今回の記事も私にとって大きな収穫となりました。

これでクラシックファンの方をご案内する時も少しは面白いお話?をすることができそうです。でも肝心の曲を聴かなければいけません。話はそれから…。

そういえば、私も小学生の頃にピアノを少し習っていました。

電子ピアノまで買ってもらったのに、もう嫌になって辞めてしまいましたね。井上陽水を演奏会で弾くことになってその練習をしていたんですが、その選曲が嫌で練習が続かず熱が冷めました(笑)。

さて、そんなことよりも、皆さんがポーランドへ来る際はぜひポーランドの音楽に耳を傾けてみてください

ポーランド航空を利用されるのであればショパンの音楽やポーランドのオペラを聴いてみるとか、高速列車EIP乗車の際は停車駅で流れる「ノクターン」に耳をすましてみたり、伝統的なフォークダンスを披露してくれるレストランに行ってみたり。音楽は身近に溢れています。

国内最速列車EIPことペンドリーノはこんな列車

2016.09.28
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いつかショパンについての記事も書きたいのですが、こればかりは当ブログ読者さんのショパンファンの方にお願いしたほうがいいかもしれませんね(笑)。
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今日のポーランド語

pianista (-tka)

pianista(ピアニスタ)は「(男性)ピアニスト」、pianistka(ピアニストゥカ)は「(女性)ピアニスト」です。

職業をポーランド語で表す場合、男性/女性名詞の使い分けが必要なものもあるので注意しましょう。女性名詞の場合、基本的に語尾に -ka が付きます。ただし、極端に男性あるいは女性に偏る職種の場合、男性/女性名詞だけといった場合もあります。

例:lekarz – lekarka, nauczyciel – nauczycielka, dyrektor – dyrektorka

 

最後までお読み頂きありがとうございます☆
あやか
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