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最終更新日:2019年1月21日
ポーランドが所有する名画、レオナルド・ダ・ヴィンチの作品『白てんを抱く貴婦人』。
実は、2016年末まではチャルトリスキ公爵財団という、18世紀の大貴族・チャルトリスキ家の末裔が運営する財団が所有していました。
そのため最初はクラクフのチャルトリスキ美術館に展示されていましたが、美術館が長期改装に入り、やむなく展示場所を変更。
2012年から約5年間はヴァヴェル城に、その後は2019年12月まで国立博物館本館に移動し、現在は再び美術館に展示されています。
このページの目次
1. 『白てんを抱く貴婦人』とは?
2. 肖像画の女性、チェチーリア
3. ポーランドに保護された名画
4. ポーランドが買い取った真相
『白てんを抱く貴婦人』とは?

かのレオナルド・ダ・ヴィンチ(1452〜1519)が描いた『白てんを抱く貴婦人』は、1489年に描かれた500年以上前の作品です。
ダ・ヴィンチといえば『最後の晩餐』や『モナ・リザ』を思い浮かべるでしょうが、意外にも彼が残した絵画は二十数点しかありません。
現存しているのは、たった15点ほど。
彼は画家というより多彩な才能を放つ自由人だっため作品自体は多くなく、また絵画の制作に専念できたのは晩年の2年だけだったそうです。
しかも現存するダ・ヴィンチの作品の中でも『白てんを抱く貴婦人』は特に保存状態がよいもの。
ただ、この作品が描かれた当時のオリジナルの状態かと言うとそうではありません。
しかし『モナ・リザ』や『ミラノの貴婦人の肖像』など、ほかの一人の女性を描いた肖像画3枚はそれ以上に修正が加えられているのです。

肖像画の女性、チェチーリア

『白てんを抱く貴婦人』の最初の所有者はこの絵のモデル本人、チェチーリア・ガッレラーニ(後のベルガミーニ夫人)であり、彼女が16〜17歳のときに描かれたものと推測されます。
彼女は1536年に63歳でこの世を去るまで、この絵画を大事に持っていました。
ダ・ヴィンチの技量を十分に褒め讃えており、非常に気に入っていたであろうことが伺えます。
さて、チェチーリアは北イタリア・ミラノの令嬢であり、名門ガッレラーニ家の娘でした。
父はフィレンツェやルッカの大使を務めた役人でしたが、彼女が7歳のときに他界しています。
13歳のときにミラノ公国の君主イル・モーロの愛妾となり、聡明で教養豊かな美しいチェチーリアを、彼自身も大変気に入っていました。
しかし、最終的にイル・モーロはフェラーラ公エルコレ1世・デステを正妻として迎えます。
チェチーリアはイル・モーロの子を宿していましたが、愛妾であったためやがて宮廷を追い出され、ミラノの邸宅へ引っ越すことになりました。
彼女はチェーザレ・スフォルツァ・ヴィスコンティと名付けられた男児を出産したあと直ぐ、ルドヴィーコ・ベルガミーニと政略結婚し、やがてベルガミーニ夫人と呼ばれるようになります。

それから年月が流れ、1498年4月。
少女チェチーリアの肖像画(『白てんを抱く貴婦人』)の評判を聞きつけたイル・モーロの妻の姉、イザベッラ・デステ(パルマ公妃)が「ぜひとも、私に貴女さまの描かれた絵画の貸し出しを…!」とチェチーリアに手紙を出します。
イザベッラは3日後に「10年も前に描かれた肖像画の自分と、今の私の容貌はかけ離れています。恥ずかしながら、もう別人のようですが…」という返事をもらい、絵画を受け取りました。
チェチーリアはラテン語を流暢に話し、また芸術を愛する文化人であったことから絵画のサロンを開くことも度々あったそうです。
きっと当時から多くの人々が、のちの『白てんを抱く貴婦人』に魅了されていたのでしょう。
夫の死後は若き日の自身の肖像画を持ってクレモナへ移り、静かに余生を過ごしたといいます。
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でも2013年、スイスでダ・ヴィンチが描いたイザベッラの肖像画が見つかったんだ。スイスの弁護士を通して明るみになったんだけど、約160億円で取引されてたんだって!
ポーランドに保護された名画

チェチーリアが亡くなった1536年以降、「旅するチェチーリア」と呼ばれた『白てんを抱く貴婦人』はヨーロッパ各地をさまよいます。
そんな名画がポーランドに渡ったきっかけは1800年、ポーランドの貴族アダム・イエジィ・チャルトリスキがイタリアで『白てんを抱く貴婦人』を購入したことにありました。
誰から購入したのかは不明、チェチーリアの死後約250年間の行方もほとんど謎のままです。
彼は、ポーランド初の美術館を創設した母イザベラにこの絵画をプレゼントしました。
当時のポーランドは隣国から不当に占領され地図から姿を消していましたが、熱心な文化人であったイザベラはチャルトリスキ家が所有する財宝を保護し、絵画を一般公開します。
そして1876年、『白てんを抱く貴婦人』はクラクフのチャルトリスキ美術館へ。
しかし1939年のドイツ軍によるポーランド侵攻の直前、チャルトリスキ家はポーランド東部のシェニャヴァに絵画を隠すことにしました。
ただそんな努力もむなしく、絵画はとうとうナチスに略奪されてしまうのです…。
ドイツのカイザー・フリードリッヒ美術館(現・マグデブルク文化歴史博物館)に展示されたあと、悪名高きハンス・フランクの手に渡ろうとしていましたが、そこで終戦を迎えました。
1952年にポーランドに返還され、クラクフに戻ってきたのは戦後10年のことです。
当時のポーランドは共産国であったためモスクワへ移されますが、紆余曲折を経て、現在はポーランド文化省の所有物として保護されています。
ポーランドが買い取った真相

2016年末、ポーランド文化省は、チャルトリスキ公爵財団の保有する約2460億円相当の美術品を破格の約120億円で購入しました。
まずは、そのニュースの内容を見てみましょう。
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ポーランド文化省は29日、レオナルド・ダビンチの絵画「白貂を抱く貴婦人」を含む20億ユーロ(約2460億円)相当の美術コレクションを、チャルトリスキ公爵財団から購入した。
ピオトル・グリンスキ文化・国家遺産相によれば、数千点の美術コレクション購入費として国が支払った金額は「市場相場からすれば、ごくわずか」な1億ユーロ(約120億円)と税金だという。アダム・カロル・チャルトリスキ公爵らが出席し、ポーランドの首都ワルシャワの旧王宮で行われたコレクションの譲渡式典で、グリンスキ文化・国家遺産相は「ポーランド国民として、われわれ全員はこれでチャルトリスキ・コレクションの所有者です」とあいさつし喝采を浴びた。
「白貂を抱く貴婦人」は白い貂(テン)を抱いた若い女性の肖像画で、ルネサンス期の巨匠ダビンチによる15世紀の作品。この肖像画と「モナリザ」を含めダビンチが描いたとされる女性の肖像画は4作品のみとされている。
ダビンチの「白貂を抱く貴婦人」には保険金3億5000万ユーロ(約430億円)がかけられている。
購入コレクションにはこのほかにも、レンブラントの作品やピエール・オーギュスト・ルノワールらの絵画、作曲家フレデリック・ショパンの手紙なども含まれている。これらのコレクションは南部クラクフの国立美術館で一般公開されるという。
(c)AFP/Anna Maria Jakubek
引用 AEP BB NEWS

「そんなに安く買えるなら自分が買ったのに」と世界中の大富豪が嘆きそうですが、これほどまでに重要な文化財、いくら個人の所有物だとしても法律上勝手に売ることはできません。
それではなぜ、資金繰りに困ってもいない財団がそんなわずかな売価で国に売ったのか。
それは、チャルトリスキ公爵財団の所有するコレクションが歴史的に超重要であるからというのは言うまでもなく、国が所有するものとしてこれらの芸術品や書物などを厳重に保護するため。
国のものとなれば個人の判断で国外へ渡ることはなく、また最悪、将来戦争が起きたとしても他国に不当な言い分で所有されることもありません。
コレクションをすべて渡したチャルトリスキ家、ポーランドのニュースサイトでは、「なんて愛国心溢れる行動なんだ」と賞賛の声もありました。
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tajemnica
tajemnica(タイエムニツァ)は「秘密」という意味です。”tajemnica obrazu mona lisa”(タイエムニツァ オブラズ モナ リザ)では、秘密というよりは「絵画『モナ・リザ』のミステリー」と訳した方がよいかもしれません!
最後までお読み頂きありがとうございます☆


初めまして、こんにちは。
あやかさんの記事をいつも楽しみにしています。貴重な情報をありがとうございます。
ところで、唐突に申し訳ないのですが、ひとつお伺いさせてください。
クラクフの町には、歴史的にロシアの影響は残っていますか。
NFさん
いつもブログをご愛読いただきありがとうございます。
管理人の綾香です。
私自身、ロシアには行ったことがなく、またロシアの影響と言われましてもピンと来ません。
ただクラクフはオーストリア領でしたので、ロシアの影響はほぼないと思います。
先程の質問は、気持ちが先走ってしまい不躾すぎました。
申し訳ありません。
自分なりにもっと調べてみようと思います。
これからも応援しております。
こんばんは。manggha博物館の「Nihonto」展展示、イベント参加のため、クラクフにいます。今日は、国立美術館につれていってもらい、この作品に出会いました。今ホテルで、ブログを拝見。余韻に浸っています。ありがとうございます。これからも、頑張って下さい。