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photo by flickr ポーランド外務省
数ヶ月前、カジミエシュ・ドルヌィとルブリンの旅行記を書きましたが、実はザモシチにも訪れていました。
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ザモシチは、歴史上重要な時代を例証する美しい街並として世界遺産に登録されています。しかし、この街はポーランドの観光地としてはマイナー。だからこそ、知る人ぞ知る穴場かもしれません。
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このページの目次
1. ザモシチはこんな街
2. ザモシチの歴史と魅力
3. ザモシチへの行き方
4. おすすめの観光施設とお店
ザモシチはこんな街
ザモシチの美しい写真を見てから、ずっと行ってみたいと思っていました。
当記事にも写真をたくさん載せていますが、きっとあなたもすぐに魅了されるはず。ポーランドには様々な美しい街がありますが、ザモシチはある大貴族が造り上げた理想都市であり、他の街とはまったく異なる一面を持ちます。
しかしポーランド東部に位置するザモシチは、定番の観光地であるワルシャワやクラクフから気軽には行けません。
そのため私もなかなか行けずにいたのですが、今回は同じく東部に位置するルブリンに3泊したのでこの機会に行ってみることにしたのです。結論、「なんでもっと早く行かなかったんだろう」と思うほどに魅力的な街でした!
では、さっそくザモシチを代表する建築物の写真を紹介しましょう。
アルメニア商人の邸宅
この街で最も目を引くのは、5つのカラフルなバロック様式の建築物。ちょっとルネサンスよりですね。
これらは17世紀に建てられたもので、”Kamienice ormiańskie”(カミェニツェ・オルマニスキエ:アルメニア商人の邸宅)といいます。旧市庁舎よりの緑の建物から「ヴェリチェックの家」「ルドミチュの家」「天使の下の家」「夫婦の下の家」「マドンナの下の家」という名前まで付けられています。
色鮮やかな邸宅の先にあるアルメニア通り(ul. Ormiańska)は、移民のアルメニア人に与えられた場所でした。
ルネサンスの理想都市
しかし、実際に旧市街に足を運んでみれば、もっと特徴的なあることに気が付くでしょう。ザモシチが “理想都市”といわれる鍵がそこにあります。
この街の別名は、ルネサンスの真珠
なぜそう言われるのかというと、ザモシチ旧市街はイタリア・ルネサンスの建築にあふれており、まさにルネサンスの理想都市と呼べるからです。ここまで完璧な都市計画が中世のポーランドでなされていたとは驚きを隠せません。
ポーランドの京都といわれるクラクフにも引けを取らないほどの美しさ。では、この街が建設された理由、興味深い歴史を次の項目にてご紹介しましょう。
ザモシチの歴史と魅力
「このまっさらな土地にイタリアのパドヴァに倣った理想的なルネサンスの都市を築こう。そしてこの理想都市は、やがてクラクフをも圧倒するほど美しい街となるだろう―」
ザモシチの建設者ヤン・ザモイスキは、若い頃にパリやイタリアのパドヴァへ留学しており、その時に見た美しいルネサンスの街並に魅了されていました。
そして、ポーランドに帰ってきたザモイスキはさっそく野望を抱いて都市計画を開始します。理想都市ザモシチの建設は1580年に始まり、18年の歳月をかけて見事に造りあげられました。
ザモイスキは富豪貴族だった
当時のポーランドは黄金期であり、ポーランド・リトアニア共和国として最も華やかな時代を迎えたばかりでした。
ザモイスキは熟練した外交官であり、王の最高政策顧問も務め、共和国だけではなく欧州にも名を馳せていた当時の共和国の重鎮といえる存在です。
そんな彼は大貴族のもとに生まれた超大金持ち。13歳より国外へ留学し、イタリアのパドヴァ大学にて法学博士号を取得した後に共和国へ帰国し、祖国で憧れの街並を再現することを夢見ます。
都市建設のために多額の財産を惜しげなくつぎ込むことにしたザモイスキは、あるイタリア人の建築家を雇い、主要な建物すべてのデザインを彼に任せ、本当にその理想都市を実現させました。
理想をカタチにした建築家
その建築家の名は、ベルナルド・モランド。彼は1569年からポーランドに移住していたそうです。そして1578年、都市計画家として注目されていたモランドは、ザモイスキと要塞理想都市建設プロジェクトを交わしました。
理想都市が完成したのは、モランドが亡くなる2年前。モランドは生涯の3分の1をザモシチ建設に捧げました。
完成したザモシチの街は大きく2つの地区に分けられ、東側は商業エリア、西側は文教エリアとなります。面白いのは、モランドはザモシチ建設を人体にあてはめて考えたという点でしょう。
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例えば旧市街西側のザモイスキ広場は頭、グロツカ通りが背骨、そこから南北方向に伸びる通り(ソルナ通りやモランド通り)が肩、都市機能を果たす内臓としてはソルヌィ広場やヴォドヌィ広場、町を護る手足の役割としてバスティオンを置く、といった具合です。この主な構造は、今日に至るまで変わることなく見ることができます。―引用 ポーランド政府観光局
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機能的な面でのこだわりも
この街に訪れたすべての人を魅了するザモシチは、モランドのセンスと才能がすべて集結した街でもあります。
16世紀後半はヨーロッパ各地でバロック建築が流行っていましたが、そこであえてルネサンス様式を採用したというのも大きなポイントでしょう。
当時築きあげられた主要な構造は、現代にまで見ることができます。
また古典的な建築様式と美しさのみならず、優れた要塞や防壁を兼ね揃えているという点も見どころです。
他国から攻められることが多かったポーランドにとって、外部からの侵入を防ぐ構造は常に重要でした。ザモイスキはザモシチを1つの国と捉え、堅固な要塞と城壁を建設し、クラクフにも劣らぬ防御システムを実現しています。
かつては7つの稜堡(りょうほ)と3つの門を持ち、旧市街と防塁の間は堀や湖に取り囲まれていました。19世紀には老朽化によって大部分が取り壊されてしまいましたが、今でも東側に稜堡2つなどその名残を見ることができます。
ザモシチへの行き方
ここまで読んだあなた、ザモシチへ行ってみたくなったのでは?
ザモシチは定番観光都市のワルシャワやクラクフからは片道5時間半近く、ほとんどの場合はそれ以上とかかります。気軽に日帰りで行く距離ではありません。
滞在日数に余裕のある方、ポーランドは2、3回目といった方であればザモシチに行きやすいでしょう。
ワルシャワ/クラクフから
ワルシャワやクラクフからザモシチは片道5時間半とかかってしまうのですが、乗り換えなしで行ける方法もあるようなので一応紹介することにしました。
BUS MAX というバス会社は、ワルシャワ/クラクフ〜ザモシチの長距離バスを毎日運行しているようです。
ひょっとしたら大きなバスではなく、ミニバスかもしれませんが…。チケットはオンラインでも購入できるので、詳細は公式ホームページにてご確認ください。
“Rozkłady jazdy” が時刻表、”Kup bilet online” がチケット購入となります。
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ルブリンから(おすすめ)
ルブリンからザモシチは片道1時間30分〜2時間程度の距離。日帰り旅行であれば、ちょうどいい距離です。
ワルシャワからルブリンへの行き方は、下の記事の 3. マイダネクへの行き方 – ワルシャワからルブリンへ- に詳しく書いています。参考にしてください。
バスでの移動であれば1時間半で到着しますが、私がザモシチへ行ったときは行きも帰りも列車を利用しました…!
列車だと2時間もかかってしまいますが、乗る場所や降りる場所はバスよりも分かりやすいと思います。
バスや列車のスケジュールは、下の記事で紹介している “e-podróżnik” のアプリでかんたんに調べることができます。
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ミニバスよりバスを選ぼう
ただ、バスでもミニバスだとかなり不快な思いをするかもしれません。
列車も座席のシートが固くて座り心地は良くなかったのですが、ミニバスだとシートが固いのに加えて座席間隔がかなり狭いものもあり、そんなミニバスに乗っての1時間30分は非常に苦痛です。
おそらくミニバスではなく、ふつうのバスであればそこまでストレスはないと思います。e-podróżnik でスケジュールを調べると、それぞれの交通手段がミニバスかバスのどちらであるかも同時に教えてくれるので、ぜひ活用しましょう。
e-podróżnik の乗り物アイコンは、私が知る限り3種類しかありません。
上の画像では、ちょうど3種類が確認できます。上からミニバス、バス、列車です。バスとミニバスはよく見ると形がちがいますね。スマートフォンからご覧の方はピンチアウトでご確認ください。
おすすめの観光施設とお店
写真と文量が多くなってしまうので、次の記事でご紹介します!
stare miasto
stare miasto(スタレ・ミアスト)は「旧市街」という意味で、街中で頻繁に出くわす単語です。
stare miasto の反対は nowe miasto(ノヴェ・ミアスト:新市街)ですが、旧市街があるところに新市街と呼ばれるところが常にあるとは限りません。ワルシャワやグダニスクには新市街もありますが、旧市街しかないという街の方がむしろ多いでしょう。
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