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長崎で訪れるべき聖コルベ神父ゆかりの地3選+永井隆博士記念館

コルベ神父
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クラクフ市公認ガイドのカスプシュイック綾香(本名)です。2014年以降、ポーランド在住。ガイド・通訳業の傍ら、旅行や生活に欠かせないポーランド情報をお届け中!
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この記事の内容
 毎年恒例の一時帰国は旅行づくし。2018年はまず熊本空港に降り立ち、そのままフェリーで長崎へ行きました。目的は、新たな世界遺産登録/大浦天主堂コルベ神父ゆかりの地めぐりです!
 
 当記事ではアウシュヴィッツで殉教したことで知られるコルベ神父ゆかりの地、そしてコルベ神父のかかりつけ医であった永井隆の記念館を紹介していきます。

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この記事の目次
コルベ神父を1分で紹介
ゆかりの地を巡ってみよう!
  最初の拠点跡地、神父記念館
  郊外でも必須!コルベ記念館
  本当に奇跡が起きたルルドの泉

かかりつけ医、永井隆の記念館
この記事のまとめ
総まとめ|アウシュヴィッツで殉教した聖コルベ神父の生涯

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コルベ神父を1分で紹介

コルベ神父 コルベ神父(故1941)は当時ロシア領、現ポーランド中部スドゥンスカ・ヴォラ出身のポーランド人カトリック司祭です。

彼は敬虔なカトリックの家庭に生まれ、幼い頃からよくお祈りをしていました。
貧しかったものの成績優秀だったので神父さんから認められ、神学校に進学。
13歳で兄とともに親元を離れ、それから約10年後にローマにて司祭となりました。

そして1922年、大神学生の頃に仲間とともに設立した “けがれなき聖母の騎士会” が正式に認可され、人生に転機が訪れます。
コルベ神父は布教活動に専念するため、新聞や月刊誌等の出版事業に取りかかりました。

コルベ神父 その後、宣教師として1930年に長崎に上陸し、それから約6年間、月刊誌や地域ラジオを通して騎士会の流布に努めます。

最初の1年間は大浦天主堂の近くにある木造館で過ごし、のちに郊外の彦山ひこさんふもとに修道院や印刷所を建てて本拠地としました。
温暖な気候や言語、資金面での苦労も多い中、日本での宣教は概ね順調だったようです。

1936年、長崎での宣教前に自身が建てたニェポカラヌフ修道院を管理するため、コルベ神父は母国へ帰ることになりました。

しかし間もなく第二次世界大戦勃発。
1941年にナチスはコルベ神父をアウシュヴィッツへ送り、数ヵ月後、コルベ神父は自らある囚人の身代わりとなって殉教しました。

あやか
ナチスの収容所で亡くなった著名人といえばアンネ・フランクを挙げる人が多いけど、コルベ神父も知ってほしいなぁ。
ピオトル
上に書いてあることはほんの一部だから、気になる人は下の記事も読んでみてね。コルベ神父の殉教は必然だったんだよ!
コルベ神父

総まとめ|アウシュヴィッツで殉教した聖コルベ神父の生涯と長崎での宣教

 

ゆかりの地を巡ってみよう!

長崎市内の有名なスポットといえば、国宝の大浦天主堂や平和公園ですよね。
コルベ神父ゆかりの地はそういった定番観光地からもそう遠くないので要チェック!

 

最初の拠点跡地、神父記念館

長崎のコルベ館 最初に紹介するのは、世界遺産である大浦天主堂の近くにたたずむ小さな資料館。
中に入ると一見はふつうのお土産屋さんですが、奥のほうに【神父記念館】があります。

1930年にコルベ神父が仮修道院を設立したまさにその場所にあるものの、当時の建物は焼失してしまったので現存しません。
しかし、展示室の真ん中あたりに焼け残っていた赤レンガの暖炉を見ることができます。

神父記念館 神父記念館 神父記念館 小さいスペースながらも約70点の展示物や本があり、見応えはバツグンでした。

絵や当時の写真とともに宣教活動と殉教について、分かりやすくまとめてあります。
最初に拠点を置いた地で改めてコルベ神父の生涯を知るのは感慨深いものがありました。

店内にあるヨハネ・パウロ2世からの感謝状(コルベ神父の周知活動に努力なさっているということで送られたそう)も必見!
せっかくなので、コルベ神父も愛飲した?というコーヒーを購入して後にしました

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営業時間 9時〜18時 入館料 100円

 

郊外でも必須!コルベ記念館

コルベ記念館 1932年、コルベ神父はこの彦山ひこさんのふもと、本河内ほんごうちに新修道院を建設しました。

1万円(現在の2千万円以上の価値)で土地代と修道院などの建築費用を賄ったそうですが、土地代を払えば残り3千円。
建設費のほか印刷機械も購入するとなれば、資金が潤沢だったわけではないでしょう…。

コルベ神父は同時に神学校を開校し、そちらは今、聖母の騎士高校になっています。
記念館は、その高校のすぐ近くにあります。

コルベ記念館 コルベ記念館 コルベ記念館 館内にはコルベ神父について分かりやすくまとめたポスターがいくつもあります。
コルベ神父とともに長崎で宣教していたというゼノ修道士の資料もあり、ここで初めてゼノ修道士のことをよく知って感動しました

全体的には当時の写真や手紙などの現物展示が多く、見どころはたっぷり!
印刷機械の上にあった「コルベの時代の話題の写真」が何気にシュールで、コルベ神父が唯一女性と写った写真には「この幸運な女性はだれ?」という突っ込みがありました。笑

展示物に関しては長崎ウェブマガジンのHPでも詳しく紹介されています。
コルベ神父についての本もたくさん置いてあるのでいくらでも長居が出来そうですが、見学時間は1時間もあれば十分だと思います。


開館時間 9時〜17時(週末や祝日は確認要)
入館料 無料

 

本当に奇跡が起きた本河内ルルド

ルルドの泉 先ほどのコルベ記念館からさらに上へ向かっていくと、ゆっくり6〜7分ほど歩いたところで「本河内ルルド」が見えてきます。

記念館からルルドの泉へ向かう途中で、長崎市内を一望することができますよ。
約90年前、コルベ神父もここからの景色を眺めながら毎日を過ごされていたのですね

聖母の騎士

ルルドの泉 行きつく先にある小さな泉はまさしく、コルベ神父がご自身で作ったもの
そこから湧き出る水は、まるで本物のルルドの泉のように数々の奇跡を起こしています。

ルルドとは、フランスの南にある町の名前です。今から140年ほど前、この町の少女ベルナデッタに、聖母マリアさまが19回にわたって、ご出現になりました。ベルナデッタは聖母マリアさまから、足元の土を掘るように言われます。少女がその通りに足の土を掘りますと、泉が湧き出て、その水は沢山の病気を癒す奇跡の水となりました。
以来、フランスのルルドの町は著名な巡礼地となり、年間600万人以上の参詣者が各国から来ています。大きな教会も出来ました。

現地の「コルベ神父のルルド案内」より

ちなみに、ベルナデッタの前に聖母が初めて現れたのは1858年2月のこと。
実際には160年以上前の出来事ですね。

今のところ、コルベ神父のルルドの泉で聖母が出現したという報告はありません。
しかし永井隆医師の例にあるよう、怪我や病気を治癒したという奇跡は確認されており、ここで熱心にお祈りする人は後を絶ちません。

聖コルベが開いたルルドの泉は、これまで多くの恵みや奇跡を起こしています。中でも有名なお恵みが、永井隆博士(長崎医科大学教授で、被爆した医師)の体験です。
永井博士は、原子爆弾で首の部分を怪我しました。その後、傷は化膿し、エソという病気になったため、友人の外科教授に手術してもらいましたが治りません。博士は苦しんでいた時、聖母の騎士のルルドの水をいただいて快癒しました。永井博士は、「マリアさまの恵みが、現実に、私にも与えられた」と、その喜びを手記に書いています。

現地の「コルベ神父のルルド案内」より

 

かかりつけ医、永井隆の記念館

永井隆記念館 永井隆(故1951)は長崎市に住んでいた著名な医学博士、随筆家です。
日中戦争時は衛生隊長・軍医中尉として、現地の日本軍や中国人に医療を施しました。

そんな彼は高校生の頃に出会ったドイツ語教師をきっかけにキリスト教に触れ、自ら聖書について学び、洗礼を受けています。

さて、ある日、医師となった永井博士はコルベ神父のところへ赴きました。
そして、重い肺病を患いながら宣教に励む神父の姿を見て、大きな衝撃を受けたのです。

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 肺の4/5はおかされて役に立たぬし、高い熱は続いているのだから、普通の病人ならまさに息絶えすでに寝込んでしまっているはずである。私がしきりに考えこんでいると、神父さまはロザリオをさし上げて、「これですヨ、これですヨ」と嬉しそうに云った。

        (微笑の秘訣 永井隆)

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それから10年以上経った1945年、永井博士は数々の悲劇に見舞われました。
X線の透視被爆により白血病を発症し、さらに同年、長崎の原子爆弾で被爆したのです。

自身が重傷を負いながらも被爆者の救護活動を懸命に行い、3日経ってようやく自宅へ戻ると、そこには妻の遺骸がありました。
そして、永井博士も白血病と被爆時の怪我により血が止まらない状態になっていました。

しかし、本河内ルルドから湧き出る水を飲むと奇跡的に血が止まったのです
おそらく、コルベ神父がすでに亡くなられていることを知らなかったと思いますが、聖母とコルベ神父の恵みを実感したことでしょう。

永井隆記念館 永井隆記念館 博士は病床に伏しても研究を続けました。
晩年は隣人から贈られた二畳ひと間の「如己堂にょこどう己の如く隣人を愛せよという意味)」に住み、そこで43歳の生涯を閉じます。

如己堂にょこどうは記念館のすぐ外にあり、館内では永井氏の活動記録、著書や手紙、原爆や医学と信仰について知ることができます。
浦上天主堂もすぐ近くにあるので、コルベ神父ゆかりの地と合わせて訪ねてみてください。


開館時間 9時〜17時(年末年始は休館)
入館料 100円

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この記事のまとめ
アイコン 以上、長崎で皆さんにもせび訪れてほしいスポットを4つ紹介しました。
コルベ神父と永井隆博士は長崎県内の人たちにもあまり知られていないようなので、当記事をきっかけに関心を持ってもらえると嬉しいです。信仰に関わらず、ひとりの人間が持つ可能性、善意や良心について深く学ぶことができるでしょう。

 ちなみにですが、創設者がコルベ神父の聖母の騎士高校はヨハネ・パウロ2世やマザー・テレサも訪れたのだそうです。さすが、日本でのキリシタンの歴史が根深い長崎だけにカトリックの聖人にまつわる場所も多く、5泊6日(実質は4日半)でもすべてを訪れようと思うと駆け足でした 長崎にはぜひ、また余裕のあるスケジュール来たいと思います!

コルベ神父

総まとめ|アウシュヴィッツで殉教した聖コルベ神父の生涯と長崎での宣教

 

最後までお読み頂きありがとうございます☆
あやか
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