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2017年4月25日で、私たち夫婦は早くも結婚2周年を迎えます!
婚姻届を出したのは結婚式の前年7月なので、厳密にいうと今年の7月で籍を入れて3周年。ただ、教会で式を挙げて初めて妻という存在になり、義両親にも義理の娘と言われるようになりました。
改めて振り返ってみると、かなり早いゴールイン。さて、なぜ私が23歳という若さで、しかも交際半年未満で国際結婚に踏み切ったのかお話しましょう。
このページの目次
1. ただ猛烈アタックに負けた
2. 彼の家族が理想的だった
3. カトリックは離婚できない
4. やりたいことはやっていた
5. それなりの社会経験もあった
6. 早すぎるということはない
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ただ猛烈アタックに負けた

ポンチュキと夫ピオトル
結婚前提で付き合ってくださいと言われたとき、信じられませんでした。
出会って1年も経ってない、しかもポーランドに住む外国人が私に結婚前提でお付き合いを申し込む…。彼が私に好意を抱いていることには薄々気付いていましたが、まさかこんな風に告白されるとは1ミリも思っていませんでした。
しかもメールでの告白です。
私が「直接言ってほしい」と冷静に伝えると、彼はすぐに日本行きの航空券を購入しました。で、翌月のゴールデンウィークから2週間近くも日本に滞在したのです。最終日は、六甲山で婚約指輪とともにプロポーズされました。
信じられますか?
信じてもらうしかありません。私たちは正式に付き合う前に、いろんなことを飽きるほど語り尽くしました。
生い立ち、今まで勉強してきたこと、将来の夢、家族のこと、宗教のこと、理想の結婚生活、死生観、そして好きな壁の色まで(笑)。その中で早くも「もうこの人しかいない」と思った彼は、婚約指輪まで買ってしまったのです。
最初は2年後に結婚しようなんて言っていましたが、すぐに予定変更。
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彼の猛烈アタックは私に考える隙を与えませんでした。そして結婚2年目の今、私にとって彼以上に素敵な人はこの世にはいないと心の底から思います。
彼の家族が理想的だった

夫だけでなく家族も大好きです
出会って1年も経っていないような彼をすぐに信頼できた理由の1つ。
私は告白される前、すでに彼の家族と面識がありました。3回目のポーランド旅行のついでに実家に招待してもらったのですが、あまりの居心地の良さに連泊したほどです。彼の家族は、私を笑顔で精一杯もてなしてくれました。
日本では親戚付き合いもなく、子どもたちと触れ合う機会がなかった自分。
あまりにも賑やかな家族に「この人はすごく幸せな家庭で育ったんだな」と微笑ましくなりました。そんなことを言ったら私が不幸な家庭で育ったようですが、そうではありませんので…。
義両親は本当の娘かのように接してくれますし、お義母さんとは最初は言葉の壁があったものの「綾香とポーランド語で会話できるのは、私にとってすごく幸せなこと」と言ってくれました!(ToT)
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カトリックは離婚できない

ポーランドの音楽は宗教で始まる
これも彼をすぐに信頼することができた理由の1つで、最も大きな要素です。
私は元々クリスチャンではなかったのですが、彼は敬虔なカトリックの家庭で育ったザ・ポーランド人。当然、結婚前提でお付き合いを申し込まれた後には宗教について熱く語られました。
まず、彼が告げた驚愕の事実。「カトリック教徒は離婚できない」
私だって離婚は経験したくないので、それはまったく構いません。しかし、それゆえに彼の決意が相当かたいものであることに改めて気付かされました。そして聞けば聞くほど、カトリックの教えは私にはしっくりくるものだったんです。
純粋なカトリック教徒に悪い人はいません。色々と誤解されがちではありますが、私の主人や家族を見るといかに平和的で愛にあふれる教えであるかが伝わってきます。あー、布教っぽい!(笑)
やりたいことはやっていた

ギリシャのサントリーニ島
私は学生のとき、やりたいことを十分やってきたので23歳の結婚でも早すぎるという感覚はありませんでした。
その中でも1番の趣味が一人旅。
夏はリュック1つで旅をしたこともありますが、スーツケースを持っての旅が基本でした。1回の旅で1ヶ月を越すこともありましたが、2〜3週間で複数国を周り、また長期休みに入ると同じ国や他の国に行ったりしていました。
旅先では多くの地元民と接し、コソボ、アゼルバイジャン、クエート、オマーンなどマイナーな国も周りつつ自分なりに教養を深めてきたつもりです。
学生時代は36ヵ国(現在は40ヵ国ほど)を巡り、よく鳥に例えられ、友人から連絡がくるときは「今、日本?」がお決まりのフレーズでしたね (^o^;)
またカナダとイギリスで留学生活を経験し、20台前半で「本書けるかも!」と思うほどのおもしろい人生を送ってきました。まぁ笑えないエピソードもありますが、機会があればお話したいです。
勉強もかなりしました。
地学、ツーリズム、幼児教育と一通り試してきましたが、帰国後は外語専門学校にて通訳案内士(ガイド)と同時通訳を2年間勉強。この経験を活かし、ポーランドではガイドの仕事をしています。
それなりの社会経験もあった

バイト先では人脈も築きました
学生時代の私のバイトは、ショップや量販店でのスマホ販売と契約業務。
外国人相手に契約することも多かったので、英語の案内マニュアル作成や在留者のネット契約だったり、思い返すと他の仕事も色々任されていました。
旧機種から新機種まで各機能を覚え、契約時のプラン/オプション、価格や施策の暗記、操作方法も機種ごとに覚える必要があるので、どこかで悲鳴をあげて辞めていく人がすごく多い業界です。
でも私はなんと、この業界に18歳の頃から携わっていました。
一時帰国中でもお呼びがかかり、専門学校に通っていた頃も土日祝は働いている状態。派遣だったので色んなところへ行きましたが、どこに行っても良くしてもらえたのですごく楽しかったです。
そしてスマホ販売のお仕事は、覚えることが多いからか時給が高い。
だから海外旅行へ行くだけの貯金もできたんですよね。日給1万円+残業代だったので、ずっと働いていると年末調整に引っかかるという問題もあり、適度に長期休みをもらう必要がありました。
平日は学校、土日祝は働いていたため、卒業後は半年しか働いていない(しかも同じ業界)と言えども、感覚としては(その歳にしては)随分社会経験を積んだような気持ちだったのは確かです。
早すぎるということはない

ちなみに夫は28歳での結婚
交際期間が短い上に23歳という若さで国際結婚しましたが、それが「若気の至り」ではなかったのは確かです。
国際結婚というと祝福される一方、しばしば非難されることがあります。
しかも私なんてゴールインが早すぎるので、ちょっとイジワルな人だと「海外に住むことに憧れていた日本人」「どうせ、数年後には国際離婚する」なんて思われるのかもしれません。
外国人と結婚することに対する偏見は減ってきているものの、国際離婚を懸念してのマイナス意見は多いです。
しかし、私たちは短期間でも会えなかった分、色んなことを話し合いました。そして実際、私たち互いの見る目は間違っていなかったと言い切れます。
ところでこの記事を公開する前、パスワードがかかっていて見れないときでもかなりのアクセス数がありました。
それだけ、皆さんにとって興味深いタイトルだったんでしょうか?!この記事をおもしろいと思ってもらえたのであれば、書いた甲斐があります!最後までお読みいただきありがとうございました♪
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ślub międzynarodowy
ślub międzynarodowy(シルブ ミェンゼナロドヴェ)は「国際結婚」という意味です。日本とポーランド人の国際カップルって、いったい何組ほどいるのでしょうね?!(^o^)
最後までお読み頂きありがとうございます☆


もう2年間もたちましたね。信じられません!
プロポーズはそんなにロマンチックでしたか。知りませんでした。Piotrはすごいですね。
カーチャ
私にとっては、まだ2年しか経っていないという感じです!
Piotrは結婚前、本当に理解できない行動をしてきました(笑)。
また、カーチャとグジェゴシュの話も聞かせてください♪
初めまして。わたしも最近ポーランド人の方とお付き合いを始めました。あやかさんは、今の旦那様とお付き合いを始めてからポーランド語を勉強したのですか??突然すみません!💦
鈴木こころさん
はじめまして、管理人の綾香です。
私がポーランド語を学んだタイミングは、こちらに移住してからですね。
ポーランドに来る前にも一冊ポーランド語の本を持っていましたが、仕事が忙しすぎて挨拶程度しか叩き込むことができませんでした。
ポーランド語でも英語でも語学はそう簡単に身につくものでがありませんが、意思が強ければ大丈夫です。