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この記事の内容
当記事ではポーランドの音楽史を建国時の千年以上前からさかのぼり、著名音楽家はもちろん、近代に発展したオペラや民族舞曲といった音楽文化を分かりやすく紹介していきます!動画で音楽を聴くこともできるので、時間に余裕のある時にじっくりお読みください♪
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この記事の目次
❶ 3分で分かるポーランドの音楽史
最も古い民謡は結婚式の歌
宗教音楽や聖歌が盛んとなる
クラクフで宮廷音楽が繁栄
オペラがポーランドに浸透
著名なクラシック音楽家が誕生
モダニズムにおける音楽の発展
抑圧される音楽とジャズの流行
❷ 著名なポーランド人音楽家
フリデリック・ショパン
ヘンリク・ヴィエニャフスキ
イグナツィ・パデレフスキ
ボグスワフ・シェッフェル
クシェストフ・ペンデレツキ
ほか、ピアニスト・作曲家
❸ ポーランド独自のオペラ文化
❹ 民族舞踏 ポロネーズとマズルカ
❺ この記事のまとめ
【さすがショパンの国】ポーランドの興味深い音楽豆知識とイベント一覧
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3分で分かるポーランドの音楽史
。まずはポーランドの音楽史を建国時の10世紀頃からさかのぼって紹介します。
先にポーランド史をざっくり知っておくと、よりイメージしやすいかもしれません。
著名なポーランド人音楽家
。音楽史を調べる中で、著名なポーランド音楽家たちがこんなにもいてビックリ。
。誰を選ぶべきか長く考えましが、その中でも19世紀以降に活躍した5人にしぼって紹介したいと思います(そのほかの音楽家6人も名前だけ最後のほうに記載しています)。.
誰もが知るクラシック界の天才。フランス人の父とポーランド人の母との間に生まれ、半生を亡命先のフランスで過ごした。しかし彼自身のポーランドへの愛国心から、フランス人もポーランドの作曲家と認めているほど。祖国を想う曲の一つに、明るく威厳な「軍隊ポロネーズ」がある。ピアニストとしての才能は早くに開花し、7歳にしてト短調と変口長調の2つのポロネーズを作曲。11歳の時にロシア皇帝アレクサンドル1世臨席のもとでピアノを演奏し、褒美としてダイヤモンドの指輪をもらったという逸話をもつ。
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軍隊ポロネーズ
ヘンリク・ヴィエニャフスキ
1835〜1880
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イグナツィ・パデレフスキ
1860〜1941
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ボグスワフ・シェッフェル
1929〜2019
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クシェストフ・ペンデレツキ
1933〜2020
。上記のように紹介しようか迷った方たち。名前はウィキペディアにリンクしています。
そのほか18〜20世紀の音楽家 | |||
ユゼフ・エルスネル 作曲家・音楽教育家(1769-1854) |
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マリア・シマノフスカ ピアニスト・作曲家(1789-1831) |
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スタニスワフ・モニューシュコ 作曲家・オペラ作家(1819-1872年) |
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ユリウシュ・ザレンプスキ ピアニスト・作曲家(1854-1885) |
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ミェチスワフ・カルウォヴィチ 作曲家(1882-1937) |
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カロル・シマノフスキ 作曲家(1882-1937) |
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ポーランド独自のオペラ文化
。16世紀末、フィレンツェで音楽と演劇が合わさった古代ギリシャ劇を復活させようとする試みから生まれたのが “オペラ” です。
。最初に紹介した音楽史でも少し触れましたが、ポーランドはイタリア発祥のオペラをいち早く我が国へと持ち込みました。 。ルネサンス末期に流行った新たな演劇がポーランドで思いがけぬ大ヒット…。千キロ以上も離れたワルシャワの宮廷まで招かれたイタリア人は驚いたことでしょう。
。当時の国王ヴワディスワフ4世が魅入ったことを機に宮廷でブームを巻き起こし、国王が亡くなるまでの20年間、ワルシャワの王宮では十数本も上演されたのだそう。 。ポーランド最後の国王スタニスワフ・アウグスト・ポニャトフスキ(在位1764〜95)の治世も宮廷オペラが再び盛んとなり、ポーランドが地図から消えた18世紀末以降もそのレパートリーは増える一方でした。
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国民オペラの父とも呼ばれ、ポーランド分割で人々が翻弄する中、数々の素晴らしい合唱・独唱歌曲やオペラを手がけています。 。モニューシュコは13作目のオペラ作品『ハルカ』で大成功し、第二次世界大戦前の欧米で何百回(!)と上演されました。 。ハルカは主人公である女性の名(ニックネーム的なもの)ですが、オペラのポスターに描かれるハルカはどことなく「和」。 。思わず日本人女性のハルカさんを連想してしまうのは、私だけでしょうか?
なんだか親近感を覚えますが、内容は男女関係のもつれが波乱を呼ぶスキャンダル系!
。「亜麻色の髪の乙女」という副題をもつオペラ、<Halka>は、1700年のポーランドの農村を舞台にした物語である。
〜(略)題材となった民話の1700年頃のポーランドは、王制下の封建社会。この時代に、「貴族のご乱行に怒った農民達が、最後には崖の上からその貴族をつき落す」という実際にあったとされる物語である。
。出典: Opera “Halka” 横川美智子
民族舞踏 ポロネーズとマズルカ
。おそらく多くの日本人にとって、「ポロネーズ=ショパン」であり、「マズルカ=う〜ん、確かショパンにそんな曲もあったような…」というイメージかと思います(ちがう?)。
。厳密に言うとポロネーズとマズルカはポーランドの代表的な民族舞踏の音楽。 。どちらも少なくとも400年以上前から存在しますが、ショパンによって民族音楽からクラシック音楽へと変換されました。またショパンは39年の生涯で18曲のポロネーズ、58曲のマズルカを作曲しています。 。これらの音楽は要するにリズムが肝ですが、まず実際に聴いてみてください。
地域によって好みが分かれるものの、より広く浸透しているのはポロネーズのほうです。
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ポロネーズ 3/4拍子 上流階級が舞踏会で踊っていた優雅なリズムの舞曲。激しい動きを伴わないゆったりとしたテンポでウォーキングダンスのような位置づけ。ポロネーズはフランス語で「ポーランド風」という意味であり、その包括的な呼び方からもかつてはポーランド舞曲全般を指していた可能性がある。そのため、ポロネーズの起源については議論されている。 マズルカ 3/4・3/8拍子 ポーランド語では「マズレク」と呼ぶ。ポロネーズとは対照的に農民の間で伝承されてきた舞曲であり、大衆向けだった。独特の旋律でテンポが早く、踊る時も駆け抜けるようなステップになるのが特徴。一般庶民に古くから愛されてきたリズムであり、ゆえに幼い頃からマズルカを聞き慣れていたショパンは即興で数々のマズルカを書き留めた。 国歌 ドンブロフスキのマズルカ
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皆さんも長い飛行機での移動時間はショパンやポーランドのオペラを聴いてみたり、高速列車EIPに乗ったならば停車駅で流れる「ノクターン」に耳を澄ましてみたり、伝統的なフォークダンスを披露するレストランに行ってみたり、身近に溢れる音楽に注目してみてください。
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フリデリック・ショパン
1810〜1849