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チャルトリスキの見どころを解説
私はおそらく、チャルトリスキ美術館を日本語でガイドできる唯一の日本人だと思うのですが、その知識をふだんはなかなか活かしきれません…。
ということで、今回の記事ではこの美術館の見どころや作品を、厳選してお伝えしていこうと思います。
日本語でぜひ、案内してほしい!という方はガイドお申し込み記事からお問い合わせください。
所要時間は約2時間半、フルコースの場合は3時間以上かかってしまうかもしれませんが、こちらの記事に紹介してあるものだけの見学なら約1時間強です。

2026年の営業時間と入館料
| 火曜日〜日曜日…10:00-18:00 月曜休館 | |
| 一般(大人)/割引 | 65PLN/50PLN |
| 家族(子ども一人含む5人まで) | 130PLN |
| 7歳〜26歳(要学生ID) | 1PLN |
| 【補足】 オーディオガイドのレンタル料金は10PLN、視覚障がいのある方は無料で借りることができます(2026年3月現在、英語含む8ヶ国語対応・日本語なし)。 |
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▲ 祝日も休館日となる可能性が高いです
美術館のモットーは「過去を未来に」
チャルトリスキ家は16世紀頃から政治・文化の両面で影響力を持ったポーランド屈指の名門貴族です。ポーランド分割後は愛国心を背景に文化保護へと力を注ぎ、特にイザベラ公爵夫人は国外に散逸しがちな芸術品を収集し、「民族の記憶」として守りました。
そのコレクションをもとに誕生したのが、クラクフにあるチャルトリスキ美術館です。18世紀末、国家を失ったポーランドにおいて文化を後世に残すことを目的に設立されました。現在はレオナルド・ダ・ヴィンチの《白貂を抱く貴婦人》をはじめ、ポーランドやキリスト教文化を物語る多彩な作品を所蔵しています。この美術館は単なる観光地ではなく、ポーランドの歴史と人々の「記憶とアイデンティティ」が詰まった特別な場所です。
※ 現在のポーランドには「貴族制度」は存在しません
見学前に荷物を預けましょう
見学前に、コートやリュックなどの荷物をロッカーに預ける必要があります。ロッカーは壁に設置されたタッチパネルで操作して開閉する仕組みとなっており、少し分かりづらいかもしれません。ただ、基本的に荷物を預ける際はまず係員がタッチパネルを操作し、QRコードが印刷された紙を渡してくれます。その紙の上部に記載された番号が、自分のロッカー番号となります。
またロッカーはランダムに割り当てられる仕組みになっており、家族や友人と一緒でも場所が離れてしまうことがあります。できるだけ身軽な状態で訪れるのがおすすめ。荷物を預けたら、(必要であればお手洗いを済ませてから)チケットをスキャンして見学スタート!
最初の展示はチャルトリスキ家について
階段で2階(ポーランドでは1階)へ上がり、展示室へ向かいます。ヨーロッパでは本当に必要な人しかエレベーターを使わないのが一般的なので、問題のない方はなるべく階段を利用するようにしましょう。
最初の2部屋では、美術館を創設したチャルトリスキ家に関する展示が見られます。数々の肖像画や衣装、剣などが並び、一族がどのような立場にあったのかを知ることができます。派手な作品は多くありませんが、チャルトリスキ家の威厳を感じられる重要な展示。特に2部屋目の中央に展示されているマリア・アンパロ・チャルトリスカ/Maria Amparo Czartoryska 公女のドレスや扇子は見どころのひとつ。当時の上流階級がパリ製のファッションを愛用していたことが分かり、ヨーロッパ貴族の生活や文化を垣間見ることができます。

彼女の短い生涯を伝える貴重な品。
さわって体感できる展示もあります
上の写真のように、ゴールドで示された手のマークと「TOUCH(タッチ)」の表示がある場合は、「実際に触れて体感してください」という意味です。レプリカですが、作品に直接触れられる貴重な展示です。
たとえば、上の写真の中世の鍵。とても大きく、ずっしりとした重みがあります。当時は防犯だけでなく、権力や富の象徴でもあったため、ここまで存在感のある作りになっているのです。こうした先端部分が凸凹した鍵は「ウォード錠」と呼ばれ、内部の仕組みとぴったり合う鍵でなければ開かない仕組みになっています。シンプルな構造ながら当時としては高度な防犯技術であり、装飾性の高さも相まって、まるで工芸品のような美しさ!
イザベラ・チャルトリスカの言葉
チャルトリスキ家の展示を抜けた先に、創設者イザベラ・チャルトリスカの言葉があります。「祖国よ、私はあなたを守ることはできない。だからせめて、歴史的に大切なものを未来へと受け継いでいきたいー」
ポーランドは分割によって国そのものを失い、地図から消えてしまいました。武器を手に戦うことができない立場の彼女にとって、文化を守るという選択はもう一つの闘いだったのかもしれません。せめて別の形で祖国を残せないかと、実際に行動へ移したことは本当に素晴らしい。美術品や歴史的遺産を集めるという行為は、単なる収集ではなく、失われた祖国の記憶を未来へつなぐための試みでした。この言葉を知ってから展示を見ると、一つひとつの作品が単なる美術品ではなく、「守られてきた歴史」として感じられるようになります。

ヤギェウォ朝の王族たちを描いた肖像画
次は、いよいよポーランド史に深く関わるコレクションの数々が…。まずはヤギェウォ朝(1386年〜1572年)から始まり、ポーランドが消滅するあたりのサスの時代(1697年〜1763年)まで、主にポーランド全盛期の歴史をたどる展示が数部屋ほど続きます。
この中でも目を引くのが、10人の肖像画が並ぶこちらの作品。これは国王ジグムント1世(左上)の家族を描いたもので、当時の王室の姿を一度に見ることができます。特に右下に並ぶ3人の女性は一見同じ人に見えますが、カタジナ、ゾフィア、アンナという姉妹で、いずれも王の娘たちです。ジグムント1世の妻はミラノ公の娘であるボナ・スフォルツァ。イタリアから嫁いできた彼女は、ポーランドにルネサンス文化をもたらした重要人物であり、彼女の存在なしにして16世紀のポーランドの繁栄は語れません。この作品は単なる家族の肖像画ではなく、ポーランドがヨーロッパ文化と結びつき、発展していった時代を象徴する一枚ともいえるでしょう。
今はなき聖ミハウ教会の祭壇の一部
こちらは18世紀後半までクラクフ旧市街に存在した、聖ミハウ教会の祭壇の一部です。右側の受胎告知の場面では、天使と聖母マリアが繊細な装飾の中に描かれており、中世後期の宗教画らしい荘厳さと華やかさが感じられます。隣の作品や彫刻とあわせて見ることで、もともと一つの大きな祭壇だったことが分かります。
オーストリアによって教会は破壊されてしまいましたが、こうして一部が美術館に残されていることで、失われた空間を想像することができます。私が300年前のポーランドに行けるならぜひ、訪れてみたい教会ナンバーワン。今はなき教会の壮大な祭壇や空間を思い描く時間も、この美術館の楽しみのひとつだと思います。ちなみにこの教会があった場所は現在、考古学・地質科学博物館となっており、かつての名残が少し残っています。
ポーランド・リトアニア共和国の栄光
次の部屋では、ポーランドの栄光・第二次ウィーン包囲での勝利に関する展示です。この戦いで中心的な役割を果たしたのが、ポーランド王ヤン3世ソビエスキ(この部屋にある肖像画はすべてソビエスキ)。
1683年、オスマン帝国に包囲されていたウィーンを救うため、ソビエスキはポーランド軍を率いて参戦。中でもフサリアによる大規模な突撃は圧巻で、歴史上最大級ともいわれる騎兵突撃によって戦況を一気に覆し、ヨーロッパ側=カトリックの勝利を決定づけました。
ここで目を引くのが、オスマンの儀式用テント(18〜19世紀)とペルシャ絨毯(17世紀)に加え、ポーランド最強の重騎兵として知られるフサリアの装備(さわれる展示あり)。特に背中に付けられた“翼”は象徴的な存在ですが、実はその役割についてははっきりと分かっていません。この独特な装飾の起源は、衣装や鎧と同様に中東にあるとされ、オスマン帝国では騎兵が猛獣の毛皮や装飾、さらには翼のようなものを身につけていました。ポーランドでは、こうした文化の影響を受け、16世紀半ば頃から取り入れられたと考えられています。
近世ポーランドのクライマックス
この部屋では、ヴェッティン家(サス)をはじめとした近世ポーランドの王権と貴族文化に関する展示が並び、ポーランド・リトアニア共和国が最盛期から衰退へと向かう時代の空気を感じることができます。
美しい装飾品が並ぶ部屋の中央には、ラジヴィウ家とヴィシニョヴィエツキ家という名門貴族の紋章が入った杯が展示されています。これらは貴族同士の婚姻や同盟関係を象徴するものであり、当時の政治が王だけでなく有力貴族によって大きく動かされていたことが分かります。この時代のポーランドは王が選挙によって選ばれる仕組みであったため、貴族の影響力は非常に大きなものでした。また、王となったヴェッティン家はドイツのザクセン選帝侯家であり、いわば外国から迎えられた存在でもあります。そのため国内では貴族との関係調整が難しく、周辺国の干渉も強まっていきました。
さらに左手の壁側には、ポーランド最後の国王スタニスワフ・アウグスト・ポニャトフスキの肖像画が見られます。彼の時代には欧州初の憲法制定などいくつかの改革が試みられましたが、最終的にはロシア・プロイセン・オーストリアによるポーランド分割によって国家は消滅しました。華やかな貴族文化や豪華な工芸品の裏にある政治的な緊張と衰退の流れを感じさせる、ポーランドの「栄光と終焉のはざま」を象徴する空間です。
橋の先に眠る記憶と美術館の原点
この部屋を抜けて右へ進むと宗教装飾品の展示へと続きますが、そのまま真っすぐ奥へ進むと、「Klasztor(修道院)」という文字が見えてきます。その先にある通路は、かつて「橋(Mostek)」と呼ばれ、100年以上にわたりチャルトリスキ宮殿と「小修道院」と呼ばれる建物をつないできた場所。美術館の中でも、最も古い歴史を持つ建物のエリアへと続いています。
続く部屋には、19世紀後半にチャルトリスキ家の領地のオーク材で作られた大きな収納棚が残されており、独特の雰囲気を生み出しています。そこに収められた品々は、プワヴィ(チャルトリスキ美術館の原点があるポーランド東部の町)の「シビュラの神殿」や「ゴシックの館」のコレクションを思わせるもので、どれも珍しく、美しく、非常に繊細なものばかり。19世紀末にはヴワディスワフ・チャルトリスキ公によって、こうした収集品は学術的な役割を持つ本格的な歴史・美術展示へと発展しました。肖像画や日用品の数々は、かつての人々の暮らしや想いを今に伝える貴重な資料であり、この空間は美術館の成り立ちを感じられる場所でもあります。

公女マルツェリナとショパンの音楽
こちらは、チャルトリスキ家の公女マルツェリナ・チャルトリスカが所有していたピアノ。19世紀後半、パリの名門メーカーであるプレイエル(Pleyel et Cie)によって製作されたものです。プレイエルはショパンが愛用したピアノメーカーとして知られ、その繊細な音色はショパンの音楽に最も適していたといわれています。
マルツェリナは単なる貴族ではなく、作曲家ショパンの弟子としても知られる優れたピアニストでした。サロンや限られた演奏の場で活動する一方、後年は教育にも力を注ぎ、ショパンの演奏様式を後世に伝えた人物のひとりとされています。また、亡命ポーランド人社会の中で文化活動を通じ、祖国の精神を支えた存在でもありました。このピアノは、そうした彼女の音楽活動を支えた実用品であると同時に、当時の上流階級における芸術文化の高さを象徴する貴重な一台です。また、このピアノの近くにはヤン・マテイコによって描かれたマルツェリナの肖像画や、ショパンの胸像も展示されています。
古代文明の死生観をたどる展示エリア
奥の部屋にはエジプトやローマ時代のコレクションが展示されています。チャルトリスキ家はポーランド文化だけでなく、当時ヨーロッパで人気を集めていた古代エジプトをはじめ、世界各地の文化を積極的に収集していました。このエリアではローマ、エジプト、エトルリアといった異なる文明の作品が並び、それぞれの死生観や文化の違いを比較できるのも見どころです。
展示の目玉の一つは、2つの人型木製棺。写真の手前の棺には、アセテマクビトという女性のミイラが納められています。彼女はアメン神の巫女であり歌い手でもあった人物で、内棺にはリネンと石膏を重ねたカルトナージュ(ミイラの外側にかぶせる装飾された覆い)に彩色やヒエログリフが施されています。装飾には死者の審判やオシリス、イシスといった神々が描かれ、来世への旅が表現されていて、なんとも興味深い。ミイラには護符や副葬品、カノプス壺などが添えられ、死後の生活が整えられていました。こうした埋葬は死者を守り、再生を願う祈りのかたちであり、「死後も生命は続く」という古代エジプト人の信念をよく表しています。
▲ 次はいよいよダ・ヴィンチの作品が見れる!
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自分自身はもともと「美術が好き!」というタイプではないのですが、こうして作品の意味や背景を理解しながら見るとぐっと面白く感じられ、つい深掘りしてしまいます。皆さんにもそんな楽しみ方で、ポーランド美術の魅力に触れていただけたら嬉しいです。後半もお楽しみに



































