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前回の記事でも触れましたが、ルブリン城は17世紀の戦争で破壊されたため、唯一中世から残っているのは塔(ダンジョン)と礼拝堂のみになります。
前回は塔について書いたので、こちらの記事では三位一体の礼拝堂と城内の博物館をご紹介しましょう。
三位一体の礼拝堂を見学
デジカメを持って来なかったことを、この時ほど後悔したことはありません。
礼拝堂は時間・人数限定の公開となっていて、まるでヴァヴェル城の観光施設のようですが、入ってみてその理由がよーく分かりました。国が誇る重要な建築物、600年以上も遡ることができる壁画があり、大変貴重だからです。
壁一面のフレスコ画、あまりの素晴らしさに見とれていつまでも首を上げている人が多かったです。自分達も含め。
フレスコ画には一場面ずつタイトルがあり、それらは礼拝堂の入り口近くにある解説シートで確認できます。ただ聖書の物語を知らない方にとっては、あまり意味をなさないかもしれません。
画質が悪くてごめんなさい。
最後の写真はヤギェウォが洗礼を授かっている場面です。ヤギェウォについてはこちらの記事でも触れています。
記事を取得できませんでした。記事IDをご確認ください。
.ヤギェウォ(ヴワディスワフ2世)は、自然宗教を信仰していたリトアニアの君主でしたが、ポーランドの王になるにあたってカトリックに改宗しました。
そのヤギェウォ、壁画では王としての王冠を持っていません。というのも、神の前では王冠はただの飾りでしかないというメッセージなんだそうです。
これは、感動しました!
観光スポットに行くと必ず、落書きがありますよね?相合い傘の落書きだったり、名前と日付だったり。この上の写真は、それと似たようなものです。
1552、と彫ってありますね。
1569年にルブリン合同の調印がされるまで、ルブリン城ではリトアニアとポーランドの貴族や大貴族が集まって何度も会議を開いていました。で、その貴族達が帰る前に「ここにオレの名前でも彫っとくか」と落書きした結果がコレ。
今、観光地にある落書きも数百年後にはこんな価値のあるモノになるんでしょうか。いや、ならないだろうな。
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この礼拝堂は、ヤギェウォ朝の初代国王であるヴワディスワフ2世(1348年〜1434年)の財政援助を受けて建設されました。フレスコ画が完成した日(1418年の聖ローレンスの日)は壁に刻まれています。
ヨーロッパ中にあるロシア・ビザンチン様式のフレスコ画を持つ建築物の中では最も保存状態が良いとされており、また、ロシア・ビザンチン様式とゴシック建築を組み合わせたデザインはなかなかユニーク。城の上階にあり、高い位置に取り付けられた窓から差す光で見る壁画は神秘的です。
しかしポーランド分割時代は放置されていたこともあり、また最初の塗装から長い年月が経っていたため損傷が激しく、1899年から画家ユゼフ・スモリニスキによって本格的な修復作業が始まりました。その後も50年以上の年月をかけて修復されたものの、室内の気温や湿度の影響で失敗に終わった箇所も複数あります。
最後の大々的な修復作業は1976年に始まり、1995年に終了しました。現在は室温調整が適度に行われており、礼拝堂内は自動で暖房が作動するようになっています。
そして、博物館を見学
礼拝堂にはなんと30分も滞在しました。途中でポーランド語ガイドのお姉さんがやってきたのですが、その説明が興味深く夫とちょとだけ盗み聞き。自分たちもガイドを付ければよかったです。
礼拝堂の見学の次は博物館へ。
博物館の奥に礼拝堂があるので、順番的にはこの博物館を見てから礼拝堂を見学するのでしょうが、私たちは朝に弱いため11時前にルブリン城に到着。礼拝堂見学は11時スタート分で予約を取っていたため、まさにギリギリでした。
博物館は宗教的芸術作品展示ゾーン、民俗文化紹介ゾーン、城の調度品展示ゾーン、古代の歴史ゾーン、そして絵画ゾーン(上の写真のような絵画からモダンまで)と多岐に分かれています。
ゾーンの名前は私が勝手に付けました。
まずは宗教的芸術作品展示ゾーン。
イコン(カトリックや正教会で祟敬の対象とされる聖像)って、こうやって順番に沿って描かれていたんですね!
新居にもイコンが2つありますが、いずれもコピー品なのでいつかリアルなものが欲しいと思っています。でもこういう感情、ダメですよね。煩悩。
ロシア語やギリシャ語、グルジア語とラテン語、ベトナム語を混ぜたような言語の本を持っているイエス。
これは古代教会スラブ語と呼ばれるもので、スラブ語による最古の言語だそうです。スラブ語はポーランド語、ロシア語、チェコ語などがそうですね。
ブルガリアでは、古代ブルガリ語と呼ばれているんだとか。
夫が読みだした時はすごくビックリしました。ポーランド語は難しいと言いますが、こんなアルファベットを持つ言語なんてもう見た目からNGですよ。
壷アプリは面白かったです。
スマホやタブレットを持っている方はぜひ、アプリをダウンロードして遊んでみてください。指でくるくるとろくろを回していくだけで、バーチャルのオリジナルティ溢れる壷が作れちゃいます!
正式名称は Let’s create! Pottery で、実は壷作り名人を目指す攻略ゲーム。Appleストアでは600円、Google Play では500円でした。結構強気な価格です。
しかし、Appleストアでは2016年9月現在27,514件のレビューがあり、総合評価はなんと4.7/5。ポーランド人が作ったアプリの中では最も成功しているのではないでしょうか。
私も時間に余裕が出来てきたら壷アプリを購入し、記事で紹介しようと思います(ポーランドに関わることなら何でも紹介します)。 To do リストに追加済み。
興味深い展示品の数々
私の住む街、グリヴィツェにも日本の鎧や百人一種を持つ博物館がありますが、ルブリンにもありましたね〜。
中国の華やかなドレスの横に置かれていましたが、あくまで主役はドレスのようでした。そういえば、日本の着物って海外の博物館で見た記憶がありません。
着物には縁のない私ですが、ここに来てから「ひょっとして、世界で一番美しい民族衣装?」と思うようになりました。別にポーランドの民族衣装に対して思うのではないのですが、じゃあ、この感情はどこからやってくるのか…。
ただの大きいテーブルだと思っていると、何やら手形が。手形は間近で見ることは出来るものの、ガラスに覆われているため触れることはできません。
伝説を読み終わった後、二人して「面白い」と言ってしまいました。
1578年からルブリン市役所(現在の旧市役所)では、抗告裁判が行われるようになりました。当時クラクフやルブリンが属するマウォポルスカ県の各地で行われていた裁判ですが、判決結果に納得がいかなかった場合(=不服申し立て)はこのルブリン抗告裁判所に行く必要があったのです。
しかしこの裁判所、賄賂が横行しており、抗告裁判所だというのに判決結果は決して公平ではありませんでした。そんなルブリン抗告裁判所の机にはこんな伝説があります。
それは17世紀のこと。貧しい未亡人と大貴族の間で、家の相続に関する裁判が執り行われました。実は未亡人が相続すべきだったのですが、大貴族は裁判官に賄賂を渡して有利な判決結果を下してもらいます。敗訴した未亡人は抗告裁判所にあった十字架に向かって、「悪魔でさえまともな判決結果を出しただろうに!」と叫びました。
その夜、裁判所に硫黄の蒸気と黒いウィッグを被った人々が現れます。彼らは未亡人をもう一度裁判にかけ、彼女に勝訴の結果を下しました。彼らは悪魔でした。悪魔は公的な書類を作成できないため、その代わりに一人の悪魔が、燃えるように熱い手の平を机に置き、手形を残します。そして、それを未亡人の勝訴の証としました。
部屋にあった十字架のイエスは、その裁判の間、顔をずっと横に背けていました。悪魔が人よりも正しい判決を下すことを認めたくなかったからです。その顔を背けたままのイエスがかかった十字架は現在、ルブリン大聖堂に大切に保管されています。
信じるかどうかはあなた次第。
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私は信じます(笑)。いつか、ポーランドの面白い伝説をまとめた記事なんかも書きたいなぁ、とこれを書きながら思ってしまった私は、ブログライターとしての職業病を抱えているようです。
興奮!超有名な絵画を発見
もっと近くで見せてよ!と思うかもしれませんが、絵がもう巨大すぎてそれは無理でした。ぜひ、この迫力はルブリン城で直接お確かめください。
この巨大な絵画は、ポーランドで最も尊敬される画家ヤン・マテイコ(1838年〜1893年)の描いた『ルブリン合同』(1869年)です。
1569年に調印されたルブリン合同の300周年を記念して描かれたものですが、描かれた頃のポーランドはプロイセン、ロシア、オーストリアによって分割され、存在していませんでした。
絵画は第二次世界大戦まで旧ポーランド領、現ウクライナ領のリヴィヴにあったルボミルスキ博物館に保管されており、戦時中はルブリンのとある博物館に隠され、1957年からこの博物館で展示されています。実は、ワルシャワ国立博物館からの借り物なんだそう。
オーストリアの支配下にあったクラクフ共和国に生まれた、ポーランド人なら誰もが知る有名な画家。ポーランド史に残る政治・軍事の出来事を主題とした絵画を多く描き、またポーランド王国歴代王の肖像画を手がけました。
ポーランドという国は123年間消える運命となりましたが、ポーランド人達は決して祖国の復活を諦めませんでした。中でも自国の文化を当時の人々に思い起こさせ、愛国家としての実績を残した画家ヤン・マテイコ、詩人アダム・ミツキェヴィッチ、そして音楽家ショパンは現代のポーランド人が誇るポーランドの偉人です。
夫ピオトルと「これってオリジナルなのかな?」とこそこそ話していると、係員が「オリジナルです」……。
「え?!オリジナル?!」、ゆっくりソファで鑑賞することにしました。
いつまでも眺めていたいくらいでしたが、座りたそうな家族がいたので次の場所に移動。本当にお見事な作品です!
古代ポーランドのリアルな展示
こちらは、旧石器時代(約250万年前〜約30万年前)の男性ハンターのようすを再現しているとのこと。
帯のついた長袖の服を革製のベルトで締め、長いズボンと底の高い靴を身に付けています。そして手には、弓が。氷河期の人々は、動物を狩ることが食べ物を得る主な手段だったようですね。
さっきからポーランド人と勝手に言っていますが、この時代はポーランドはまだ建国されていません。あくまで、この土地に住んでいた者としてポーランド人と呼ばせてもらっています。
下の写真は、ルブリン近郊マスウォエンチュという場所で見つかった古代のお墓を等身大スケールで再現したもの。
おおよそ3世紀頃、最初に女性が埋葬品の壷などとともにオーク素材の棺桶に葬られ、それからしばらく経った後に男性も葬られたそうです。なんだか男性の扱いがぞんざいに見えますね…。
最後は硬貨を一通り眺め、東ポーランド旅行2日目の前半が終了しました。
皆さん、正直に言ってこういうブログを読むと「行ってみたい!面白そう!」って思いませんか? ここで紹介したのはほんの一部なので、ぜひポーランド旅行の際はルブリンにもお越し下さい♪
この日の後半は、ルブリンから南へ車で約2時間の世界遺産ザモシチに行きましたがが、ザモシチについてはまた別の記事で紹介しましょう。
次回はルブリンの街並を紹介します。
zamek lubelski
zamek kubelski(ザメク ルベルスキ)は「ルブリン城」のことです。zamek はお城、ルブリン lublin の形容詞 lubelski を組み合わせて zamek lubelski と言います。では、クラクフのヴァヴェル城は何というでしょう?
正解は、zamek wawelski(ザメク ヴァヴェルスキ)です。
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