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【ポーランド国歌】ドンブロフスキのマズルカに込められた祖国への想い

ポーランド国歌誕生秘話
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クラクフ市公認ガイドのカスプシュイック綾香(本名)です。2014年以降、ポーランド在住。ガイド・通訳業の傍ら、旅行や生活に欠かせないポーランド情報をお届け中!
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4分程度で読める記事です

 

夫Piotr
ポーランドの国歌は「ドンブロフスキのマズルカ」っていうタイトルだけど、外国人からしたら「?」だよね。。。
あやか
ドンブロフスキは人の名前で、マズルカは民俗舞曲の一つ。ショパンのおかげでマズルカの名は知ってる人も多いかな。
夫Piotr
ということで、今回はポーランド国歌がどうやって誕生したのかを紹介するよ。歌詞の意味が分かると感動するはず…!

ショパンが作曲したマズルカは58曲

とりあえず聴いてみよう

Mazurek Dąbrowskiego

Jeszcze Polska nie zginęła,
Kiedy my żyjemy.
Co nam obca przemoc wzięła,
Szablą odbierzemy

ポーランドは未だ滅びず
我らが生きているかぎりは
いかなる外国の軍勢が強奪しようとも
我らは剣で奪い返す

Marsz, marsz, Dąbrowski,
Z ziemi włoskiej do Polski.
Za twoim przewodem
Złączym się z narodem.

進め、進め、ドンブロフスキ
イタリアの地からポーランドへ
我々はあなたの指揮に従う
あなたの下に我ら国民は結集する

Przejdziem Wisłę, przejdziem Wartę,
Będziem Polakami.
Dał nam przykład Bonaparte,
Jak zwyciężać mamy.

ヴィスワ川を越えて、ヴァルタ川を越えて
我々はずっとポーランド人だ
ボナパルトがいい例だ
勝つ方法を見せてくれた

Jak Czarniecki do Poznania
Po szwedzkim zaborze,
Dla ojczyzny ratowania
Wrócim się przez morze.

チャルニェエツキがポズナンへ行ったように
スウェーデンとの戦いの後
祖国を救うため
海を渡って戻ってきた

Już tam ojciec do swej Basi
Mówi zapłakany –
Słuchaj jeno, pono nasi
Biją w tarabany.

父は娘に語る
涙ながらに
「よく聴きなさい
ポーランド軍は今、
勝利のドラムをたたいてるそうだ」

ポーランド語のアルファベット
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国歌が作られた時代の背景

ポーランドの国旗

 国歌が作られたのはポーランド史上、最もポーランドが苦しんだとされる18世紀末頃。この時代、ポーランドは3度にわたり隣国のロシア、プロイセン、オーストリアによって占領され(ポーランド分割)、1795年には地図から消されました。
 しかし、その後もポーランド人は祖国の復興を目指し、貴族や軍人らが中心となって幾度となく敵国に立ち向かいます。一部のポーランド人はイタリアで結成されたポーランド軍団の一員として活躍し、国歌は彼らによって最初に歌われました。この頃、フランス革命期に彗星すいせいのごとく現れたナポレオン・ボナパルト(後の皇帝)がポーランド人らに協力的だったこともあり、ナポレオンと共に戦えば祖国を復活させることができると信じていたのです。

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祖国復活の希望をナポレオンにたく

ナポレオン

 1795年のポーランド消滅後、ポーランド人はフランスの傑出けっしゅつした将軍ナポレオンに救いを求めました。なぜなら、ナポレオンはポーランドを崩壊に導いたロシアプロイセンオーストリアと敵対していたからです。祖国の土地を離れた一部のポーランド人はナポレオンが支配下に置くイタリアに集まり、ポーランド軍団に加わりました。
 ドンブロフスキ率いるポーランド軍団はナポレオン率いるフランス軍と共に忠実に戦い、ナポレオンにとっても重要な戦力でした。一方で多くのポーランド兵士がフランスのために犠牲となります。こうした流れの中でナポレオンへの不信感をつのらせ、軍団を離れる者も出てきました。しかし1807年、ついにナポレオンの影響力のもとでワルシャワ公国が誕生。独立は果たせなかったものの、多くのポーランド人がむくいを感じたに違いありません。

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ワルシャワ公国とは?

 1806年にナポレオン軍がプロイセン軍を2度破り、その勢いに任せてポーランド軍団はロシアに対して蜂起ほうきを決行。ロシアは降伏して和平を結び、1807年にワルシャワ公国が設立された。しかし1812年にナポレオンがロシアに敗北すると崩壊が始まり、1815年に解体。国家再建を目前にしていたポーランド人の希望は早々に打ちくだかれた。

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ドンブロフスキ将軍に敬意を

ドンブロフスキ将軍

 国歌の最初のほうに「進め、進め、ドンブロフスキ〜我々はあなたの指揮に従う」という歌詞があります。ドンブロフスキ(ヤン・ヘンリク・ドンブロフスキ)将軍は現在のイタリアで創設されたポーランド軍団の中心人物の1人。1797年4月以降、イタリアのポーランド軍団の司令官としてナポレオンに従い、数多くの戦闘で活躍しています。
 この18世紀末前後は多くのポーランド人がナポレオンに光を見出みいだし、祖国復活に大きな希望を抱いていました。そこでドンブロフスキ将軍は軍団の士気を高めるためにも、軍人でもあり親友のユゼフ・ヴィビツキに軍歌の詩を書くように依頼したといいます。この歌は1797年7月16〜19日にイタリアのレッジョ・ネレミリアの町(現エミリア=ロマーニャ州)で作られ、7月20日に初めて演奏されました。ちなみに作曲者は分かっていません。

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国歌は祖先が懸命に生きた証

ポーランド軍団

 国歌が愛国的であることはどの国においても同じこと。ただポーランドの場合、ポーランドがなかった時代に作られたものであり、また、それを歌うことを禁忌きんいとされた時代を乗り越えて現代にまで受け継がれてきました。国歌は重要な行事、スポーツ競技などの大会、祝日や記念日などに歌われますが、「不屈の精神」と「団結力」を象徴するポーランド国歌はこれ以上となくその場面に適しています。そして、力強いエネルギーを感じるマズルカの曲調がさらに人々の士気を高めるのです。ポーランド人がこの歌を歌うとき、祖国を守り抜いた英雄と祖先を思い浮かべているのかもしれませんね。

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国歌にまつわる豆知識

正式に国歌となったのは第一次世界大戦後、ポーランドが独立を果たした1927年
オリジナルのタイトルは「イタリアのポーランド軍団の歌 „Pieśń Legionów Polskich”」
ドンブロフスキ将軍は少年期にプロイセンに移住したため、ポーランド語が話せなかった
ユーゴスラビア、セルビア・モンテネグロの国歌はポーランドの国歌に基づいていてる
イタリア国歌「マメーリの賛歌」には「イタリアの血潮とポーランドの血潮」という詞がある

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ちょっと、つぶやいていい?
アイコン 夫に「ポーランドとセルビアの国歌のメロディが同じって知ってた?」と聞いてみたら、「ふつうのポーランド人は知らないと思うけど知ってた」とのこと。なぜ夫が知っているかというと、ポーランド対ユーゴスラビアのサッカー試合を見ていたとき、「なんでポーランドの国歌を2回も歌うんだ?!」と思ったからだそう。笑
巷では「似てる」って言われてますが、ベースがまるっきりポーランド国歌なので替え歌と言ってもよさそうですね
ポーランドの歴史
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あやか
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