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ポーランド旅行で絶対見たい!マテイコの歴史画ベスト5|名画のメッセージを解説

ポーランド旅行で絶対見たい!マテイコの歴史画ベスト5|公認ガイドが語る名画と歴史の魅力
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クラクフ市公認観光ガイドの綾香です。旅行や生活に欠かせないポーランド情報を発信中! 2025年、東アフリカ・ルワンダでの教育支援に向けて【財団法人MOST】を設立。興味のある方はご連絡ください
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 前回の記事では、19世紀のポーランドの歴史画家ヤン・マテイコについて紹介しました。
ポーランドの民族意識と歴史的記憶を強く反映した膨大な作品の数々、とても全ては紹介しきれませんが、ポーランド史をマスターしたクラクフ公認ガイドの私が5点を厳選して紹介します!

うちの夫
マテイコの作品は学校の教科書よりもリアルに歴史を伝えてくれる。
あやか
マテイコの一貫した絵で歴史を学べるなんて、なんか羨ましいなぁ。

マテイコの作品はワルシャワ国立美術館、クラクフの織物会館の上にある美術館、クラクフのチャルトリスキ美術館、クラクフのヤン・マテイコの家、ルブリン博物館などで鑑賞することができます。

ポーランドの歴史
ヤン・マテイコ
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ポーランド – 1863年(1864年)

Polonia – Rok 1863, 1864年

Polonia – Rok 1863/チャルトリスキ美術館所蔵

 1863年の「一月蜂起(ロシア帝国に対するポーランドの独立運動)」を題材にした作品。
 絵の中央には、黒いドレスに身を包んだ若い女性が手錠をかけられ、うつむいて座っています。この女性はポーランドを擬人化した存在で、不当に占領された国家が屈辱と抑圧に直面していることを象徴しています。さらに彼女の背後には、囚人たちや農民、兵士、知識人が並び、中には誇り高く立つ者、絶望に沈む者、祈る者など、当時のポーランド社会の多様な層と心情が表現されているのも興味深いです。マテイコはこの作品を未完成のままにしており、その粗削りな筆致もまた、失われた国家の未完の解放を暗示しているのかもしれません。『ポーランド – 1863年』は、蜂起直後の悲劇と同時に、希望と抵抗の精神を内包する作品であり、ポーランド人にとって深い共感と歴史的意味を持つ絵です。

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第二次ウィーン包囲(1883年)

第二次ウィーン包囲

Zwycięstwo pod Wiedniem/バチカン美術館所蔵

 この作品は、1683年にオスマン帝国軍によって包囲されたオーストリアの首都ウィーンを、ポーランド国王ヤン3世ソビエスキが救援し、大勝利を収めた歴史的偉業を題材にした作品です。
 この戦いでソビエスキは、キリスト教世界を守る決定的な役割を果たし、英雄として欧州中にその名を轟かせました。絵画では、ソビエスキがローマ教皇イノケンティウス11世に宛てた勝利の報告書を使者に手渡す荘厳な場面が描かれています。カトリック世界の象徴や軍の司令官たちも登場し、ポーランド軍が果たした精神的・宗教的な使命が強調されているのが見どころ。この作品は、第二次ウィーン包囲の勝利200周年を記念して制作され、当時の教皇であったレオ13世に献上されました。マテイコ自身の深いカトリック信仰が込められており、単なる軍事的勝利ではなく、「神の加護による文明防衛」という宗教的・道徳的メッセージが垣間見れます。

※ すみません、これはポーランドで鑑賞できません

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スタンチク(1862年)

スタンチク

Stańczyk/ワルシャワ国立博物館所蔵

 16世紀のポーランドの宮廷道化師、スタンチクを主題にした作品。マテイコの初期の代表作の一つであり、後に非常に高く評価されました
 絵画の中でスタンチクは、豪華な宮殿の一室で一人沈痛な面持ちを浮かべて座っており、右側の背景では貴族たちが宴を楽しんでいます。一方、机の上には1514年にモスクワ公国によって、ポーランド領スモレンスクが陥落したことを知らせる文書が置かれており、彼はその報に深く心を痛めているのです。本来、道化師は滑稽さや娯楽の象徴ですが、この絵においてスタンチクはむしろ知性と良識、そして国家への責任感を体現する人物として描かれているのが一番のポイント。また、「民は踊るが、国は滅びる」といった構図を通して、失われた国家に住むポーランド人らに対し、歴史への省察と政治的無関心への警鐘を鳴らす意味合いを持っていました。つまり、この作品は単なる歴史描写ではなく、当時の社会に対する鋭い批評でもあったと言えます。

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ルブリン合同(1869年)

ルブリン合同

Unia Lubelska/ルブリン城博物館所蔵

 1569年に締結されたポーランド王国とリトアニア大公国の連合条約「ルブリン合同」を描いた歴史画。この合同により、両国は単なる同盟関係を超えた一体化を果たし、以後、約2世紀続く「ポーランド・リトアニア共和国」が成立しました。マテイコはこの作品で、民族・宗教・文化の違いを乗り越えて形成された多民族国家の理想と、その礎となった歴史的瞬間を見事に表現しています。
 絵の中央には、合同を推進したポーランド国王ジグムント2世アウグストが堂々と描かれ、その周囲には調印に関わった両国の貴族や聖職者がたくさん集まっています。合同に反対するリトアニア貴族の不満げな表情からも当時の政治的緊張が反映されているのが分かりますが、実際には「自由な者たちによる自由な連合」であり、同時に双方にとっての戦略的成功となりました。マテイコはこの作品を通して、失われた国家の再統一と未来への希望の象徴を表現したかったのかもしれません。この作品は完成後に国外でも高く評価され、マテイコはフランス政府からレジオンドヌール勲章を授与されました。

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グルンヴァルトの戦い(1878年)

bitwa pod grunwaldem matejko

Bitwa pod Grunwaldem/ワルシャワ国立美術館所蔵

 1410年のポーランド=リトアニア連合軍とドイツ騎士団との歴史的戦闘を描いた、マテイコの代表作。縦縦4.26m×横9.87mという巨大なキャンバスには、戦場の混乱と英雄たちの瞬間が緻密かつ劇的に描かれています。絵の中央ではリトアニア大公ヴィトルトが敵に猛攻を加え、ドイツ騎士団総長ウルリッヒ・フォン・ユンギンゲンが討ち取られている場面が印象的。この戦いはポーランド=リトアニア側の大勝利に終わり、中世ヨーロッパの勢力バランスを大きく変える転換点となりました。
 また、この絵は第二次世界大戦中、ドイツによって「ポーランド人の士気を高める象徴」として破壊の標的とされましたが、レジスタンスによって密かに隠されていたことでも知られます。ナチスの宣伝相ヨーゼフ・ゲッペルスは、この絵の所在情報に対して、1000万ライヒスマルクの懸賞金をかけましたが、ポーランドのレジスタンスや美術関係者たちはこの絵をナチスの手から守り抜きました。絵画の隠し場所を知っていた人々は拷問や脅迫にも屈せず、このエピソードからもポーランド人の歴史に対する誇りと揺るがぬ愛国心が感じられます。

ポーランド人の国民性
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ちょっと、つぶやいていい?
アイコン フランスやイタリアのガイドさんは美大出身やもともと美術専門の方が多いそうですが、私はそういうわけでもなく、ポーランドに来てから色々と深く学んでいるところ。美術館に何時間もいれるタイプではありませんが、それでも、マテイコの大きな歴史画なら何十分でも眺められるかもしれません

 

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あやか
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