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最終更新日:2020年2月5日
クラクフの公認ガイドとして、本や写真で見たアレやコレの実物を展示するチャルトリスキ美術館の再オープンは待ち遠しいものでした。
美術館のモットー「過去の未来」、これは「記憶とアイデンティティ」とも言えます。
多くの方にとっては『白てんを抱く貴婦人』がお目当てでしょうが、これを機会にポーランドの歴史にも興味を持っていただけると嬉しいです。
今回はポーランド人の夫と5ヶ月半の赤ちゃんを連れて、チャルトリスキ美術館へ!
その2日前は入館料無料の日曜日で、15時前に美術館を訪れたのですが、その日のチケットはとっくの前になくなっていました。
館内には当日に訪問予約した人たちの長い行列がありましたが、何も知らなければ黙って列に並び、やっと自分の番が来たと思ったら「今日の分はありません」なんてこともあり得そうですね。
月曜日は休館日のため、火曜日に出直し。
13時前に訪れましたが、閑散期の1月だったのですぐチケットを購入することができました。
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展示物を見ていく前に、コートやリュックなど大きな荷物はロッカーに預ける必要があります。
そしてこのロッカー、ポーランドでは初めて見るタイプで、タッチパネル操作によって印刷されたQRコードを使って開け閉めします。
手伝ってくれる係員がいるので使い方が分からなくて利用できない、という心配はありません。
ただ各ロッカーにコードスキャンするかたちではなく、壁のタッチパネルで操作する必要があるため、係員なしでは混乱してしまいそう。
またロッカーはランダムに開くようになっており、家族や友人同士の利用でもロッカーの場所がバラバラになってしまう可能性があります。
ロッカーにはそれぞれ番号が振ってあるのですが、夫は壁側だったのに私はその裏側の番号が表示され、赤ちゃんもいたので少し大変でした!
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冬は仕方ないものの、なるべくロッカーを利用しなくてもいいように身軽な状態で来ることをおすすめします!
ベビーカーがあるのでエレベーターで2階(ポーランドでは1階)へ上がり、見学開始。
ヨーロッパでは本当にエレベーターを必要とする人しかエレベーターを使わないのが普通なので、問題のない方は階段で上がってくださいね。
最初の二部屋は美術館を創設したチャルトリスキ家の肖像画や服、剣などのコレクションです。
創設者イザベラ・チャルトリスカのデスマスクがあり、そのやりきったような顔に、思わず「本当にお疲れさまでした」と言いたくなりました。
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。1. チャルトリスキ家
。2. チャルトリスキ家2
。3. 廊下
。4. ヤギェウォ朝
。5. ヴァザ朝
。6. 第二次ウィーン包囲勝利(戦利品等)
。7. ヴェッティン家(サス)
。8. 啓蒙時代(17世紀後半〜18世紀)
。9. 宗教的装飾品
10. 葬儀装飾品
11. 東洋芸術(ペルシャ、中国、日本等)
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上の写真のようにゴールドで示された手のマークと “TOUCH”(タッチ)の表示があったら、「さわって体感してください」という意味です。
中世の立派なカギ、こんなにも大きいと存在感ありすぎて落とす心配はなさそうですね!
こういった先端部分が凸凹になっているカギを「ウォード錠」と呼び、つい眺めてしまう緻密で洗練されたデザインは芸術作品ともいえます。
さて、これらチャルトリスキ家についての展示となる二部屋の先には短い廊下があり、そこにイザベラ・チャルトリスカの言葉があります。
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だから少なくとも、歴史的に重要なものを保存することで永続化します(意訳)
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不当に奪われて消えてしまった祖国。
女性が戦場へ向かうことはできないが、せめて他の方法で残すことができるのではないか、そのことに気づき、実践した彼女は素晴らしいです!
チャルトリスキ家の展示の次は、いよいよポーランド史に深く関わるコレクションの数々が…。
まずはヤギェウォ朝(1386年〜1572年)から始まり、ポーランドが消滅するあたりのサス朝(1697年〜1763年)までは時間も忘れ、ノンストップで鑑賞してしまいました。
上の10人の肖像画がある絵は、国王ジグムント1世(上の右1番目)の家族。
特に右下の3人の女性は瓜二つの三つ子に見えてしまいますが、カタジナ、ゾフィア、アンナという姉妹であり、ジグムント1世の娘たちです。
ジグムント1世の妻はミラノ公の娘であり、ボナ・スフォルツァというイタリア人。
彼女の存在なしにして16世紀のポーランドの繁栄はあり得ません(ただでさえ、ポーランドのルネサンスはイタリアより百年遅れています)。
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それでもかなり長く思えるのは、ヤギェウォ朝3代目の国王カジミェシュ4世が妻エリジュビエタとの間に13人もの子どもを儲けたからかも…?
こちらは18世紀後半までクラクフ旧市街に存在した、聖ミハウ教会の祭壇の一部。
オーストリアによって破壊されてしまいましたが、私が300年前のポーランドに行けるならぜひとも行ってみたい教会ナンバーワンです。
ちなみにこの教会があった辺りは現在、見応えのある考古学・地質科学博物館になっています。
その中でも聖ミハウ教会の装飾品がよく出てきて、しかも結構立派だったりするので元の姿が気になります。
ポーランドの栄光といえば、やっぱり第二次ウィーン包囲での勝利ではないでしょうか。
この部屋は1階展示のほぼ中間地点となり、今までとは少し雰囲気が変わるので「これは…ついに!」と夫ともにテンション上がりました。
ポーランドが欧州を救った世紀の戦い;第二次ウィーン包囲や、ポーランド史上最強の重騎兵フサリアについてはこちらの記事をご覧ください。
ソビエスキの次となるサスまで来ると、ポーランド消滅までは秒読み段階に入ります。
ちなみにドイツ出身であるサスのポーランド国王はよく批判されますが、彼の棺の前で彼を貶したある公認ガイドは資格を剥奪されたそうです。
1階の最後は、アジアからのコレクション。
ペルシャ、インド、中国、日本とつづき、日本人なのに日本の作品をまじまじと見て前半終了。
次の2階でいよいよ、ダ・ヴィンチ『白てんを抱く貴婦人』を見てきます!(美術館以外の場所では30回以上見てると思いますが……笑)
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Elżbieta
Elżbieta(エリジュビエタ)はポーランド人女性の名前で、英語では「エリザベス」です。
自己紹介で「エリジュビエタです」と言われても「もう一回言って!」となりそうですね。
ポーランドではよく聞く名前で、愛称として「エラ(Ela)」とか「エルカ(Elka)」(Lの音に注意)と呼ぶこともあります。
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