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【繰り返してはいけない過去】ポーランドが共産圏だった頃の壮絶な話5選

ポーランドが共産主義だった頃の話
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クラクフ市公認ガイドのカスプシュイック綾香(本名)です。2014年以降、ポーランド在住。ガイド・通訳業の傍ら、旅行や生活に欠かせないポーランド情報をお届け中!
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ウクライナ支援活動のご報告
ルワンダの教育支援団体設立

 

この記事の内容
 ポーランドは終戦の1945年から共産圏を脱却した1989年までの間、ポーランド人民共和国と呼ばれていました。このおよそ45年間はソ連の衛星国として社会主義(共産主義)体制をとっており、今の民主主義で自由となったポーランドと比べれば雲泥の差…。
 
 当記事では「共産圏だった頃は実際どんな感じだったの?」という方に向けて、当時のリアルな話を交えて説明します。ちなみに、私が生まれたのはソ連が崩壊した1991年。共産主義時代の話はまるで戦後すぐの出来事のようですが、それほど昔でもありません。

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この記事の目次
1分でよく分かる共産主義の特徴
共産主義時代の壮絶な暮らし
  基本の食材すら品薄で贅沢品?
  買った車に血がついていた
  あの手この手で友人が国外逃亡
  外貨があればなんでも買えた
  賄賂やコネなしで生きていけない

共産主義のことを聞くのはタブー?
当時を知る日本人が書いた本
共産主義時代を学べる博物館3つ
この記事のまとめ
7分で分かるポーランドの歴史!建国から社会主義脱却までの千年を総括

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1分でよく分かる共産主義の特徴

共産主義 共産主義(社会主義)は “資本家による貧困層の抑圧や社会的搾取を廃止し、格差にとらわれない平等な社会” を理想としています。

このような、資本主義を否定する傾向がハッキリと見られたのは18世紀以降。
当時は産業革命が進展し、農奴制が崩壊したことで裕福な資産家が増え、一部の富を得た人々や貴族だけが得をするような社会でした。

格差が浮き彫りになってくると、庶民はどうしても不公平感を抱いてしまいます。
そんな世界で社会主義の思想が生まれるのは無理もなかったと容易に想像できますよね。

初の社会主義国家は1917年に生まれたロシア・ソビエト連邦社会主義国。
そして1922年にはロシア内戦を経てソビエト連邦(ソ連)となり、大戦後はポーランドなど旧東欧を衛星国として併合しました。
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食べ物や消耗品は公平に分配される
医療や教育など社会福祉は無償
地位や役職による賃金格差は小さい
政府の権力が強く、言論統制がある
一党独裁体制で競争政党がない
土地や企業は国が所有する
平等ゆえに個人の資産は没収される
いずれ行政が腐敗し、賄賂が横行する

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上記は社会主義国の主な特徴です。
最初の3つまでは利点と言ってもいいと思いますが、それ以降は受け入れがたいはず…。

ソ連の場合、ポーランドの民主化運動が皮切りとなって1989年に体制が崩れはじめ、1991年12月をもって崩壊しました。

社会主義国は国家の需要を国内で完結してしまうので経済水準は低く、おまけに大部分の人が低賃金しか稼げないのでは「真面目に働いたら負け」という風潮が生まれます。
ただ、戦前までの発展途上の世界では画期的な政治思想だったのは間違いないでしょう。

かつては20ヵ国以上あった社会主義国も戦後は衰退し、今や5ヵ国(中国、ベトナム、キューバ、ラオス、北朝鮮)のみ。
現代のスタンダードといえる社会体制は、日本のような民主主義の資本主義経済です。

あやか
長い歴史の中で人々が理想としてきた「平等」。でも、平等で公正な社会は「自由」を引き換えに得られるってこと。
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日本における社会主義政党
 日本には現在8つの主要政党があり、その中では「日本共産党」と「社会民主党」が社会主義寄りと言えます。ただし、世界に何十ヵ国とある民主主義国家がすべて同じ政治体制ではないように、これらの社会主義政党が言論統制や一党独裁を目指しているわけではありません。また、社会民主党は資本主義を受け入れているので厳密には社会主義ではないです。
ポーランドの歴史
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共産主義時代の壮絶な暮らし

 7人家族で育ったポーランド人夫の両親から聞く、共産主義時代のリアルな話。

 凄まじい努力と苦労に堪えつつ “大家族でもみんな幸せな家庭” を築いていたようですが、そんな義両親には尊敬の念を抱きます。

 

基本の食材すら品薄で贅沢品?

空っぽのボウル 本来、国民みな平等に与えられるはずの食べ物や消耗品の一部は配給制となっており、それは買いだめを防ぐ狙いもありました。

 しかし、当時のポーランドは慢性的な供給不足に陥っており、ひどい時は肉を月3キロまでしか購入できなかったそうです。
卵、小麦粉、牛乳、砂糖など基本食材も配給制で、これらも同じように制限されました。

 配給カードを持って数時間と並んだところで手に入る保証は一切ありません
仕事終わりに店に行こうものなら棚は空っぽのため、生活がますます困窮するのは覚悟で仕事を辞めざるを得ない人たちもいました。

 義両親に当時のノートを見せてもらったところ、本当にカツカツだったみたいです。
子どもの誕生日にケーキさえも作ってあげられなかった、という呟きが忘れられません。

 

買った車に血が付いていた

割れたガラス 3〜4人と子どもが増えると今までの小さな車では家族みんなで移動できず、一家は大きな車が欲しいとずっと思っていました。

 そして数年越しにやっと8人乗りの中古ミニバンを購入したものの、なんと西ドイツから流れてきた事故車だったのです。
しかも勢いよくぶつかったのかフロントガラスは粉々に割れ、が付着したままの状態。

 本心は願い下げでも、この機会を逃せばいつまた車が手に入るか分かりません。
国にクレームを付けるわけにもいかず、修理してガラスを張り替えてもらったのだそう。

 共産主義のもとでは目の前にあるすべてを黙って受け入れるほかありません。
民間企業であれば企業努力が期待できますが、そもそも他企業との競争も向上心もない社会体制では【選ぶ立場】になれないのです。
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あの手この手で友人が国外逃亡

世界地図 夫の家族は共産圏外に逃げることは考えなかったものの、西ドイツやアメリカに行ってしまった友人家族が数組いるみたいです。

 希望や将来性もなく、【ただ安月給を稼いでは限られたものしか手に入らないような国】から逃げ出したくなるのは当然。
しかし、パスポートすら自由に持てない国民が国外へ逃亡なんて一筋縄にはいきません。

例外的に研究や仕事など真っ当な理由があれば共産圏外に行けたそうで、義父もイギリスや西ドイツにはよく行ったみたいです。
でもそんな人は本当ごく一部で、第一、家族みんなで共産圏外に出ることはできません。

そこで一家で逃亡した人たちはどうしたかと言うと、まず、共産圏内のユーゴスラビアへ最低限の生活用品を持って旅行します。
そして闇仲介業者を通してアメリカ行きの船に乗り込めば、逃亡は成功というわけです。

 

外貨があれば何でも買えた

アメリカドル 当時、夫の父は大学で研究者として働き、母は4人の子ども(5人目は共産圏脱却後に誕生)を育てるために専業主婦でした。

6人家族で1人しか稼ぐ者がいないという状況では、家計はもう常に火の車。
それでも必死にやりくりし、万が一に備えてお金を少しずつ貯めていったのだそうです。

そして、アメリカドルさえあれば何でも買える闇市をごく稀に利用しました。
外貨を持つことは違法でしたが、銀行近くにいる闇の両替商を通して【実際の10倍近くのレート】で両替することができたとか…。

中でも一番切なかったのは、結婚式のドレスを買う余裕がなかったから闇市で真っ白なベールだけ4ドルで購入したという話。
闇市はリスキーなので、国外逃亡した友人が小包を送ってくれたこともあるそうです。

 

賄賂やコネなしで生きていけない

 共産主義を何十年と経験してきた人の中で、政府の決め事を忠実に守り、賄賂やコネとも無縁だった人はいないかもしれません。

 義両親は結婚後、家具家電を一式揃えるだけで5年以上も費やしたと言います。
もちろん、好みのデザインや価格帯なんかをじっくり吟味していたわけではありません。

 お店の人に「◯◯を入荷したらすぐ教えてほしい」と伝えるも、すぐ教えることと引き換えに見返りを要求されるのは普通…。
出先で欲しいものを偶然見つけると、銀行の行列に並ぶ時間も惜しみ、ご近所さんにお金を貸してもらって即効手に入れたそうです。

 今でも夫の実家には共産主義時代に買ったものがありますが、思い入れが深いからか使える限りは絶対捨てようとしません
そして、その古いモノを大事に使う姿はポーランドの国民性に繋がっている気がします。

ポーランド人の国民性

 

共産主義のことを聞くのはタブー?

女性

 これまでのエピソードを読んでも分かる通り、共産主義時代まっただ中を生きたポーランド人はそれなりに苦労をしています。

 でもそのような話を聞くのがタブーかと言うと、決してそうではありません。

 70年代以前に生まれた人は共産主義時代の生活を覚えていますが、まるでジョークのように笑いながら話す人だっています。
場面と内容によるものの、話す本人も生真面目に聞いてほしいわけじゃないでしょう。

個人的には、本人さえ話すことを嫌がらないのであればどんどん聞くべきです。
戦時中の話を語れる人がわずかになってきているのと同じで、いつかは共産主義時代の出来事を語れる人も減っていくわけですから。

ただ、中には冗談でも笑えない話があるので空気が重くなる可能性はあります。
共産主義に反対して命を落とした神父や一般人、餓死した人もいるほどなので、怒りや悲しみの言葉が出てきてもおかしくありません。

あやか
2019年は共産圏脱却30周年だったから、色々ネットにもコラムがあがってたよね。でもまだ30年前なんだ…。
ピオトル
こういう苦労話を聞きながら育ったけど、今のポーランドが成長しすぎて脱却が30年前そこらには思えないんだよね。
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当時を知る日本人が書いた本

ワルシャワ貧乏物語 ポーランドに関する本は多く出版されていますが、断トツで夢中になって読める本は『ワルシャワ貧乏物語〜ある外国ぐらし』。

1967年からの7年間、日本語講師のご主人とともにワルシャワに暮らしていた工藤久代さんが書いたサバイバルブックであり、ただの貧乏生活日記ではありません。

裕福な外国人として暮らしていたわけではなく、リアルな試行錯誤を重ねて日本人らしく生きた一家の物語はとてもユニーク
エビの話だけで4頁も書けるのはスゴイ。笑

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 消費物資の氾濫する日本から見れば、モノ不足を痛感させられる社会主義の国でありながら、ここには見せかけの繁栄とは違う何かがありました。人びとのくらしは、地味で貧しいように見えても、その実、日本人よりも豊かにくらしているのではないかと思うことに、しばしば出会いました。
 
   ワルシャワ貧乏物語 〜はじめに〜

言葉も通じない外国にやって来て頭が真っ白の中、ご近所の手際良い奥さんに生活の知恵を分けてもらい、ポーランド人と深く関わりながら暮らしてきたという久代さん。
こまかく当時の状況とモノの値段なんかも書かれていて、本当にすごく勉強になります。

それでもやはり、久代さん一家はポーランド人家庭より恵まれており、9割以上の思い出が美化されているように感じます。
この本だけでは【国外逃亡者が出るほど辛く苦しい共産主義時代】は想像できません。

しかし、いくら物質的に貧しくても心まで貧しかったわけではないから、久代さんはポーランドを好きになったのでしょう。
今のポーランドは当時より5倍も豊かですが、人々の距離は近いままだと思います
ポーランド経済

 

共産主義時代を学べる博物館3つ

あやか
人気観光都市のワルシャワ、グダニスク、クラクフにある共産主義時代(PRL)について学べる博物館を紹介するよ!

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この記事のまとめ
アイコン 共産圏だった名残でまだ “東欧” と呼ばれることが多いポーランド。でも、肝心のその頃のリアルな生活事情を知っている人はあまりいないと思います。
買った車は思いっきり事故車と分かるかたちで納車され、友人一家は生活苦のあまり国外へ逃げていき、どうしても手に入れたいものがあれば違法と知りつつも闇市で…、なんて、そんな経験をした人が皆さんの周りに一人でもいるでしょうか?

 空から爆弾が落ちてくる心配はないにせよ、まるで疎開生活のようにも思います。ワルシャワはまだモノが手に入りやすかったようですが、それを買う余裕が庶民にあったかどうかはまた別の話。
誰もが納得する政治は難しいといえ、社会主義体制のもとで国民を幸せにすることは資本主義社会より難しいと言えそうですね…。ほんのちょっとの小さな幸せが大きく感じられるような記事でした

ポーランドの歴史

 

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あやか
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6件のコメント

青木 孝之 より:

青木です。
いつものように、旅行に備え、綾香さんのナビを見ていたら、この記事を見ました。
私の亡くなった祖母から聞かされた日本の戦時中の話と凄く似ており、胸が苦しくなりました。人々を苦しめるのは戦争だけではない。
しかし、そんな祖国を愛し守るポーランドの人々。益々会って見たくなりました。

ヴォーン有紀子 より:

ネットでポーランド人と知り合い、メッセージ交換しています。30才の彼から聞いたのは、戦後はソ連が略奪して行ってすごく貧しい国だったと言う事です。
お爺さんが国の再建に大いに貢献したのに一銭ももらえなかったと、恨み節のように聞かされました。
こちらのサイトに出会い、興味が湧き行ってみたい国になりました。

Ayaka より:

有紀子さんの知人であるポーランド人の方は、私の夫と同じ世代だと思います。
その世代の人たちは当時幼かったながらも、ポーランドが貧しく、ここまで成長するのに苦労したことはよく知っていますね。
しかし、同時にそれを誇りに感じています。
10年前と比較してもかなり成長したようですし、ポーランドにお越しの際は共産主義について紹介している博物館など巡られ、比較してみると驚くかもしれませんよ。

ヴォーン有紀子 より:

そうですね、ほんとに誇りに思っている様です。他の先進諸国に追いついたと感じていた様ですが、今年5月に日本を旅行して、東京は1世紀先を行っていると感じたそうです。
私に言わせれば、技術とかは先進的かもしれませんが、住んでる人間には息苦しい国じゃないでしょうか。

またまたお返事が遅くなり、すみません(たまに通知を見逃してしまいます…)。
東京やニューヨークといった都市は、先進国の中でも特別感がありますよね。
ポーランド人でなくても、東京の大都会を見たら圧倒されてしまうと思います。
私の夫は高層建築物が大好きで東京に夢中ですが、住みたいかと言われると、それなら北海道のほうがいいそうです(笑)。
北海道はポーランドに似ていますね。

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