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この記事の内容
ポーランドは2016年に洗礼1050周年を迎え、この出来事が国家として前進するきっかけとなりました。
2大王朝によって支えられたポーランド王国、選挙王制によるポーランド・リトアニア共和国という大国の時代を経て凄まじい苦難を経験し、一度は120年以上にわたって地図から消された国。
しかし、ポーランドが本当に弱い国だったら、国家として復活することはなかったでしょう。それでも今、こうして存在する理由はポーランド人の “国を守ろうという信念” にあるのです。
当記事では、そんなポーランドの興味深い歴史を7分でサクッと紹介します!
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この記事の目次
❶ すべてのはじまり、ピャスト王朝
10世紀頃 ミェシュコ1世が国の礎を築く
1138年 君主の遺言で国がバラバラ…
1241年 国家史上初の大敵はモンゴル
14世紀頃 行政や司法を整備し、再統合へ
❷ 黄金期を築いたヤギェウォ王朝
1386年 リトアニアと強力な関係を築く
1410年 ドイツ騎士団を倒して勢力拡大
16世紀頃 宗教改革では寛容な姿勢
1569年 王朝支配の終わりに備える
❸ 戦いで休む間もない共和国時代
1572年 ポーランド•リトアニア共和国誕生
16世紀〜 スウェーデンやロシアと戦争続き
1683年 オスマンを撃退し、欧州を救う
18世紀頃 隣国からの内政干渉で疲弊しきる
❹ ポーランド分割で国家消滅
1772年 第一次ポーランド分割
1793年 第二次ポーランド分割
1795年 第三次ポーランド分割
1807年 ナポレオンを支持するも状況悪化
19世紀頃 ショパンなど著名人が次々と活躍
❺ 大戦後、ついに復活したポーランド
1918年 念願の独立、第二共和国誕生
1939年 第二次世界大戦とナチスの支配
1945年 ソ連の圧政による苦難の時代
1978年 ポーランド人初のローマ教皇選出
1989年 民主化を目指し、東欧革命で一新
❻ この記事のまとめ
洗礼1050年|古きカトリック信仰に見る中世ポーランドの歴史物語
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すべてのはじまり、ピャスト王朝
国王ヴワディスワフ1世とカジミエシュ3世の時世、武力より会話で解決する姿勢が国家を安定に導く。王国基本法が制定され、国内初の大学(現ヤギェウォ大学)も誕生。移民やユダヤ人を積極的に受け入れ、50以上もの城が築かれ、大国へと成長していった。
黄金期を築いたヤギェウォ王朝
ヤギェウォ王朝最後の国王ジグムント2世アウグストには王位を継ぐべき息子がおらず、自身の死後、ポーランドとリトアニアの関係が弱体化するであろうことを恐れた。結果、合同を結んで両国を統合し、今後は両国共通の選挙で君主を選ぶことにする。
戦いで休む間もない共和国時代
ポーランド分割で国家消滅
以降も蜂起を繰り返しては失敗し、数百人もの貴族が絞首刑、十数万人がシベリア流刑となった。ビスマルクによるポーランド人抑圧政策が始まる中、愛国心が強い者たちは民族意識や信仰心をより高め、亡き祖国の歴史を守ろうと様々な分野で活躍した。
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音楽家 フリデリック・ショパン
詩人 アダム・ミツキェヴィッチ
物理学者 マリ・キュリー
画家 ヤン・マテイコらなど
大戦後、ついに復活したポーランド
80年代後半にインフレや食料不足といった問題が重なり、一部労働者がストライキやデモを行う。やがて社会主義国初の労働者組合「連帯」が発足し、他国も影響を受けながら民主化運動はますます激化。1989年の円卓会議を経て、ソ連の支配から脱却した。
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ポーランドへお越しの際はぜひ、歴史的スポットもじっくり観光してください。古都クラクフでは、カジミエシュ3世、ヤドヴィガ、ジグムント2世、ヤン3世ソビエスキほか多数の国王や英雄にまつわる場所も残っており、旧王宮に隣接するヴァヴェル大聖堂では美しい墓地聖堂を見ることもできます。もっと詳しく知りたい、おもしろい話を聞いてみたい方はクラクフ公認ガイドである私に直接ご相談ください♪
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大変勉強になりました。ありがとうございました。
私も書きながら頭の整理に役立ちました!たまに自分でも読み返しています。
ポーランドに旅行に行こうと考えていたところなので、とても助かりました!ありがとうございます。
まどかさん
はじめまして。
ブログを運営している綾香です。
コメントありがとうございます。
このブログを通して、一人でも多くの方がポーランド旅行を楽しまれることを願っています!
今後ともどうぞよろしくお願いします。
ポーランド出身のMoonlight という好きなバンドの曲に、historia do zapomnieniaというのがあって、どういう意味なんだろうと調べているうちに、こちらのサイトにたどり着きました。ポーランドの歴史、大変ためになりました。ありがとうございました。また訪れます!
こんにちは、管理人の綾香です。
すっかりコメントの承認が遅くなり申し訳ありません。正月休暇で昨日、ポーランドに戻ってきました。
秋山さんは音楽がきっかけでポーランドに興味を持たれたのですね (^ ^)
最近こちらの記事がまた人気が出ているのですが、一昨日も昨日もページビューでナンバーワンでした!
歴史的背景を理解してから聴くと、ちがったメッセージが見えてくるのではないでしょうか。
ほかの記事もまた読んでいただけると嬉しいです。
承認、ありがとうございます。イスラエル・ヨルダン旅行に行かれていたのは記事で読んでました。また、ポーランドの歴史を勉強するためにこちらのサイトを訪れさせていただきますね。
聖マリア聖堂 のなかで、読み入ってしまいました。クラクフに赴任して3年、初めてポーランドの歴史を日本語で解りやすく説明してもらいました。残りの時間を有意義に過ごしたいと思います。ありがとうございます
たいへん勉強になりました。わかりやすかったです。
美咲さん
そう仰っていただけで何よりです。
これを機会にポーランドについてさらに関心を持っていただければ嬉しいです。
先週、ポーランド旅行に行き、復習しているところでこの記事を読ませて頂きました(*^_^*)とてもわかりやすかったですし、またポーランドへ訪れたいなぁという思いが増しました!他の記事も読ませていただきます。
ありがとうございました!!
分かりやすいと仰っていただき嬉しいです!
その国の背景や歴史を知ると、そこで見る景色もまた変わってきますよね (^ ^)
私もガイドの勉強をするとき歴史にどんどんハマってしまい、元ポーランド領だった近隣諸国の歴史書も読みあさっています。
ショパンの事を調べるのに、ポーランドの歴史が知りたくてこのサイトにたどり着きましたが、大変勉強になりました。このポーランド人の独立の精神がショパンの音楽の基本になっているんでしょうね。有難うございました。
コメントありがとうございます。
ショパンの曲にはポーランドへの愛国心を感じられものが多くありますが、当時のポーランドの歴史背景を知っていると聴こえ方が変わりそうですね。
ショパン以外にも著名なピアニストはいますが、やはり、19世紀前後に活躍した人たちが目立ちます。
機会がありましたら、カロル・シマノフスキ(Karol Szymanowski)やイグナツィ・パデレフスキ(Ignacy Jan Paderewski)の演奏もぜひ聴いてみてください。
ポーランドには二度ほど行きましたが、「いつまでもショパン」を読み、歴史や国民性を勉強したくなりました。わかりやすかったです!
ありがとうございます。参考になったようで嬉しいです。
歴史を知ると、点と点が線でつながったり、見えてくることがたくさんありますよね!今はブログ全記事をリニューアル中でして、他の歴史記事も書き直す予定です。これからもぜひご愛読ください。