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ヤン・マテイコ(Jan Matejko, 1838–1893)は、19世紀ポーランドを代表するクラクフ出身の歴史画家。絵画を通して自国のアイデンティティと誇りを表現した芸術家として、今なお多くのポーランド人に記憶されています。彼の生涯と作品は、政治的抑圧下にあった当時のポーランドにおいて、文化的抵抗の象徴でもありました。祖国の栄光と悲劇を壮大なスケールで描き、ポーランド国民の精神を鼓舞したマテイコは「絵筆を持つ歴史家」
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※ こちらのページ でマテイコの作品を見れます

1. マテイコの生い立ちと背景
オーストリア帝国の支配下にあったクラクフで誕生。父はチェコ人の音楽教師、母はポーランド人という家庭に育った。11人兄弟のうちの7番目であり、早くに母を亡くしている。家庭はあまり裕福とは言えなかったが、幼少期から絵画に強い関心を示し、その才能を開花させた。
当時、ヤギェウォ大学に創設されていた美術学校(現ヤン・マテイコ美術アカデミー)に入学し、のちにウィーン美術アカデミーやミュンヘンにも留学。膨大な歴史資料、衣装、武器、美術品などを収集し、そこから得た知識と観察をもとに作品にリアリティと歴史的正確さをもたらした。
「スカルギの説教(Kazanie Skargi)」を発表し、これ以降、ポーランドの歴史を題材にした大規模な歴史画を次々と描いていった。この作品では、ポーランドの宗教的・国家的指導者が民衆に語りかける場面をドラマチックに描いており、民族の誇りを呼び起こすものだったとされる。
母校であるクラクフ美術学校の校長に就任し、教育者として若手芸術家の育成に尽力。
彼の門下からは、ヴィスピャンスキやメホフェルなど、「若きポーランド運動」を担う次世代の芸術家が育っていく。一方では熱心なコレクターとして、歴史的衣装や甲冑、勲章、書籍などを収集し、ポーランド文化遺産の保存にも貢献した。
1872年から4年以上をかけて制作した『グルンヴァルトの戦い』は、中世のドイツ騎士団に対するポーランドの軍事的勝利を記憶に刻む作品。
分割支配下で苦しむポーランド人にとって、希望と誇りの象徴となった。ロシアは民族主義を煽るとして公開を拒否し、ワルシャワの実業家によって購入される(ワルシャワ国立博物館所蔵)。
晩年にかけては、ポーランドの王と公たちの肖像を44点制作するというプロジェクトに取り組む。これは、歴代のポーランド指導者を視覚化することで国民の歴史意識を高め、また教育目的としても活用させることで当時のポーランド人に祖国の誇りを思い出させる試みであった。
参考書籍『Jan Matejko wszystkim znany』
著者:Maria Szypowska
2.「歴史の語り部」としての使命感

代表作『グルンヴァルトの戦い』
Bitwa pod Grunwaldem (Jan Matejko)
マテイコは、ポーランドが分割されて国家として消滅していた激動の19世紀に生きた画家。
そんな彼は、絵画を通じてポーランドの民族的誇りと独立への希望を呼び起こそうとしました。代表作「グルンヴァルトの戦い」では、1410年にポーランドとリトアニア連合軍がドイツ騎士団を破った場面を細部まで緻密に描いています。絵には数十人の人物が登場し、それぞれの衣装や武器、表情に意味が込められています。マテイコはこの絵を、軍事的勝利の誇示だけでなく、過去の栄光を再確認し、未来の独立を鼓舞するための視覚的な歴史書として描いたのです。史料を徹底的に研究し、自ら考証も行っていた彼は、美術家であると同時に歴史家、教育者としての役割も担っていたと言えます。
3. 歴史画に宿る抗議の声と信念

『レイタン(ポーランドの没落)』
Reytan/Upadek Polski (Jan Matejko)
1866年に発表された《レイタン》は、1773年の第一回ポーランド分割に抗議した政治家タデウシュ・レイタンの姿を中心に描いた歴史画です。
この絵は、外国勢力による国家の分断と、それに同調する一部ポーランド貴族の姿勢に対するマテイコの強烈な批判を含んでいます。レイタンが議場の床に身を投げ出して抵抗する姿は、愛国者の絶望と国家の悲劇を象徴しています。作品はその政治的メッセージ性の強さから一部の上流階級から反発を受けましたが、やがてオーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世によって購入され、1867年のパリ万国博覧会で金メダルを受賞しました。この出来事は、体制批判的でありながらも、マテイコの歴史画が芸術作品として高く評価されたことを示しています。《レイタン》は、歴史のみでなく、マテイコ自身の愛国心と信念を映し出す鏡とも言える傑作です。
4. 美術教育者としての功績と遺産

『妻との自画像』ヴィスピャンスキ作
Autoportret z żoną (Stanisław Wyspiański)
マテイコは画家としての活動のかたわら、クラクフ美術アカデミーの校長として多くの後進を育てました。彼は単なる技術指導にとどまらず、学生たちに「ポーランド人としての誇りと使命感」を伝えることを重視していました。マテイコの教えを受けた学生の中には、後にポーランド芸術界で大きな足跡を残す者も多くいます。例えば、ヨゼフ・メホフェルやスタニスワフ・ヴィスピャンスキなど、彼の弟子たちは近代ポーランド美術の礎を築きました。
また、マテイコの生家は「マテイコの家(Dom Jana Matejki)」として一般公開されており、現在も多くの人々が訪れる博物館となっています(オススメ)。マテイコの芸術と教育に対する情熱は、世代を超えて今も生き続けているのです。
2025年3月25日~6月29日、京都国立近代美術館にて〈若きポーランド〉色彩と魂の詩1890-1918展 が開催中です。ヤン・マテイコの作品や、彼の後継世代にあたるヴィスピャンスキ、メホフェル、ボズナンスカらの作品を通じて、ポーランド芸術の精神とその発展の系譜をたどる貴重な機会!
ぜひ足を運んでみてください(私も行くかも)
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