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日本人が発明したものですらスッと言えないのに調べてしまいました。
すると「そうだったの?!」と、結構ビックリ。思わず皆さんにも伝えたくなったので、早速こんな記事を書いてみました。ぜひシェアしてください (*^o^*)
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このページの目次
1. ゴルフカート
2. プロジェクター(映写機)
3. ウォタープルーフマスカラ
4. パラフィンランプ
5. 地雷探査機(マインディテクター)
6. 防弾ジャケット
7. おまけ エニグマの解読
ゴルフカート
ポーランドの観光地でやたらゴルフカートを見る理由がやっと分かりました。
特にクラクフに訪れたことがある方は、「なぜゴルフ場でもないのにゴルフカートがそこら中を走っているのか」と疑問に思ったのではないでしょうか。
あれを利用すると観光スポットを効率よく訪れることができ、しかも音声ガイドもあったりして、タクシーよりも新鮮なのでハマる人はハマるんですよ。
さて、ゴルフカートはポーランド語で “Melex”(メレックス)といいます。
Melex はゴルフカートを発明したポーランドの小さな会社の名前で、1971年に創立されました。Melex は、ゴルフ場の広大な敷地で毎度ゴルファー達が重たい大きな荷物を肩に抱えなければいけないことに着目し、コンパクトな車(ゴルフカート)を編み出したのです!
最初は拠点をアメリカに置いていた Melex でしたが、間もなくゴルフカートは世界中で売れだすように。ポーランドではゴルフは日本ほど人気ではないので、そんなポーランドでゴルフカートが生まれたというのはとても意外ですね。
プロジェクター
プロジェクターを発明したのは、リュミエール兄弟だと思っていませんか?
リュミエール兄弟は、トーマス・エジソンと並び称されるほどの発明家で「映画の父」とも言われていますね。でも実は彼らよりも先に、ポーランド人がプロジェクターを発明していたのです。
その名もカジミエシュ・プルシェニスキ(1875〜1945)。
カジミエシュは映画撮影業界で活躍し、pleograf(プレオグラフ)というフィルムカメラの特許を取得しました。そしてそのフィルムカメラはプロジェクターとしても使われており、まさにリュミエール兄弟がプロジェクターと称したものと同じ機能で動くものでした。
しかし、それではなぜリュミエール兄弟が発明したことになっているのでしょうか。実は、それが謎なのです。
ちなみに世界初のハンディービデオカメラ aeroscope を編み出したのもカジミエシュ・プルシェニスキ。彼の名前がもっと売れてもいいような気がするんですけど、皆さんはどう思いますか?
落ちないマスカラ
女性の皆さん、ウォータープルーフマスカラは持っていますよね?
私はアレルギーのためマスカラやアイライナーを使ってのメイクはできないのですが、今やコスメショップで「ウォータープルーフマスカラ」を売っていないところなどないはずです。それくらい、女性にとってのマストアイテム。
そんな人気コスメを発明したポーランド人女性の名は、ヘレナ・ルビンスタイン(1872〜1965)。
彼女は当時オーストリア=ハンガリー帝国の領土だったクラクフに生まれたユダヤ系ポーランド人で、後にアメリカの実業家として活躍し、化粧品会社ヘレナルビンスタイン社を立ち上げました。
世界有数の女性大富豪の一人です。
彼女は18歳で家族と共にオーストラリアへ移住しましたが、もしそのままポーランドに住んでいたらウォータープルーフマスカラの開発が遅れるばかりか、彼女自身が強制収容所に連行されてしまっていた可能性は高いでしょう(カジミエシュ地区に住んでいたため)。
パラフィンランプ
パラフィンというのは炭化水素化合物の一種で、和名では石蝋とも言われます。例えば、ロウソクはパラフィンでできているので、あの白い固形物を目に浮かべてもらえればいいでしょう。
そのパラフィンで灯されるランプを発明した偉人の名は、イグナツィ・ウカシェヴィチ(1822〜1882)。
彼は侵出油から灯油を蒸留する方法を発見し、ヨーロッパ初の近代街灯を導入しました。また、世界初の石油精製所を建設した石油産業の先駆者でもあります。
彼は著名な慈善家でもありますが、実は貧しい環境で育ち若い頃はそれなりに苦労していました。しかし、侵出油の可能性に興味を持っていたことから同僚と侵出油についての研究をし、1856年には世界初の産業用石油精製所「油分留所」を開設。そして、人工的なアスファルトや機械油などを製造しました。
その研究成果もあり、やがて資産家となったイグナツィは当時ポーランド分割によって貧困や混乱に陥っていたポーランド人を援助し、職業訓練校や社会保険を立ち上げ、また温泉リゾートや教会、修道院も建設したそうです!
世界最古の油井が石油で誰もが思い浮かべるようなアラブ諸国ではなく、ポーランドにあったとは驚きですね。
ちなみに生前、ロックフェラー財閥の者が彼にケロシンの精製方法について助言を求め、その報酬として幾ら払えばいいかと聞いたところ、「私は人々の幸福のために働いているので金銭は要らない」と伝えたそうです。格好よすぎる!
地雷探査機
地雷探査機の発明者であるポーランド人も、先ほど紹介したイグナツィと並び心の優しい人だったようです。
彼の名は、ユゼフ・コサツキ(1909〜1990)。第二次世界大戦を生き抜いたコサツキは軍人として、そしてエンジニアとして広く活躍しました。
1939年9月のナチス・ドイツによるポーランド侵攻時、彼はなんとか同盟国であったイギリスに到着。
ロンドンにあったポーランド亡命政府にて軍事業務に従事し、1941年に地雷探査機を発明します。その地雷探査機はエジプトでの戦いで最初に使用され、それらはなんと1991年の湾岸戦争でも使用されたというのだから驚き。
また、彼はその偉大な発明品の特許を取得することもなく、イギリス軍へのプレゼントとして地雷探査機を贈りました。戦後ポーランドに帰国した彼は電子機器や核装置のパイオニアとして一躍有名になり、核の研究に貢献しています。
防弾ジャケット
最後に紹介するのは、防弾ジャケットを発明したヤン・シュチェパニク(1872〜1926)。
彼は数百もの特許を取得しており、防弾ジャッケトも含め50を超える発明品を生んだそうです。それらの一部は現在も使用されており、多くは映像業界やテレビ機器に用いられているとのこと。
そんな天才が防弾ジャケットを編み出したのは1901年のことでした。
当初ジャケットには多重のシルクが使われており、そのお陰でスペイン王アルフォンソ13世(1906〜1941)が命を拾ったという逸話があります。
それは1906年のパリでの出来事。アルフォンソ13世が馬車で旅をしていたところ、突然爆弾が爆発したのです。しかしヤン特性のシルクジャケットを着ていたため、一命を取り留めたのでした。
また彼は、防弾ジャケットを雇い人に着させて彼に向けて銃を撃ち、テストをしたそうです。せめて何か木に巻くなりして確かめてほしいところですが、雇い人には怪我はなかったようなので良いとしましょう。でも自分だったら、絶対死なないと分かっていても嫌ですよね…。
おまけ エニグマの解読
エニグマを発明したのがポーランド人、というわけではないので「おまけ」としてあるエピソードをご紹介します。
エニグマと聞いてもピンと来ない人は多いかもしれませんが、映画「イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密」(2014年)を知っている方はいるのではないでしょうか。
エニグマは第二次世界大戦時ナチス・ドイツが用いていたことで有名な、最も重要なローター式暗号機。
ただ、数学者でもない私がエニグマの仕組みを説明するのは無理があります。興味のある方は調べてみると分かると思いますが、おそらく理解不能でしょう…。
さて、映画ではエニグマを解読したのはなぜかイギリスの暗号解読者とされていますが、史実では若きポーランド人が解読に成功しています。実はポーランドには優秀な数学者やプログラマー(あと、パイロットも)が多いのですが、あまり知られていないのが残念。
エニグマ暗号を破ったのは、ポーランド暗号局に務めていた27歳の数学者マリアン・アダム・レイェフスキ。彼によって、第二次世界大戦中イギリスがドイツの暗号化された通信を解読し、そのお陰もあって連合国が勝利したのです。
ヤン3世ソビエスキのオスマン帝国撃破といい、近代の天才レイェフスキの大きな功績といい、ポーランドはヨーロッパの絶体絶命の危機を幾度か救ってきた偉大な国だったのですね。ショパンの国どころではない気がします。ポーランドの偉人達に拍手を贈りましょう!
wynalazek
wynalazek(ヴェナラゼク)は「発明品」という意味です。
ポーランド映画に興味のある方は、『wynalazek 』(2004年)というヒット映画を観てみてください。ジャンルはSF/ファンタジー。日本では『プライマー』というタイトルで知られているようです。
ただし非常に難解な映画のようで、物理学をかじっている人でもないと相当頭をひねることになるかもしれません。そういう訳で勧めておいてなんですが、私は観ていません(笑)。
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