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【1泊必須】2025年最新/アブシンベル神殿のナイトショーと誰もいない神殿を堪能

2025年/アブシンベル神殿観光情報
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クラクフ市公認ガイドのカスプシュイック綾香(本名)です。2014年以降、ポーランド在住。ガイド・通訳業の傍ら、旅行や生活に欠かせないポーランド情報をお届け中!
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 アスワンから早朝4時に出発し、日帰りで行く人が圧倒的に多いというアブシンベル…。
私はアブシンベルへ向かう前日に移動方法を確定したくらいなので、アスワンからアブシンベルまではのんびり行けばいいやと、なんとアブシンベルに2泊してしまいました(1泊で大丈夫)。

 しかし、おかげでナイトショーと日中の見学で2回も壮大な神殿を心ゆくまで見学することができて、収まりきれない感情が溢れました。
特に、誰もいない神殿の威厳と神聖さは言葉では表しようがないので、訪れる際にはぜひとも、早起きを頑張って „一番乗り” してきてください!

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あやか
世界初の大規模な文化遺産の移設プロジェクトによって今の場所にそびえたつアブシンベル神殿。のちの世界遺産保護活動の礎と言えます!
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アブシンベルへの入り方

アスワンから日帰りツアーが一般的(陸路で約3~4時間、または飛行機で約30分)。観光客が少なく、気温が低い時間帯の早朝訪問がオススメ。太陽の奇跡の時期(2月22日・10月22日)は特に混雑するので要注意。私は陸路で行きましたが、事故が結構多いので心配な方は飛行機がベター。
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◆飛行機………アスワンから片道数千〜約1万円
◆ミニバス……アスワンから200ポンド
◆観光客向けマイクロバス…往復1,200〜
◆チャーター…往復1,200〜2,500ポンド

※2025年2月現在 1EGP=3.02円

あやか
アブシンベルへは護衛付きまたは特別な許可を得た車しか走れないので、ツアー会社手配が簡単。宿泊先に相談してみましょう。
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美しすぎる朝焼けのアブシンベル

アブシンベル
アブシンベル
アブシンベル
アブシンベル
アブシンベル
エジプト旅行4
アブシンベル

 河江先生が朝焼けのアブシンベルを絶賛されていたので、朝5時半に神殿へ行ってきました!
 見どころはあとに書きますが、富士山のご来光くらいの神々しさかと…。チケットが購入できるまで待っている間に次々と日本人団体客がセキュリティの前に列をなし、「私はツアーじゃないのでスキップできますか?」と係員に尋ねたところ、彼らの中で相談を始めて、なんと一番乗りできました。ツアー添乗員さんが「誰もいないですからね〜」としきりに言ってましたが、団体客の時点で誰もいないってことはない…。ゲートを通ってからも走って走って、誰もいない神殿を10分ばかり堪能しました。

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河江先生の解説動画

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入場料・営業時間

◆外国人…765ポンド(カードのみ)
◆営業時間…07:00〜17:00
◆見学所要時間…1〜2時間
河江先生は「(きれいな朝焼けを観るためにも)冬がオススメ」と言っていましたが、私が訪れたのは2月5日でまさに冬。05:50はまだ暗く、06:00でだんだん赤い光が差し込んできました。言うほど赤くはなりませんでしたが、十分美しかったです。

※2025年2月現在 1EGP=3.02円

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星空も超キレイ!ナイトショー

アブシンベル
アブシンベル
アブシンベル
アブシンベル
アブシンベル

 日中の入場料よりも高いナイトショー。ネットでは賛否両論だったので期待半々で行きました。
確かに、日中の見学からのナイトショーだったら感動は少し減ったでしょうが、しかし、初めての訪問だったのでインパクトは想像以上!その日の多数を占める団体客の言語で音声が流れますが、偶然にも日本語でラッキーでした。ほかの言語で聞く人にはオーディオが渡されますが、その音がよく切れたりするそうで、それもショーの評判を少し下げているのかもしれません。ショーそのものは雰囲気も迫力も満点、私は大満足。すごく良かったです!
 今回のエジプト旅行では一眼レフは持ってきませんでしたが(装備が重たいうえ、持ち込み禁止とか撮影禁止エリアも多いと聞いていたので)、iPhoneでもこんなにキレイに夜空を撮影できました。アブシンベルの街中は田舎な割に結構明るいので、この夜空を見るだけでもナイトショーに行く価値アリ。

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ナイトショーの入場料・開始時間

◆外国人…1,000ポンド(現金のみ)
◆開始時間…1回目18:30〜/2回目19:30〜
◆所要時間…40〜50分
ショー開始40分前には入場可能。20分前には席が埋まりはじめるので、ショー前の撮影タイムを楽しみたいなら早めに行きましょう。ショー終了後はライトアップがあります。チケットの購入は現金のみだったので注意。私は入り口前で買いました。

※2025年2月現在 1EGP=3.02円

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アブシンベル神殿の歴史、見どころ

アブシンベル

 アブシンベル神殿は紀元前13世紀(約3300年前)、エジプト第19王朝のラムセス2世(在位:紀元前1279年~1213年)が建設したことで知られる、ギザのピラミッドに次いで代表的な古代エジプトの遺跡。ヌビア地方(現在のエジプト南部~スーダン北部)に位置し、当時のヌビアの人々にエジプトの領土支配と威信を示すために造られました。
 神殿は1813年にスイスの探検家が発見、1817年にイタリアの探検家によって発掘されています。1960年代、アスワン・ハイダム建設に伴い水没の危機にさらされ、ユネスコの支援で本来より65メートルほど高い場所に移設されました。1979年にはユネスコ世界遺産(ヌビア遺跡群)に登録。
 
建築・構造・技術
◆大神殿(ラムセス2世の神格化)と小神殿(王妃ネフェルタリを祀る)の2つの神殿からなる。
◆自然の岩山を削って作られた岩窟神殿。紀元前約1264年~1244年頃、ラムセス2世の即位15年目頃に着工し、約20年かけて完成した。
◆工事には数千人の労働者が従事し、主にハンマーやノミなどの石工道具を使用。岩を削るために火焼き水冷法(岩を火で熱してから冷水をかけて割る方法)が用いられたと考えられる。
◆大神殿の正面には、高さ約20mのラムセス2世の巨像が4体も並ぶ。神殿内は奥へ進むほど聖域とされ、最奥部には神々の像が安置されている。
◆石灰岩の壁面を掘り進めて装飾し、かつての内壁には色鮮やかな壁画が描かれていた。
 
大神殿 〜ラムセス2世の神殿
◆正面の高さ約20メートルの4体のラムセス2世像のうち、左から2番目の像は古代に地震で崩壊(しかもラムセス2世在位のとき!)。
◆入口上部には、エジプトの太陽神ラー・ホルアクティの像(太陽を礼拝するヒヒ)とレリーフ。
◆前室(柱廊の間)にはラムセス2世の姿をした8本のオシリス柱、中室にはラムセス2世の戦功(カデシュの戦いなど)を描いたレリーフ、一番奥の至聖所には4体の神像(プタハ、アメン・ラー、ラムセス2世、ラー・ホルアクティ)が安置。
 
小神殿 〜ネフェルタリの神殿〜
◆ラムセス2世の最愛の王妃ネフェルタリに捧げられた神殿。エジプトの神ハトホル(愛と美の女神)が祀られている。ラムセス2世はネフェルタリに異例の敬意を払っていたことがよく分かる。
◆正面にはラムセス2世とネフェルタリの像が6体(高さ約10m)。これまでのエジプト建築では、王妃の像は王よりも小さく彫られるのが一般的だったが、ネフェルタリの像は王とほぼ同じ大きさ。
◆内部の壁画には、ネフェルタリが神々に捧げ物をする場面が描かれている。
 
アラインメント設計 〜太陽の奇跡〜
 2月22日・10月22日の年2回、朝日が神殿の奥まで差し込み、至聖所の4体の神像のうち3体(アメン・ラー、ラムセス2世、ラー・ホルアクティ)を照らす。左端の神プタハは冥界の神であり、意図的に光が当たらないように設計されている。これは、ラムセス2世の誕生日(または戴冠日)と考えられているが、正確な意図は不明。


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Ramesses II 〜王の中の王〜

ラムセス2世

 ラムセス2世は古代エジプト新王国第19王朝のファラオ(在位:紀元前1279年~1213年)であり、エジプト史上最も偉大な王の一人。「偉大なる祖先」とも呼ばれ、古代エジプトの黄金時代を築いたエジプト史上最も偉大なファラオです。ほとんどのファラオは在位数十年に満たない中、90歳以上の長寿&約66年も在位したというのも異例であり、当時の平均寿命(40~50歳程度)を大きく上回っています。この長期間の統治により、エジプトの繁栄と安定が維持され、若き頃から軍事指揮官としてヒッタイト、ヌビア、リビアとも戦いました。
 
 ラムセス2世は、歴代ファラオの中でも最も多くの建築プロジェクトを行ったことでも有名。代表的な建築物にアブシンベル神殿(自身と王妃ネフェルタリのための神殿)、ルクソール神殿(エジプトの宗教的中心地)、カルナック神殿の拡張(列柱や記念碑の追加)、ラムセウム(自身の葬祭殿)などがあり、建築王としての名声を確立しています。
自己顕示欲が強く、とにかく「我の名を刻め!」の精神で多くの神殿や遺跡、前のファラオが建てた建築物にさえ自分の名を大きく、深く刻みました。
 
ラムセス2世の基本情報
父はセティ1世、母はトゥヤ。最も有名な王妃はネフェルタリだが、妻は200人以上いた。子どもは100人以上いたと言われている。ネフェルタリは小神殿が捧げられるほどに最も愛された王妃だが、ほか、ネフェルタリ亡き後の主要な王妃であるイシスノフレットも有名。ネフェルタリの墓(QV66)はエジプトで最も美しい王妃の墓の一つとも言われ、ラムセス2世のミイラは現在、カイロの国立エジプト文明博物館/通称ミイラ博物館で見ることができる。

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河江先生の解説動画

史上初の外交による平和を成し遂げる
 紀元前1274年頃、エジプト新王国(北アフリカの強大な国)の王ラムセス2世と、シリアを支配していたヒッタイト帝国(現在のトルコを中心とする帝国)の王ムワタリ2世の間で「カデシュの戦い」という古代最大規模の戦争が起こった。戦場は現在のシリア西部のカデシュという都市の近くであり、数々の場所に戦争の記録が刻まれている。

 戦いの背景には、ヒッタイトとエジプトの覇権争いがあった。ヒッタイト帝国とエジプト新王国は、何十年にもわたりシリア・パレスチナ地方の支配を巡って対立しており、特に、カデシュは戦略的に重要な都市としてエジプトとヒッタイトの中間に位置し、交通と交易の要衝だった。ラムセス2世は即位後、北方遠征を開始し、シリアの領土を拡大しようとしたが、一方でヒッタイトのムワタリ2世も勢力を強め、シリアの支配権を維持しようとしていた。こうして、両国の軍隊はカデシュで衝突することになったが、戦術的には「引き分け」に終わり、エジプト軍はカデシュを奪えず撤退。しかし、ラムセス2世は戦後、自分を英雄として称え、エジプト各地の神殿に「自分が神の力で勝利した」という碑文を残した。ヒッタイトの記録では「ヒッタイト軍が勝った」とされており、双方の主張が異なる。

 この戦いの後もエジプトとヒッタイトの小競り合いは続いたが、約16年後の紀元前1259年、ラムセス2世とヒッタイト王ハットゥシリ3世が「世界最古の平和条約=エジプト・ヒッタイト平和条約」を結んだ。これは外交による和平の最初の例とされ、現在もその記録が残っている。
 条約の内容として、両国の和平と相互支援、戦争捕虜の返還、王族の婚姻による友好関係の強化(ラムセス2世はヒッタイト王女を妻に迎えた)が刻まれており、現在、この条約の粘土板のコピーが、ニューヨークの国連本部にも展示されている。この戦争以降、シリアの支配権は事実上「ヒッタイト側」に残ったが、エジプトとヒッタイトは対立を続けるのではなく、平和的共存へと移行した。

※エジプトの神殿には、ラムセス2世が「神の加護を受け、敵を討ち滅ぼした」というように描かれているが、実際にはヒッタイト軍を完全に撃退できず、戦争を誇張する「プロパガンダ」 の手法が使われた。これは、王権の正当性を強調し、国民の忠誠を高める目的があったと考えられている。
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ヒッタイトのドキュメンタリー動画

※時間のある方はこのドキュメンタリードラマも!

意外と知られていないが…

実は「アブ・シンベル」という名前は、古代エジプト時代の正式名称ではないそう。19世紀に探検家が発掘した際、地元の少年が神殿の場所を教えてくれたことに由来すると言われていて、その少年の名前が「アブ・シンベル」だったという説があります。古代エジプト人たちがこの神殿をどう呼んでいたのかは正確には分かっていませんが、「ラー・ホルアクティ(太陽神ラー)の聖域」といった意味の名称で呼ばれていたことは間違いないでしょう。

※2025年2月現在

 
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ちょっと、つぶやいていい?
アイコン 巨石文明ってなんとも言えない迫力と魅力がありますね。私はギリシャの神殿とかも好きで、ギリシャにも3回ほど旅行しました。エジプトは冬とかまだ過ごしやすい季節なら高齢になってからでも行けそうですが、ギリシャに関しては本当に体力がいるので若いうちに行っとくべきだと思います
旅日記 ギリシャ編
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あやか
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