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前回の記事のつづきです。
香港ではラウンジでくつろぐつもりが見たこともないほどの長蛇の列、まったくリラックスできないままに一時帰国しました。
初の熊本空港に降り立ち、素通りで長崎へ!
熊本を少し観光しようとも思ったのですが、これから10回、20回と日本には帰るでしょうし、消化不良になるくらいなら次回にまわします。
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まずは胃袋を満たしたい…
日本に帰ったときの一番の楽しみは食べ物。
コンビニで新商品を開拓したり、懐かしい味を楽しんだり、とにかく食べまくります。
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(夫は日本語すら話しません)
ということで、今回はモスバーガーで初ご飯。
読者さんの方には「え?モス?」と思った方もいるかもしれませんが、モスバーガーって外国人観光客にすごいウケてるんですよ。
ちなみに、夫はマックやバーガーキングなどでハンバーガーを食べることは滅多にありません。
この後はフェリーで長崎へ向かい、そこからは電車でのんびりと長崎市内に入りました。
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私たちが長崎を訪れた理由
私たちが長崎へ来た理由、それはアウシュヴィッツで殉教したコルベ神父の足跡を辿るため。
コルベ神父については次の記事でたっぷり触れますので、この記事ではささっと一時帰国のときのようすをお伝えしようと思います☆
長崎ではゆったりめで4泊したのですが、ほぼ毎日正午過ぎに起きていました。
ポーランドでも夫婦揃ってお休みの日はこんな感じで、周りからは「そんなぐーたら生活、子どもがいない間だけよ〜」と言われています(笑)。
私が最後に長崎に訪れたのは確か、中学生の修学旅行(約12年前)になります。
クラクフでガイドをするときも第二次世界大戦については必ず触れるですが、それはもちろんポーランド側からの第二次世界大戦について。
同じ戦争でも場所が変われば、それらが残した爪痕、伝えることにも違いが出てきます。
長崎や広島では原爆がテーマの中心になりますが、その数え切れないほどの苦しみと訴えを学ぶことだけで終わらせてはいけないと思います。
第一次世界大戦後、「こんな戦争は二度と起こさないように」と平和条約が結ばれました。
しかしそれから半世紀どころか、20年経ったところで勃発したのが第二次世界大戦です。
そしてまだ、犠牲者やその家族たちを深く苦しめ、それどころか「第三次世界大戦は20××年までには起こる」とまで言われています。
実際に核兵器の開発は進んでいて、平和を祈る反面、世界をたった数日で終わらせることのできる力を持っているのが私たち人類。
政治家や敵対する国同士、独裁者だけの問題ではなく、私たちにそのすべての責任がのしかかっていることを決して忘れてはいけません。
こちらは長崎原爆資料館に隣接する新しい建物、原爆死没者追悼平和記念館です。
建築家である夫は、この建物の設計に興味があるとのこと(設計者は栗生明さん)。
資料館に隣接するにも関わらず、あまり人がいなくて本当に静かな空間でした。
そこには今でも犠牲者の名前が綴られる本が置いてあるのですが、その名前の数のすごいこと…。
建物の外にある水はおそらく、被爆した人々が水を欲していたことに関係するのでしょうか。
ちゃんぽん、姫路では◯◯◯◯
長崎といえば「長崎ちゃんぽん」ですが、私が生まれ育った兵庫県姫路では「ちゃんぽん」といえばまったく違うものを指します。
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それは、焼きそばと焼うどんを混ぜたものです!めっちゃおいしい!
姫路から出て初めて、世間一般でいう「ちゃんぽん」が「長崎ちゃんぽん」を指すことを知り、なかなかのショックでしたね。
長崎ちゃんぽん自体知らなかったですし。
リンガーハットは姫路にもありますが、あれが本来のちゃんぽんとは思っていなかったです。
長崎ちゃんぽんも色んな具がごちゃまぜになっているという点では、姫路ちゃんぽんに近いかも。
ミルクセーキって、色や容器からしてミックスジュースに近いものだと思っていました。
ミックスジュースは苦手なので夫の分しか注文しなかったのですが、味見してみると半分アイス、半分シェイクといった感じで美味しい! (*^o^*)
飛行機で関西(神戸)へ
地元姫路には泊まらずとも、神戸にはお気に入りのホテル(メリケンパークのオリエンタルホテル)があるので、ほぼ必ず立ち寄ります。
高校生の時、よく友達と「海の上に浮かぶホテルなんて素敵だね〜」と眺めていましたが、ここに将来の夫と何回も泊まることになるとは……。
人生どう転ぶか本当に分からないものです。
そして今回の一時帰国では結婚4年目にして今さら、親戚の皆さんに夫を紹介しました。
式はポーランドでしかやっておらず、さらに親戚付き合いが浅いのでこんなタイミングに…。
宴会自体は祖母の家でワイワイと♪
お寿司屋さんの豪華な宴会コースを持ち帰りで注文したんですが(全部合わせるとものすごい量で軽トラで運んでもらいました)、なんと「寿」の掛紙がポーランドの国旗!!
ちょっと写真は載せられませんが、親戚の皆さんにはポーランドの旗まで用意してもらったり想像以上の熱い歓迎を受けました (^ ^)
日本で食べたいもの、それは日本を連想させるものだけとは限りません。
日本は単一民族国家の割に色んな外国人が住み、超本格的なレストランを営んでいたりします。
その中でもインドカレーはたまらん。
ポーランドにもインディアンレストランはあるんですけど、やっぱり日本のほうが美味しいです。
今回はインドカレーとたこ焼き(「あほや」がお気に入り)を各5回以上は食べました。
毎回体重2キロは増やして帰りますが、日本にいるときはカロリーとかまったく気にしません。
ということで、日記感覚の2018年一時帰国滞在記はここで締めくくろうと思います。
次の記事では最初のほうに触れた、マキシミリアノ・コルベ神父について書いていきます。
アウシュヴィッツで必ずお話するコルベ神父、どういった人物なのか、日本・長崎ではどのように過ごされていたのか、ぜひ知ってください。
wyjazd do Japonii
“wyjazd”(ヴェヤズド)は「出発」「旅」という意味です。”do Japonii”(ド ヤポニ)で「日本へ」となり、ポーランドだったら “do Polski”(ド ポルスキ)になります。
よく “Ile kosztuje wyjazd do Japonii?”(イレ コシュトゥイェ ヴェヤズド ド ヤポニ?/日本へ行くにはいくら掛かりますか?)と聞かれますが、この場合はどちらかというと航空券代を意味しています(最安で6万円台かな?)。
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