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Fot. Michał Łepecki Agencja Gazeta
先月、日本の海外映画宣伝を担当されている方からアンジェイ・ワイダの遺作『残像』を紹介してもらえないかといったお問い合わせをいただきました。
本来であれば東京の試写会にご案内するそうですが、私はポーランドに住んでいるので残念ながら試写会まで足を運ぶことはできません。しかし、せめて当ブログで紹介することによって皆さんに興味を持っていただければと思いました。
当作品はポーランドでは去年公開されましたが、私自身はまだ観ていません。
まだ観ていないのに宣伝するなんて…と思う方もいるかもしれませんが、当記事では、この映画のストーリーや主人公の画家ヴワディスワフ・ストゥシェミンスキについて紹介させていただきます。
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この映画のストーリー
◆ジャンル … 歴史映画◆製作年 … 2016年
◆原作名 … Powidoki ポヴィドキ
◆2017年6月10日(土)、岩波ホールほか全国順次ロードショー
◆2017年アカデミー賞外国語映画賞ポーランド代表作品、2016年トロント国際映画祭マスター部門上映作品
ポーランド人の著名な映画家といえば、数々の名作映画を生んだアンジェイ・ワイダ(1926〜2016)。
90歳でこの世を去った彼が最後に残した作品の名は、『残像 – Powidoki』
社会主義政権と闘った画家、ヴワディスワフ・ストゥシェミンスキの生き様を力強く描いたノンフィクション映画です。
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マレービチの助手を経て、彫刻家の妻カタジナ・コブロと共にポーランド前衛芸術の基盤を築いたストゥシェミンスキ。スターリンによる全体主義に脅か されながらも、カンディンスキーやシャガールらとも交流を持ち、情熱的に創作と美術教育に打ち込んだ。しかし、作品に政治を持ち込むことを拒み、党規則に 反する独自の芸術の道を進んだため迫害され、やがて芸術家としての名声も、尊厳も踏みにじられていく。その晩年の姿は、全体主義に対するアーティスティッ クなレジスタンスのシンボルとなった。
このほど公開されたポスタービジュアルは、政府によって作品が排除された美術館の展示室、スターリンの肖像が描かれた巨大な垂れ幕が、画家を追い詰めた独裁政権の歴史を物語る。戦争によって手足を失ったストゥシェミンスキが松葉杖に顔を寄せる姿に、激動の時代を生きる苦悩と不屈の闘志が投影されている。
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主人公ストゥシェミンスキ
この映画の主人公は、ヴワディスワフ・ストゥシェミンスキ(1893〜1952)という実在のポーランド人画家。第一次世界大戦と第二次世界大戦を生き抜いた彼は、ウッチ美術アカデミー(現在のウッチ・ストゥシェミンスキ美術アカデミー)の創立者でもあります。
1915年5月、彼はポーランド軍としてベラルーシで戦っていた最中に片腕と片足、片目の視力を失いました。
この大きな負傷により前線で戦うことができなくなり、モスクワの美術学校へ通うようになったストゥシェミンスキ。
しかし美術学校を卒業することはなく、カジミエシュ・マレヴィチュ(映画の訳ではマレービチ)というポーランド系ロシア人画家の助手となり、その数年後にはロシアの前衛美術の基盤を築く者として活躍するようになります。
そして間もなくポーランドへ移り、芸術家カタジナ・コブロと結婚。
マレヴィチュの影響を強く受けながらも独特の新たな芸術観を生み出し、1932年には移住先のウッヂで市から栄誉を讃えられるほどになったストゥシェミンスキ。1945年にはウッチ美術アカデミーを創立し、数々の美術促進活動にも打ちこむようになりました。
さて、あなたはストゥシェミンスキをどのような人物だと捉えていますか?身体に不自由を抱えながらも画家としての才能を開花させ、苦悩しつつも成功した人生を送ったのだろう、と予想する方がほとんどかもしれませんね。
しかし、第一次世界大戦と第二次世界大戦のまっただ中を生き抜き、戦後はソビエトの支配を受けたポーランドで自由を奪われてしまった彼が、どんな理不尽な立場にあったか考えてみてください。
ハッピーエンドなわけがありません。
収入がない中で結婚してしまったストゥシェミンスキ夫妻の生活は早くも破綻寸前でした。看板を制作してなんとか食いつないだものの、画家として生計を立てることは決して容易ではありません。
彼は結核により命を落としましたが、それも飢餓が根本的な原因だったと言われるほどです。社会主義のポーランドでは国民一人ひとりに十分な食料が与えられることすらありませんでした。
実はヴワディスワフ・ストゥシェミンスキという名はポーランド人の誰しもが知っているわけではありません。
しかし、義妹の婚約者がウッヂ出身ということもあり、彼に聞くとやはりウッヂでその名を知らない人はいないとのことでした。それだけに、この作品がきっかけでストゥシェミンスキの名が世界中に広まったことは誇らしいようです。
ただ正直なところ、この作品そのものはポーランドでは賛否両論。
社会主義による凄まじい弾圧の世界と、それによる画家の苦悩を描きながらも美しい映画だと賞賛する人もいます。一方、本当の彼自身を描ききれていないといったような意見もちらほら…(ちなみに主人の妹と婚約者は後者の意見)。
どんな名作でも両極端の意見は存在するので、私がこの映画を観たあとにどのような感想を抱くかは分かりません。
予告動画を見る限り、ポーランドの歴史を知る上では見逃すことができない作品であることは間違いないです。
ポーランドではDVDが1,200円くらいで販売されているので観ようと思えばいつでも観れるのですが、まずはストーリー全体を掴みやすくするためにも日本語字幕か英語字幕で観てみたいです。
また、鑑賞後にレビューを書きますね!
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polski film
polski film(ポルスキ フィルム)は「ポーランドの映画」といった意味です。ポーランド航空で日本へ帰ったとき、polski film を観まくろうと思ったのですが、結局1本も観れなかった…。
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私は、アンジェイ・ワイダの映画で育ちました。 私が子供だったとき私たちは修学旅行でパンタデウシュの忘れられない適応を見て、私はすでに当時ワイダの映画を愛しました! 映画作りはいつも私を魅了します。 事故によって、私はYouTubeでオスカー授賞式の録音の一つ下ワイダアートプロジェクトの言及に走ったと私はすぐに興味を持ちました。 今、私は自分のアルバムやフィルムを得るために待つことができません。 😊