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世界遺産 シフィドニツァの平和教会とその歴史

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クラクフ市公認ガイドのカスプシュイック綾香(本名)です。2014年以降、ポーランド在住。ガイド・通訳業の傍ら、旅行や生活に欠かせないポーランド情報をお届け中!
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ヴロツワフに滞在される際は、ぜひ世界遺産シフィドニツァの平和教会へ。

私自身、プライベートはもちろんのこと教会までご案内したこともあります。何度行っても、シフィドニツァはヴロツワフとまたちがう魅力を感じます♪

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シフィドニツァの平和教会

世界遺産登録名称は「ヤヴォルとシフィドニツァの平和教会群」です。

17世紀半ば、ヤヴォルとシフィドニツァという2つの小さな町に建てられた教会が、現在では世界遺産となっています。実はもう1つあったのですが、その教会は火事で焼失しました。

シフィドニツァ平和教会の内部
シフィドニツァ平和教会の内部

日本人はガイドブックを読んで初めてこの平和教会を知るそうですが、実はポーランドでも知名度の低い世界遺産の教会です。シフィドニツァという街自体知らない人も珍しくありません

一度、車で30分ほど離れた町から平和教会へタクシーで行ったことがあるのですが、なんと運転手さんはその教会がどこにあるのか知りませんでした。

最終的には私がシフィドニツァの町に入ってから教会までの道を案内したほど(以前に既に行っていたので)。彼のあの台詞がまだ忘れられません。
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運転手
シフィドニツァには1000回くらい行ってるけど、その教会には行ったことがないんだよ!
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なぜでしょう?

答えは単純。ポーランドには、その2つの教会以外にも美しい教会がたくさんあるため特別目立たないのです。

祭壇もとても華やかで美しい
祭壇もとても華やかで美しい

ポーランド人の夫もシフィドニツァのことを知らなかったのですが、いざいっしょに訪れると感動していました。

それでは、ここで平和教会群の歴史についてお話しましょう。

長くなってしまうので、「歴史の話は苦手…」という方は黄色い枠の説明文を飛ばしてもらっても構いません。
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平和教会群の歴史

16世紀後半のこと。この時代のヨーロッパは古くからキリスト教カトリックを信仰していましたが、カトリックのあり方や政治に疑問を抱くようになった人々が新たな形でキリスト教を信仰するようになっていました。

彼らをプロテスタントといいます。プロテスタントが力を持ち出すと、それまでにあったカトリック教会の一部がプロテスタント教会に変えられてしまいました。ちょっと嫌な予感…。

そこで当時のヨーロッパを世襲しようとしていたカトリック派のハプスブルグ家と、それを阻止しようとする勢力(プロテスタント派や新教派)が争い、やがて17世紀の半ばに入ると国際戦争に進展。これは三十年戦争と呼ばれ、休戦を挟みながらも三十年間もの間続く長い戦争となります。

しかし、これが宗教戦争だったかというと、決してそうではありません。

宗教を口実にして、反ハプスブルグ勢力がハプスブルグ家に立ち向かった、といった方がいいでしょう。プロテスタント側についたカトリック派もいますし、その逆もまた然りでした。

三十年戦争の間、民衆は貴族や王家に都合のいいように振り回され、また国土の荒廃や経済の堕落、戦争や感染症による人口減少を招きました。しかし1648年、ヴェストファーレン条約という講和条約によって、やっとこの戦争に終止符が打たれます。

戦争の結果、すべてのプロテスタント教会はカトリック教会として返還するように求められました。

また講和条約に基づき、当時のオーストリア皇帝は、現ポーランド領シレジア地方のグウォグフ、ヤヴォル、シフィドニツァにプロテスタント教会を建設する許可を与えます。これらは講和条約の後に建てられたので「平和教会」と呼ばれるようになりました。

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皇帝は3つのプロテスタント教会建設にあたり、様々な条件を課しました。

  • 1年以内に建設を終えること
  • 市壁の外側に建設すること
  • 塔や鐘は設けないこと
  • 耐久性のない素材を使用すること
  • 大砲の射程距離内にあること

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などなど。この条件に沿い、3つの教会は、材木、粘土、砂、藁を建材として用いた木造建築となっています。

これらは、グウォグフの教会(1652年)、ヤヴォルの教会(1654〜55年)、そしてシフィドニツァの教会(1656年)の順に建設されました。

グウォグフの教会は完成から2年も経たない内に火難に遭い、1758年にまた火事によって完全に姿を消します。

黄=グウォウフ 青=ヤヴォル 赤=シフィドニツァ
黄=グウォウフ 青=ヤヴォル 赤=シフィドニツァ

シフィドニツァの教会での最初の礼拝は、1657年6月24日。

それから半世紀後の1708年、プロテスタントに特権が与えられ、教会の隣にベルタワーとプロテスタントの学校が建てられました。これらは最初の頃に造ってはならないとされていたものです。

現在も見ることのできるベルタワー
現在も見ることのできるベルタワー
それにしても立派な外見
それにしても立派な外見

実際に中に入ると、そのあまりの美しさに絶句することでしょう。

外観からはまた想像もできないほどの素晴らしい、バロック様式のきらびやかな装飾には目を見張るものがあります。

ヨーロッパの教会には実は飽き飽きしている、なんて人には本当にピッタリ。

大理石や石像のように見えるものも実は木で造られたもの。こんな立派な教会がなぜ、あまりポーランドで注目されないのかただ首をかしげるばかりです。

至るとことに可愛らしい花模様
至るところに繊細な絵が…
古い教会に見られる説教壇
古い教会に見られる説教壇

そして、スゴいところはもう1つ。

シフィドニツァの教会は、木造建築の教会としてはヨーロッパ最大規模(教会面積は1020平方メートル)であり、また教会内には3000の座席と4500の立席が設けられています。

たったの1年でここまでの規模のものを建築できたのが不思議でなりません。

ここまで読んで、「行ってみたい!」と興味が沸いてしまったあなた。次回の記事ではシフィドニツァの平和教会への行き方を詳しくご案内します。

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今日のポーランド語

kościół

kościół (コシチュウゥ)は、名詞で「教会」。発音も綴りも少し難しいですが、日常的によく目にする、耳にする単語なので覚えておきましょう。

「平和教会」は kościół pokoju(コシチュウゥ  ポコユ)といいます。pokój(ポクイ) は「平和」という意味で、pokoju は pokój の生格となります。

 

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あやか
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