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毎年8月1日17時、ポーランドではサイレンが響き渡ります。そのサイレンはどこかで聞いたことのあるような、なんだか不気味にすら感じられる音。
なんのサイレン?
じっくり考えなくても、この音と今が夏であることを重ねれば、それが自然と戦争に関連するものだと気付くでしょう。
GODZINA “W”
ゴジナ “ヴ” = 戦い、勃発の時
第二次世界大戦のまっただ中であった1944年8月1日17時、祖国を守るためにワルシャワの全市民がドイツ軍に立ち向かいました。ワルシャワ蜂起です。
ことの始まりは1939年9月1日。
ドイツ軍の不当な言い分をきっかけにポーランドは侵略されました。
ポーランドを我が国のものにするために手段を選びばなかったヒトラー。
平和を好んでいたポーランドは軍隊の数も少なかったのですが、それでも黙って降伏をするわけにはいきませんでした。そして、イギリスやフランス(同盟国)を頼り、敵と戦う決意をします。
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ポーランド国民に召集を告げる。 今日の夜、敵(ドイツ)がついにポーランドに侵攻した。 しかし、私たちはこれまで苦難の時代を経て、祖国を守り抜いてきた。そして、今も神と築き上げてきた歴史によって見守られている。私たちにはいつも神がついている。だから、決して恐れることはない。
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この言葉は、クラクフのシンドラーの工場博物館に貼ってあった当時のポスターを自分なりに翻訳したものです。
ここでいう神は、キリスト教の「神」のこと。ポーランドはどんな時も神と名誉という言葉を掲げ、他国に侵略されようが、地図から消されようが希望を持って祈り、そして潔く戦ってきました。
123年間、地図から姿を消した時、ただ黙ってその時を凌いできたわけではありません。祖国を愛するポーランド人がどんな状況でも敵に立ち向かってきたからこそ、復活を成し遂げたのです。
しかしやっと独立を果たしたと思えば、すぐに第二次世界大戦の勃発。
ポーランドはまたもや憎き敵、ドイツとソ連に攻められました。ナチス・ドイツの政権下、ドイツの目的は残酷な手段でポーランドを自国のものとし、それだけでなくユダヤ人やポーランド人らを抹消することにあったのです。
ポーランドの領土はどんどん侵され、多くのポーランド人が戦死だけではなく迫害によって命を落とました。
そんな中、ワルシャワ市民はドイツに反撃するためにワルシャワ蜂起を決行。
しかし、63日間にも及んだこの蜂起は、無惨な失敗に終わりました。
20万人以上のワルシャワ市民が亡くなったこと、その後のドイツ軍による徹底的な反撃を考えると、この蜂起は決行しなかった方がよかったでしょう。
でも誰がここまで残酷な結果に終わることを予想できたでしょうか。
もし、ソ連の裏切りがなければ…。
負けたポーランドはワルシャワを粉々に破壊され、残った市民は追放、虐殺された挙げ句、第二次世界大戦終結後はソ連の衛星国となりました。
本当に屈辱の時代だったと思います。
日本でも毎年この時期になると、戦争に関するドキュメンタリーやドラマが毎日のように放送されますが、それはポーランドでもいっしょです。
PAMIĘTAMY
私たちは決して忘れない
あれから70年と経った今、どんどん戦時中の記憶が風化されつつありますが、私たちが今出来ることは「忘れないこと」ではないでしょうか。
歴史を忘れる者は同じことを繰り返す。
この言葉はアウシュヴィッツでも見られますが、本当にその通りだと思います。しかし、私たちは忘れては同じことを繰り返してしまう悲しい生き物です。
いつまでも過去にとらわれるな、とは言いますが、こういうことに限っては正しいと言えません。自分を兵士に置き換えて、迫害された者に置き換えて「戦争とは何なのか、何を残すのか」ということを真面目に考えることが大事です。
1944年8月1日17時
この日のこの時刻は “W” と呼ばれ、毎年8月1日が近づくと至るところで “W” のポスターが貼られます。
そして8月1日17時、サイレンがポーランド全国に響き渡り、ワルシャワでは人々が動きを止めて黙祷を捧げます。
あの日、ワルシャワ蜂起で亡くなった20万人のポーランド人兵士と女性、子ども達の死を悼みながら…。そして名誉ある行動に命を賭けた、かつてのポーランドの英雄に祈りを捧げながら。
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wojna
wojna(ヴォイナ)は名詞で「戦争」。第二次世界大戦は druga wojna światowa(ドゥルガ ヴォイナ シフィアトヴァ)と言います。
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私が昨年訪ねたポーランドとバルト三国について、今年4月に報告する機会ができ、再度ポーランドの歴史を勉強しています。
そうした中で、Wという時刻のことを知り、貴ブログに再度アクセスすることになりました。
勉強になります。
あなたが言うように歴史を忘れてはいけませんね。記憶にとどめおくことは大事です。