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番外編:リガから日帰り!ツェーシス城を探検

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クラクフ市公認ガイドのカスプシュイック綾香(本名)です。2014年以降、ポーランド在住。ガイド・通訳業の傍ら、旅行や生活に欠かせないポーランド情報をお届け中!
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photo: Blog Dixi-Car

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当ホームページはポーランド情報が主ですが、4月4日〜9日は番外編としてラトビアの記事を書いています。

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ラトビア滞在2日目は、首都リガから北東に90キロの場所にあるツェーシスという古都に行ってきました。

Google Map
Google Map

 

バスに乗ってツェーシスへ

バスターミナルやチケットの購入方法などは、関連記事をご覧ください。

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2016年4月現在、リガからツェーシスに行くにはバスが便利です。

というのも、ツェーシスへ行くバスは1日26本(1時間に2本)もあるのに、列車は1日に数本しかありません。

で、今回私が利用したバスは、リガバスターミナルのプラットホーム12番、10時10分発のツェーシス行き。所要時間は約2時間、チケットはターミナルで購入して4.15ユーロでした。

バスのドアに貼ってありました
なぜか斜めに貼られている…

早起きすれば、ツェーシスとスィグルダを1日で周ることも出来ますよ(スィグルダ経由ツェーシス行きなので)!

 

ツェーシス城への行き方

ツェーシスのバスターミナルの裏側は列車の駅になっていました。

ツェーシスのバスターミナル
ツェーシスのバスターミナル

バスターミナルからお城までは750mの距離で、徒歩約8分です。

まず、バスターミナルの入り口に背を向け、正面にある Raunas iela をひたすらまっすぐ歩いて行きましょう。

Lielā Skolas iela に入る
Lielā Skolas iela に入る

やがてロータリーが見えたら、写真奥に見える大きい広告が貼ってある建物の隣の道に入ってください。そして1つ目の角を間もなく右に入ります。

あとはまっすぐ3分ほど歩くだけ。

奥の塔を目指しましょう
奥に見えるゲートがゴール

特に案内板はなかったと思うのですが、すごくスムーズに行けちゃいました。

 

ツェーシスってどんな街?

すみません、ここはウィキペディアから引用させていただきます…。

photo by Cesis City Council
photo by Cesis City Council

ツェーシス市は13世紀後半に建設された。市場となる広場と教会が中央に置かれ、宅地の中心は、3つの二の丸がついたリヴォニアの石の城だった。

街は石灰の城壁にも囲まれ、8つの塔と5つの門を備えていた。聖ヨハネ教会や騎士団の城、ヴァルヌ通りとパラスタ通りに一部残る城壁といった建築物は、中世からのものである。

さらに、多くの建築物は度重なる戦争と火事(最後の火事は1748年)で消失したが、中世の道路網と建物の見取り図が今に残っている。

〜ツェーシスは健康リゾート地としても開発され、ガウヤ川付近には豪華な避暑コテージ群とヘルスセンターが建てられた。スヴェタヴォッツ(“聖なる泉”の意)洞窟の近くにあるチルリジがもっとも有名で、その泉にはヒーリングの力があると信じられている。

― Wikipedia “ツェーシス

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ツェーシスの歴史

正直、上の説明ではちんぷんかんぷんですよね。やっぱりこういうのは自分できちんと調べた方がよさそうです…。

ということで、まとめました。

現在の大部分のラトビアの歴史は、13世紀始めに活躍したリヴォニア帯剣騎士団と深い関係があります。

その中でもツェーシスはリガに次いで古い歴史を持ち、リヴォニアの拠点はリガからツェーシスに移った時期もあるくらいですから、ラトビアに来たならツェーシスにも絶対訪れるべきでしょう。

さて、バルト三国周辺をカトリックに改宗させるために設立されたリヴォニア帯剣騎士団ですが、この騎士団は13世紀初頭に活躍しました。

そしてこの頃、ツェーシス(リヴォニア地方)は騎士団によって治められます。

その時に建設されたのがツェーシス城というわけですね。でもこの地を最初に治めていたのはヴェンド人と呼ばれるスラブ系民族で、元はヴェンド人が木製の要塞をこの地に建てており、その側に建てられたのがツェーシス城でした。

そのため、ツェーシス城はヴェンデン城と呼ばれることもありますが、この名前は特に、騎士団が活躍する前(1208年)のツェーシス城を指すものです。ちなみにポーランド語ではキエス城。

1237年にドイツ騎士団の分団となったリヴォニア帯剣騎士団ですが、ツェーシス城は16世紀半ばまで騎士団の居城として使われており、この城が治める地域は現在のラトビアと同じくらいの大きさだったと言われています。

その後ハンザ同盟にも加わり急速に発展したツェーシスですが、1577年にリヴォニア戦争(※)が始まると事態は一変。ロシア軍によって包囲され、城の西側は再建できないほど破壊されました。

リヴォニア戦争 1558〜83

現在のエストニア、リヴォニア(現在のラトビア東部〜エストニア南部)の支配を巡って行われた戦争。モスクワ国家、ポーランド・リトアニア共和国、スウェーデン王国、デンマーク=ノルウェーが戦い、ロシアの敗北に終わった。後に勝利したスウェーデンとポーランド・リトアニア共和国の間でラトビア北部はスウェーデン、南部はポーランドに分割され、ポーランド・リトアニア共和国に支配されたリヴォアニア地方は黄金時代を迎える。

 

この戦争が終わった後のツェーシス城にはポーランド人によってカトリックの司教が置かれています。

しかし1626年にはスウェーデンに略奪され、それから1680年までスウェーデンのアクセル・オクセンシェル伯爵とその家族が居住、最終的には1703年の大北方戦争でロシア軍によって完全に破壊されてしまいました。

そして、それから誰かが居住したという記録は一切ありません。

 

では、いざお城を探検!

自分なりに簡単にまとめてみましたが、それでも世界史に興味がなければ「…」という感じかもしれません。

では、ツェーシス城の内部を少し紹介することにしましょう。

これは期待できそう!
これは期待できそう!

チケットを購入してさっそく城跡に入ったのですが、その前にスタッフの方がこんなランプを渡してくれました。

色んな中世のお城を巡ってきましたが、ランプを持っての見学は初めてです。

え、一発目らそう来る?!
え、一発目からそう来る?!

そして内部に入るとコレ。

いや、怖いし。足がすくみましたよ。下を覗いてみると結構深くて、ランプを持って降りることは不可能。「なんのためのランプだよ!」って思いました。

でもせっかくだから下りてみることにしました。もちろん、ランプを置いて。

あれ、そんなに深くない
そんなに怖がるほどでもなかった

おそるおそる下りてみたものの、深いのは深いんですが、途中でハシゴから階段に変わったので楽勝でした。

下りた先には何があったのか…。

まあ、それは敢えて言わないことにしましょう。知りたい方はぜひぜひ、ツェーシスにお越しください♪

かつて回廊があったところ
かつて回廊があったところ
白い部分は雪です
白い部分は雪です
階段を登った先の窓から
階段を登った先の窓から

2枚目の場所ですが、1577年、リヴォニア戦争の最中ここで300人もの人々が「敵に捕まるくらいなら…」と火薬を使って自殺したそうです。

そして1703年、とうとう完全に破壊されてしまったツェーシス城ですが、この破壊具合を見たら「そりゃ建て直す気もなくなるわなぁ」と納得。

でもお城だった名残は十分に感じられ、狭い階段をランプを手に探検していくのはとても楽しかったです!

ロシア軍との戦いのようす
ロシア軍との戦いのようす

とか言いながらも、ここでの激しい戦いを想像すると「楽しい」なんて言うのは不謹慎な気がしてすごく複雑。

 

城跡を見学した後は、チケットオフィスまで戻って博物館を見学しました。

騎士団の姿を再現
騎士団の姿を再現

また、1778年に建てられたという新しい宮殿も見ることができます。

この建物も結構複雑でおまけにすごく広い。充電器を持ってきて、どこかで充電してもバレないと思いますよ。

真ん中は聖ヨハネ教会
真ん中は聖ヨハネ教会

こちらは宮殿内にある再建された塔からの眺め。お世辞にもキレイとは言えませんでした。正直ですみません。

これを見ていると、私が登った後に来た少年達が皮肉を込めて “Woooow!!” と叫んでいたのを思い出します(笑)。青空だったらまだ良かったのかなぁ…。

丘の上に立つ正教会
丘の上に立つ正教会

すべての見学を終えた後は、城跡からひょこっと見えた正教会へ行ってみました。正教会の美しさを一目だけでも拝みたかったのですが、閉まっているどころか半径5mは近付けないようです。

気を取り直して、聖ヨハネ教会にも行ってみましたがここもドアが開かない…。

教会の隣にあった像
教会の隣にあった像

ツェーシス城だけでも十分ここに来る価値はあるのですが、「片道2時間もかけたんだから、これ以外に何かあってもよくない?」と思ってしまいました。

私はお城だけでも2時間は滞在できたので満足感はありますが、英語の説明を読まない人だったら40分くらいで出てきちゃうかもしれません。

そしてこの後は本当はスィグルダへ行く予定でしたが、観光スポットの閉館時間を考えると翌日にまわした方がいいと思い、まっすぐリガに帰りました。それに天気も悪いしね 。゚(´つω・`。)゚。

 

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あやか
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