これからポーランドへ行く方が知っておきたい情報

ポーランドの偉大な英雄5人|街中の像、通りの名や観光地でよく見かける

ポーランドの英雄5人
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クラクフ市公認ガイドのカスプシュイック綾香(本名)です。2014年以降、ポーランド在住。ガイド・通訳業の傍ら、旅行や生活に欠かせないポーランド情報をお届け中!
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この記事の内容
 ポーランドに数年以上と住んでいてもそれなりに意識していなければ、【(道の名前や銅像になっている)割と身近な偉人の存在】に気付かないと思います。知らなくても困らないかもしれないけど、知っていたらポーランドとの距離が一気に縮まること間違いなし。
 
 そこで、ポーランド旅行者や在住者が知っておくべきポーランドの偉人・英雄を5人紹介します。コペルニクス、ショパンやキュリー夫人はみんな知ってるのであえてココには書きません。偉大なるお三方、省略してごめんなさい

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この記事の目次
ヤン3世・ソビエスキ
タデウシュ・コシチューシュコ
アダム・ミツキェヴィチ
ユゼフ・ピウスツキ
教皇ヨハネ・パウロ2世
そのほか著名なポーランド人
この記事のまとめ
7分で分かるポーランドの歴史!建国から社会主義脱却までの千年を総括

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ヤン3世・ソビエスキ

ヤン3世・ソビエスキ

Jan III Sobieski(1629〜1696)

 17世紀のヨーロッパで活躍したポーランドの英雄、そう聞かれればこの国の誰もが「ヤン3世・ソビエスキ」と答えるでしょう。

 ソビエスキは歴代ポーランド国王の一人であり、彼が国を治めた17世紀後半頃はオスマン帝国の脅威さらされていました。
オスマンと講和条約を結んで安心したのも束の間、1683年、オスマンがウィーンのハプスブルクを包囲したことで事態は急変します。

 そして皇帝の要請によりキリスト教国連合軍が編成され、決定的な勝利を導いたのがソビエスキ率いるポーランド軍でした。
ソビエスキは若き頃にオスマンで戦術を学んでいたこと、軍司令官としての実績も素晴らしかったため教皇からも一目置かれています。

 ソビエスキがいなかったら、近代のヨーロッパ史は大きく変わっていたはず。
ポーランドに名を馳せる国王はソビエスキが最後だったという見方もあり、最高額紙幣500ズロチの肖像として選ばれたのも納得です。
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夫Piotr
クラクフのヴァヴェル城にも、ソビエスキの肖像画や家族の絵が飾られた部屋があるよ。拠点はワルシャワだけどね。
あやか
500ズロチ紙幣はポーランド人でもまだ見たことない人が多いと思う。1枚だけ持ってるけど、貴重だから使わない!

 

タデウシュ・コシチューシュコ

タデウシュ・コシチューシュコ

Tadeusz Kościuszko(1746〜1817)

 ポーランドの中貴族出身であり、のちにコシチューシュコの蜂起として知られる国の存亡をかける戦いに奮闘した国民的英雄です。

 彼は当時の国王スタニスワフ・アウグスト・ポニャトフスキが設立した士官学校で訓練を受け、若いときから有望な存在でした。
また1775年のアメリカ独立戦争では大佐として活躍し、アメリカでも知られる人物です。

 1784年にコシチューシュコは帰国しましたが、ロシア、プロイセン、オーストリアによるポーランド分割で国王や大貴族はますます対立しており、母国の危機は最高潮
コシチューシュコは軍隊に戻り、ポーランドを救うための大規模な蜂起ほうきを決意しました。

 そして農民を率いて戦ったラツワヴィツカの戦い(1794年)でロシアに見事勝利し、多くの人が領土回復に期待を寄せます。
最終的には負傷して捕虜となり、国家は消滅しましたが、コシチューシュコが命懸けで祖国のために戦った事実に変わりはありません。
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夫Piotr
ポーランド鉄道PKPにもコシチューシュコっていう名前の車両があるし、ビールの銘柄にもコシチューシュコがある。
あやか
クラクフのガイドだとコシチューシュコの名前が出てくるけど、よくお客さんに聞き返される…。確かに言いにくい!

 

アダム・ミツキェヴィチ

アダム・ミツキェヴィチ

Adam Mickiewicz(1798〜1855)

 ポーランドの国民的詩人といえばミツキェヴィチであり、ワルシャワやクラクフにも目立つ場所にミツキェヴィチ像があります。

 ミツキェヴィチはポーランド分割後(ポーランドが地図から消えた時代)のロシア領に生まれ、青年時代はロシア帝国からの独立を目指して仲間たちと奮闘しました。
結果としてロシアに逮捕されますが、その後あたりから詩人としての才能を開花させます。

 特によく知られている作品は、1834年初版発行の叙事詩『パン・タデウシュ』。
ポーランド映画界の巨匠アンジェイ・ワイダ監督によって1999年に映画化され、ポーランド人のほとんどが観ていると思います。

 『パン・タデウシュ』はポーランドの苦しい時代背景をもとに描いた歴史物語という側面もあるため、学校でも必ず学ぶもの。
また、物語の中にはポーランドを代表する国民舞踏ポロネーズが登場しますが、ポロネーズはポーランド人なら誰でもみんな踊れます!
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夫Piotr
ミツキェヴィチとショパンは友人同士で、亡命先のパリで出会ったんだって。批評するほど仲が良かったらしい?!
あやか
亡くなった場所はトルコ!18世紀のポーランド消滅を認めなかったトルコを「私たちの唯一の友である」と言ったとか。
ミツキェヴィチ像があるところ

 ワルシャワでは旧市街のメインストリートでもあるクラコフスキェ・プシェドミェシチェ通り、クラクフだと中央広場の聖マリア教会側にあります。ポズナンやグリヴィツェではミツキェヴィチ広場に像があり、ほか、ヴィエリチカ、シュチェチンなど多数の街で見られます。国外では、ビリニュス(リトアニア)、リヴィヴ(ウクライナ)、パリにも!

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ユゼフ・ピウスツキ

ユゼフ・ピウスツキ

Józef Piłsudski(1867〜1935)

 120年以上に及んだポーランド分割がようやく終わり、第一次世界大戦とヴェルサイユ平和条約を経て独立を果たしたポーランド

 1918年にポーランド第二共和国の国家元首となったユゼフ・ピウスツキは愛国心溢れるポーランドの英雄であり、第二次世界大戦勃発までポーランドを安泰に導きました。
一方でドイツの再侵略を予測し、ヒトラーとも会談して独・ポ不可侵条約を結んでいます。

 ピウスツキは言わば戦間期のポーランドのカリスマ的リーダーですが、現役で活躍していた頃は批判も多く受けていました。
しかし彼ほど大胆にロシアに立ち向かい、刃向かえば逮捕という脅威を恐れず、投獄されてもなお諦めなかった人はなかなかいません。

 Ojcowie Niepodległościオイツォヴィエ・ニェポドレグウォシチ”(ポーランド独立の父)と呼ばれる人の中でもまず最初に挙げられる人物であり、ポーランド人は今でも彼に深い敬意を持ち続けています。
毎年8月15日に訪れるポーランドの軍隊記念日では、各街のピウスツキ像の下に軍人が集まり軍事パレードやスピーチが行われますよ。
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夫Piotr
ピウスツキがもう少し長く政治界で活躍していれば、ドイツはもっと慎重になったはず。侵略はされただろうけど…。
あやか
なんと、日露戦争中の日本にも来てるよ。ロシアに勝った日本軍と連携を要請して、日本側も色々と協力したみたい。

 

教皇ヨハネ・パウロ2世

ヨハネ・パウロ2世

Pope John Paul II(1920〜2005)

 ポーランド初のローマ教皇、「空飛ぶ教皇」ともいわれたヨハネ・パウロ2世。
本名はカロル・ヴォイティワといいます。

 第二次世界大戦勃発時のヴォイティワは哲学専攻の大学生でしたが、ナチスドイツの占領により大学は閉鎖され、悲劇を目の前にして地下神学校へ進むことを決意します
終戦後1946年に司祭となり、1967年にはローマ教皇の最高顧問・枢機卿すうききょうになりました。

 そしてポーランドがソ連の社会主義による圧政で苦しんでいた1978年、第264代ローマ教皇として選出されたのですが…。
まさかのポーランド人ローマ教皇の誕生に世界中の教会関係者、ポーランド人はビックリ!

 ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世としてバチカンから祖国を励まし、この出来事があってポーランドはどのソ連の衛星国よりも早く社会主義を抜け出すことができました。
ヨハネ・パウロ2世は宗教な面だけでなく、祖国の英雄としても尊敬されている人物です。
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夫Piotr
ポーランドのカトリック教会にはヨハネ・パウロ2世の姿(肖像とか像)が必ずあるよ。教会行ったらまず探してみて!
あやか
最も世界中の人々に愛されているポーランド人。2020年は生誕100周年ってことで、ますます色んなところで見かけた♪
ポーランドが共産主義だった頃の話
最大教派カトリックについて徹底解説

 

そのほか著名なポーランド人

コペルニクス

 上記で紹介した5人はポーランドの英雄的存在ですが、ほかにもポーランド人またはポーランド系の著名人がたくさんいます!

 2017年、学研プラスの “GetNavi Web” というサイトで「意外と知られていないポーランドの偉人」という記事を書きました。
そちらでは当記事には書かなかった6人の偉人を紹介しているので、ぜひご覧ください。


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この記事のまとめ
アイコン 皆さんに知ってほしいポーランドの英雄や著名人はもっ〜とたくさんいるのですが、その中でも「この5人だけは!」という人物を厳選して紹介しました。❶ヤン3世・ソビエスキ、❷タデウシュ・コシチューシュコ、❸アダム・ミツキェヴィチ、❹ユゼフ・ピウスツキ、❺教皇ヨハネ・パウロ2世、この中の誰か一人でもご存知だったでしょうか?(そうであってほしい)
 ちなみにここで紹介した人物は、バチカンのサン・ピエトロ大聖堂に埋葬されているヨハネ・パウロ2世を除き、クラクフのヴァヴェル大聖堂で眠っています。もちろん、私のクラクフ観光ガイドでも触れる人たちですが、皆さんなかなか名前を覚えられません。それは当然のこと。私が逆の立場でも「えーと、誰だっけ」ってなります。ガイドのあとにまたこの記事を読んでほしい、在住者にも知ってほしい、ということで当記事を書きました!

ポーランドの歴史

 

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あやか
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