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前回の記事でもお話しした通り、11月2日は「死者の日」でした。
祝日ではないのですが、私の夫と弟はお休み。ということで、今年は夫の母方の実家にお墓参りへ行ってきました!

前から「いつか一緒に行かないとね」と言われていたのですが、ポーランドに来て3年目だというのに義母の実家へはなかなか行く機会がありませんでした。
義父の実家は今住んでいる街にあるので、もう何回もお邪魔しています。
南へ車で1時間走っている間、私は超久しぶりに読書をしていました。ご案内した方からいただいた本を読んでいたのですが、久しぶりに日本語の活字に触れると余計に夢中になってしまいます!
リブニックという小さな町をさらに南へ30分、ようやく到着したのがココ。

まず、目の前に飛びこんできたのは空き地。村だけあって、やたら敷地が広すぎるようですね。よく見ると鶏が10羽くらい追いかけっこしていました。
目の前には長い平屋があって、そこでお義母さんは育ったそう。
もう完全に物置と化していました。その隣に、2階建ての大きな家が建っています。そこに今、お義母さんの弟(独身)が一人で暮らしているのです。


特に中の写真は撮っていませんが、「男の家」っていう感じでしたよ。
整理整頓されておらず、コート掛けもない、床の端にはモノが山積みの状態。キッチンもひどい。って、ここまでハッキリ書いていいんでしょうか(笑)。
月に1回か2回、義両親はここにやって来て鶏の卵や牛乳を回収(?)したり、片付けやご飯をつくったりしているようです。夫のピオトルいわく、「お母さんがそうやって面倒見てるから、叔父さんは結婚できなかったんだ」とのこと。

そうやって3人で義両親を待っていると、お義父さんが一輪車に大量のリンゴを乗せて帰ってきました。
ピオトルが「写真!」と言うので、窓越しに撮影。あまりに普段とはかけ離れた姿だったので、そうやって冷やかしていると「教授を笑うな(笑)」と教授の妻が部屋に入ってきました (^o^)
後にピオトルの叔父ともご対面。
あまり口を開かない人で最後までそんなに話はしませんでした。どの部屋にもあるラジオには24時間カトリック放送が流れていて、テレビもカトリック番組オンリー。そんな彼は、ピオトルからしても変わった家族の一人なようです。

面白いものをいくつか見せてもらいました。こんなのとか、猟銃とか!
写真に写っている家具ですが、これは義両親の家にあるものとまったく同じです。共産主義時代で家具もなかなか手に入らなかった時、偶然見つけることができたそう。きっと「今しかない!」と、勢いで2つ買ったんですね…。
さて、そろそろお墓参りの時間。

ポーランドにも菊の花が!!今の時期は、教会でもよく見かけます。
近くの教会から、死者の日のミサが放送で聞こえてきました。次から次へと墓地に人が入り、お祈りをしています。
私たちは4つのお墓をまわり、最後に生後6ヶ月で亡くなった子どものお墓に向かいました。こんなに小さなお墓を見るとさらに切ない気持ちになります。


いつかはやってくる死。
死が決して終わりではないことを宗教を通して学び、それを信じて死者に祈りを捧げるというのは美しいことだと思います。キリスト教に限らず、です。
最近、とある新婚さんのご夫婦に「なぜカトリックになろうと思ったんですか」と興味津々に聞かれたんですね。
私はそこでキリスト教やカトリックについて熱弁するわけでもなく、「もし自分に死が迫った時、大切な人が亡くなった時、また会えると信じていた方が気持ちが楽だから」という風に答えました。
宗教に懐疑的になるより、死んでから後ろめたい気持ちにならないような人生を送っている方が百倍いいと思います。でも、どんなに強がっていても死を身近に感じた時、多くの人はきっと目に見えない何かにすがりたくなるのでしょうね。




お墓参りの後、もう一人の(愉快な)叔父さんの家に行きました。
奥さんはだいぶ前に亡くなっていて、彼も大きな家に一人で暮らしています。でもこちらの家は生活感があって、息子夫婦や孫達がたまに遊びに来ていることも部屋のようすからよく分かりました。
昭和チックなおもちゃ、これはピオトル曰く「頭を使うレゴ」そうです。
レゴは全部プラスチックですが、こちらはゴムや金属も素材として使われています。レゴより、こういうもので何かを組み立てる方がずっとリアルだし、完成した時の喜びも大きいだろうなぁ。
そして、また最初の叔父さんの家へ戻り、夕ご飯をみんなで食べてグリヴィツェに帰りました。来年の「死者の日」もこんな風に過ごせたらいいな (*^-^*)
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cmentarz
cmentarz(ツメンタシュ)は「墓地」という意味です。
最近、カジミエシュ地区のレムシナゴーグにある cmentarz żydowski(ツメンタシュ・ジュドフスキ:ユダヤ人墓地)にご案内で行ってきました。
そのユダヤ人墓地は19世紀初頭まで使われていたそうで、クラクフ最古のユダヤ人墓地とも呼ばれています。「死者の日」の後でしたが、やっぱり花やズニチュはありませんでした…。
最後までお読み頂きありがとうございます☆

