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ポーランドのお宝、ダ・ヴィンチ『白てんを抱く貴婦人』の裏話と見どころ

白てんを抱く貴婦人の見どころ
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クラクフ市公認ガイドのカスプシュイック綾香(本名)です。2014年以降、ポーランド在住。ガイド・通訳業の傍ら、旅行や生活に欠かせないポーランド情報をお届け中!
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名画を堪能したいなら読もう

 

旅行者さん
ポーランドのクラクフでレオナルド・ダ・ヴィンチの作品が見れるってホント?『白てんを抱く貴婦人』という女性の肖像画…
あやか
クラクフ旧市街の北側にあるチャルトリスキ美術館に展示されています!見事な作品ですよ。
旅行者さん
鑑賞する前に知っておいた方がいいこと、見どころがあればぜひ教えてほしいな。描かれている女性はどんな人なのかな?
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白てんを抱く貴婦人を鑑賞

「こまかい話は別にええから名画の見どころだけ教えてくれん?」という方はコチラへ…

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ダ・ヴィンチの絵は希少

ダ・ヴィンチ

 イタリア出身の超有名画家、レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452〜1519)。あのダ・ヴィンチが描いた『白てんを抱く貴婦人』(1489年)という作品はクラクフのチャルトリスキ美術館で鑑賞することができます。ダ・ヴィンチといえば『最後の晩餐』や『モナ・リザ』を思い浮かべますが、意外にも彼が残した絵画は二十数点しかありません。その中でも現存しているのはたった15点ほどであり、女性の肖像画は4枚のみとされています。
 
 彼は画家というより多彩な才能を放つ自由人だっため、絵画作品は多くありません。また、絵画の制作に専念できたのは晩年の2年だけだったそうです。そして、現存する作品の中でも『白てんを抱く貴婦人』は特に保存状態がよいもの。描かれた当時の完全なオリジナルな状態というわけではありません。しかし、『モナ・リザ』や『ミラノの貴婦人の肖像』など、ほかの一人の女性を描いた肖像画3枚はそれ以上に修正が加えられています。 

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肖像画の女性、チェチーリア

チェチーリア

 『白てんを抱く貴婦人』の最初の所有者はこの絵のモデル本人、チェチーリア・ガッレラーニ(後のベルガミーニ夫人)です。彼女が16〜17歳のときに描かれたものと推測され、チェチーリアが1536年に63歳でこの世を去るまで自身がこの絵画を大事に持っていました。ダ・ヴィンチの技量を褒めたたえ、非常に気に入っていたそうです。
 
 チェチーリアは北イタリア・ミラノの令嬢であり、名門ガッレラーニ家の娘でした。父はフィレンツェやルッカの大使を務めた役人でしたが、彼女が7歳のときに他界します。13歳でミラノ公国の君主イル・モーロの愛妾となり、彼は、聡明で教養豊かな美しいチェチーリアを大変気に入っていました。しかし、イル・モーロはフェラーラ公エルコレ1世・デステを正妻として迎えます。チェチーリアはイル・モーロの子を宿していたものの宮廷を追い出され、ミラノの邸宅へ引っ越すことになりました。彼女はチェーザレ・スフォルツァ・ヴィスコンティと名付けられた男児を出産したあと直ぐ、ルドヴィーコ・ベルガミーニと政略結婚します。
 
 それから年月が流れ、1498年4月。チェチーリアの肖像画(『白てんを抱く貴婦人』)の評判を聞きつけたイル・モーロの妻の姉、イザベッラ・デステ(パルマ公妃)が「ぜひとも、私に貴女さまの描かれた絵画の貸し出しを!」とチェチーリアに手紙を出します。イザベッラは3日後に「10年も前に描かれた肖像画の自分と、今の私の容貌はかけ離れています。恥ずかしながら、もう別人のようですが…」という返事とともに絵画を受け取りました。
 
 チェチーリアは貴族だけにラテン語を流暢に話し、また芸術を愛する文化人であったことから絵画のサロンを開くことも度々あったそうです。きっと当時から多くの人々が、のちの『白てんを抱く貴婦人』に魅了されていたのでしょう。夫の死後、チェチーリアは若き日の自身の肖像画を持ってクレモナへ移り、静かに余生を過ごしたといいます。

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イザベッラもダ・ヴィンチに肖像画の制作を依頼したそうですが、なかなか描いてもらえなかったとか。しかし2013年、スイスでダ・ヴィンチが描いた イザベッラの肖像画 が発見され、約160億円で取引されました!すごい額だなぁ…。

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ポーランドに保護された名画

チャルトリスキ美術館

 『チェチーリアが亡くなった1536年以降、「旅するチェチーリア」と呼ばれた『白てんを抱く貴婦人』はヨーロッパ各地をさまよいます。そんな名画がポーランドに渡ったのは1800年、ポーランドの貴族アダム・イエジィ・チャルトリスキがイタリアで『白てんを抱く貴婦人』を購入したのがきっかけ。誰から購入したのかは不明、チェチーリアの死後約250年間の行方もほとんど謎のままです。
 
 彼は、ポーランド初の美術館を創設した母イザベラにこの絵画をプレゼントしました。当時のポーランドは隣国から不当に占領され地図から姿を消していましたが、熱心な文化人であったイザベラはチャルトリスキ家が所有する財宝を保護し、絵画を一般公開します。そして1876年、『白てんを抱く貴婦人』はクラクフのチャルトリスキ美術館へ。しかし1939年のドイツによるポーランド侵攻の直前、チャルトリスキ家はポーランド東部のシェニャヴァに絵画を隠すことにしました。ただその後、残念ながら絵画はナチスに略奪されてしまい、ドイツのカイザー・フリードリッヒ美術館(現・マグデブルク文化歴史博物館)に展示されたあと、悪名高きハンス・フランク(占領したポーランド/ポーランド総督府を統治していたナチ党の幹部)の手に渡ろうとしていましたが、そこで終戦を迎えました。
 
 1952年にポーランドに返還され、クラクフに戻ってきたのは戦後10年後のことです。当時のポーランドはソ連の圧政による共産国であったためモスクワへ移されますが、紆余曲折を経て、現在はポーランド文化省の所有物として保護されています。

ポーランドの歴史
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国は名画を破格で買い取った

ポーランドの国旗

 『白てんを抱く貴婦人』は2016年末まではチャルトリスキ公爵財団という、18世紀のポーランド貴族・チャルトリスキ家の末裔が運営する財団が所有していました。2012年から約5年間はヴァヴェル城に、その後は2019年12月まで国立博物館本館に移動し、現在は再び美術館に展示されています。
 
 2016年末以降、この作品のオーナーはポーランド文化省です。なんと、国は公爵財団が所有する約120億円(約2,460億円)の数千点に及ぶ美術品を破格の約1億ユーロ(約120億円)で購入しました。購入コレクションにはレンブラントの作品やルノワールの絵画、ショパンの手紙なども含まれており、『白てんを抱く貴婦人』には保険金3億5000万ユーロ(約430億円)がかけられているとか。
 
 もともとの所有者であるチャルトリスキ公爵財団は資金繰りに困って泣く泣く売ったわけではありません。彼らのコレクションは歴史的に非常に価値が高く、それゆえに国がこれら芸術品や書物などを厳重に保護したほうがいいと判断したのです。国の所有物となれば個人の判断で国外へ渡ることはなく、不当な言い分で所有されることもありません。

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名画の見どころを解説!

絵画の基本情報

制作者…レオナルド・ダ・ヴィンチ
制作年…1489年/1490年
モデル…チェチーリア・ガッレラーニ
制作国…イタリア・ミラノ
種類 … 油彩
寸法 …54.8cm × 40.3cm
 
 肖像画のモデルの女性は、ミラノ公イル・モーロの愛妾だったチェチーリア・ガッレラーニ。描かれた当時の彼女は17歳であり、貴婦人というより少女でした。白てんを胸に抱く女性の上半身は左方に向けられ、光が当たった表情には少女のあどけなさと気品、知性を感じることができます。
 
 さて、この絵を見るうえでまず注目していただきたいのは、「女性と白てん」の組み合わせ。汚れた場所を嫌う白てんは純潔と節度の象徴とされ、同時に彼女を愛妾としていたイル・モーロの象徴でもありました(イル・モーロはナポリ王より「白貂の勲章」を授かっていた)。また、白てんはギリシャ語で「ガレー」と言い、チェチーリアの姓「ガッレラーニ」と掛けたのでは?とも言われています。
 
 王様の肖像画で白いマントを被っている姿がよく見られますよね。実はあれは白てんなんです。中世ヨーロッパで白てんの冬毛(通称アーミン)は上質な毛皮とされており、好んで衣装に用いていた上流階級の人々は「その美しい毛皮が汚れるくらいなら死を選ぶ」と言ったとか…。そこまで気品を感じられる白てん、どことなくチェチーリアに通じるものがあります。若く美しいチェチーリアは宮廷の花形であり、幼い頃から発揮される知性と教養の深さは多くの文学者からも高く評価されていました。
 
 あるいは、白てんがイル・モーロの象徴であることから、愛妾だったチェチーリアとの関係を肖像画の中で強く表したのかもしれません。正妻となることはなかったものの、彼が本当に愛していたのはチェチーリアとも言われています。
と、白てん前提で話をしましたが、描かれているのは実は白い被毛を持つフェレットです(!)。
 

 次に見るのは、白てんを抱く右手。女性の手にしてはやや大きめです。ダ・ヴィンチはなぜか二度にわたって右手を描き変えており、「モデルは白てんを抱いていなかったのでは?」とか「そもそも描かれていなかったのでは?」とも言われています。
 
 そして絵を科学的に分析したところ、白てんの下の層からやや小ぶりに描かれた白てんの姿が浮かび上がり、さらにその下の層からは左手首に置かれただけの白てんが描かれていたとか…。
一度完成した肖像画を見直したダ・ヴィンチが、あとから白てんを描き足したのだとすれば、その技量にも驚かずにはいられません。真相は闇の中。
 
 またこの右手をよく観察すると、爪や間接のしわまで精緻に描かれていることが分かります。
 

 私が思うに、この絵の中で最もインパクトがあるのは、肌の白い女性を際立たせる黒い背景。なんだか不自然だと思いませんか?
あまりにもコントラストが強すぎます。
 
 ということで、「この背景は誰かに塗りつぶされたもので、元々は窓が描かれていたという説」があります。まだらなグレーが塗られていたのではないかという有力な説もあり、とにかく、のちに誰かによって塗りつぶされたのは確か。背景に関しては、加筆というより完全にリメイクです。
 
 背景が黒く塗りつぶされてしまったために女性と背景の色合いに違和感が生じ、その結果、肌の色まで濃く見えるよう修正されています。頬にはほんのりとピンク色が足され、鼻には影が加えられ、目元のあたりは若干明るくなりました。
 
その視線の先には何が? 次に、女性の顔をよくご覧ください。
まるで、額縁の外で起こっている出来事にハッとしているような表情は、またこちらをすぐに振り返ってきそうなほどの躍動感があります。
 
 この斜めに描かれる肖像画は、ダ・ヴィンチが得意としていた絵画技法の一つだそう。彼は「慎ましやかな女性を描くには、頭を下げるか、斜めに傾けるといった仕草がよい」と述べており、チェチーリアにはぴったりなポーズです。
 
 ところで、髪型にも違和感を覚えます。
頬から顎へ髪が不自然に張りついているような感じで、誰が見てもすぐに分かるほどの加筆の跡。これは、元々は薄いベールを頭に被っていたところを大げさな髪型に変えてしまったため、結果的に荒々しい修正となったと推測されています。
 
 『白貂を抱く貴婦人』は加筆や修正がやや目立つものの、ダ・ヴィンチによる女性の肖像画の中では最も美しく保存状態のよい作品です。

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ちょっと、つぶやいていい?
アイコン ダ・ヴィンチはチェチーリアを「私の愛する女神」と呼んでいたらしいです。それほどまでに美しい女性が描かれているなんて…!そんな名画、2001年秋に京都市美術館、翌年には横浜美術館で展示されていました。でももう国外への貸出はないとのことなので、皆さんはこの魅惑の名画をチャルトリスキ美術館でご鑑賞ください!
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あやか
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4件のコメント

NF より:

初めまして、こんにちは。

あやかさんの記事をいつも楽しみにしています。貴重な情報をありがとうございます。
ところで、唐突に申し訳ないのですが、ひとつお伺いさせてください。

クラクフの町には、歴史的にロシアの影響は残っていますか。

Ayaka より:

NFさん

いつもブログをご愛読いただきありがとうございます。
管理人の綾香です。

私自身、ロシアには行ったことがなく、またロシアの影響と言われましてもピンと来ません。
ただクラクフはオーストリア領でしたので、ロシアの影響はほぼないと思います。

NK より:

先程の質問は、気持ちが先走ってしまい不躾すぎました。
申し訳ありません。

自分なりにもっと調べてみようと思います。
これからも応援しております。

三上高慶(貞直) より:

こんばんは。manggha博物館の「Nihonto」展展示、イベント参加のため、クラクフにいます。今日は、国立美術館につれていってもらい、この作品に出会いました。今ホテルで、ブログを拝見。余韻に浸っています。ありがとうございます。これからも、頑張って下さい。

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