歴史家が投げかけた質問には “まさか” の答えが…



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今さらですが、去年2016年はポーランド誕生・洗礼1050周年でした。

誕生と同時にカトリックの国となったポーランド。カトリック信仰はこの1050年を通して守られてきた、まさにポーランド文化の土台でもあります。

そして去年、ポーランドの歴史家の間でこんなテーマが持ちかけられました。

それは「もしあの時、ポーランド(=創始者ミェシュコ1世)が洗礼を受けていなかったら?」という想像上の話。仮の話とはいえ、ポーランドの起源を振り返る時には必ず浮かんでくる疑問です。

なぜキリスト教徒はイエスを信じるのか 前編

2015.10.30
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ポーランドの洗礼とは?

10PLN紙幣のミェシュコ1世

10PLN紙幣のミェシュコ1世

ポーランドが創始されたのは今から1051年前の966年になります。

創始、というのも、ポーランドの創始者ミェシュコ1世は事実上は王でしたが、正式には国王ではなかったため。彼は当時のポーランド一帯を取りまとめていたレフ族の長で、息子ボレスワフ1世がポーランド王国の初代国王となりました。

ポーランドの壮絶な歴史2 ピャスト朝

2015.12.05
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ポーランド王国の前身となったレフ族は代々自然宗教を信仰していましたが、あることをきっかけに改宗します。

これが現代にも根強くつづく、カトリックへの改宗でした。この改宗は、ポーランド人にとっては超重要な歴史的イベントであり、これについての議論は今に始まったことではなく、1960年代から研究が進められていたそうです。

ちなみに一般的史実としては、キリスト教ではないことを口実に他国から攻め入られないためにもポーランドはカトリックに改宗せざるを得えなかったと言われています。詳細はこちらの記事にて。

ポーランドの壮絶な歴史1 ポーランド初期

2015.11.30
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しかしその頃のポーランドはまだ国ではなかったとはいえ、公国として地位もあり、他国から一目置かれていました。

現にレフ族の持つ城は強固なもので、城をつなぐ400mの橋は当時のヨーロッパいちの長さ。軍の力も数も国家レベルと言えるほど申し分なかったとか。

そんなポーランドがわざわざ改宗するに至ったのは、政治的な理由だけだったのか。考えれば考えるほど、もっと複雑な理由があるような気がしてきますね。

 

ミェシュコの心境の変化

ミェシュコ1世と王妃ドブラヴァ

ミェシュコ1世と王妃ドブラヴァ

ミェシュコ1世は965年、ボヘミア王の娘ドブラヴァと婚約し、966年、結婚を機に洗礼を受けています。これは紛れもない事実。さて、ミェシュコ1世が改宗に踏み切った理由とは?

有力な説によると…

この頃、ポーランドでは大きな戦い2つに連敗というかなり苦しい状況でした。

最初の戦いでは兄を亡くし、ミェシュコ1世もショックを受けます。さらに、神聖ローマ帝国が神の名のもとにポーランドへ攻め入れようとしていました。

ここで、ミェシュコ1世は打開策としてある大きな決断に迫られます。
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Mieszko
この状況はまずいぞ。我らと同じ自然宗教の公国であるハンガリーやキエフルーシと同盟を組むか、あるいは神聖ローマ帝国と同じカトリックのボヘミア公国と同盟を組むべきか…。.

考えてみれば、名誉のある強い国はどこもカトリックだ。それに国の文化も発達しているし、見習うべきところはあるな。

こうなったら、ボヘミアと同盟を結んだ方がいいかもしれない。よし、ポーランドを守るためなら背に腹は変えられぬ!

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現に、自然宗教であるために周辺国に融通が利かない状況の中(自然宗教=野蛮と思われていたため)、地理的にも近いボヘミアと手を組んだ方が有利そう。

ここでミェシュコ1世は、ボヘミア王に取り入って娘ドブラヴァをポーランドに迎え入れようとしますが、そこには改宗という大きな条件がありました。
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Dobrawa
あなたは既に7人も妻がいるじゃない。私はそんな人とは結婚できないわ。出直してきて。

.こ
敬虔なドブラヴァは、彼に対してカトリック教徒として説教をしました。戦いに連敗していたところ、そんな時に一理ある神の教えを説かれたことがミェシュコの回心へと繋がったのでしょう。

こうして婚約後すぐ、ミェシュコは結婚までの1年間をカトリックになるための勉強に費やすことになりました。

そして、きたる966年4月14日の聖土曜日、ミェシュコは少なくとも1万人の家来と共に洗礼を受けたのです。

 

改宗していなかった場合

ポーランドの起源、グニェズノ

ポーランドの起源、グニェズノ

さきほどの話は単なる想像話みたいですが、ちゃんと根拠があっての説です。

ここでは分かりやすく伝えるために物語のように書きましたが、ポーランド語で書かれた複数の歴史家の真面目な意見を参考にして簡単にまとめました。

それでは、いよいよ本題です。

もし、あの時ミェシュコ1世がカトリックに改宗していなかったら、ポーランドはどうなっていたのでしょうか。

歴史家が推測するに、おそらくポーランドは現在のような国家としては存在しておらず、967年には滅びていたかキエフルーシや他の公国、部族に吸収されてなくなっていたことが考えられます。

洗礼の翌年である967年、963年にポーランドを襲ったヴィエレツ族が再び攻めてきているのですが、ここで救われたのもボヘミアとの同盟あってこそ。

仮にキエフルーシやハンガリーと同盟を組んでいたとしても、状況からして結局は併合され、ポーランドの名は残らなかったと考えるのが自然なようです。

まさに、ミェシュコの賢明な判断に救われたポーランド。本当によかった!

こうしてポーランドは966年、カトリックの信仰や他国の発達した文化を取り入れ新たなスタートを切りました。次回の記事では、カトリックの国としてのポーランドの歴史を辿っていきましょう。

誕生1050周年!信仰に見るポーランド歴史物語

2017.01.17
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今日のポーランド語

chrzest

chrzest(フシェスト)は「洗礼」という意味の名詞です。

今回はポーランドの洗礼についてお話ししましたが、「ポーランドの洗礼 」は “chrzest Polski” といいます。1966年7月30日、ポーランド生誕1000年を記念して128,475,000枚の記念切手が発行されたそうですが…、なぜそんな中途半端な枚数?!

 

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あやか
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