これからポーランドへ行く方が知っておきたい情報

ポーランドに住む伝統的なムスリム リプカ・タタール

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クラクフ市公認ガイドのカスプシュイック綾香(本名)です。2014年以降、ポーランド在住。ガイド・通訳業の傍ら、旅行や生活に欠かせないポーランド情報をお届け中!
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photo: gdziebylec.pl

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ヨーロッパでは、日本のように保守的なことで知られるポーランド。

人口の96%がポーランド人だなんて、自国民を圧倒するほどの移民がいる西欧諸国を見れば信じられない数値です。

そんな国に、しかも敬虔なカトリック信者ばかりのこのポーランドに伝統的なイスラム教徒が3千人も住んでいると知ったらビックリしませんか?
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このページの目次
1. リプカ・タタール人とは
リプカ・タタール人の起源
なぜ、やってきた?
ポーランド人との深い絆
2. 現在のリプカ人
どこに住んでいる?
実は変わったムスリム

 

リプカ・タタール人とは

14世紀、ヨーロッパ中で迫害されるユダヤ人を歓迎し、彼らを守り抜こうと様々な努力を尽くしたポーランド。

ロシアのタタール人
ロシアのタタール人 by pinterest

しかしこの時、タタール人と呼ばれる人達もこの地に到着していました。

タタール人…。日本人にとっては聞き慣れない言葉ですね。いったい彼らはどんな民族なんでしょう。何の目的でポーランドにやって来たのでしょうか。

 

リプカ・タタール人の起源

リプカ・タタール人(以下、リプカ人)の先祖は、チンギス・ハンの築いたモンゴル帝国の継承国家(クリミア・ハン国やカザン・ハン国、オルダ・ウルスなど)を構成していた人々です。

タタール人は非常に複雑な民族で、さらに分けていくとモンゴル系、テュルク系、ツングース系…となります。リプカ人はクリミア半島に起源をもつテュルク系民族(クリミア・タタール人)。

リプカ人 photo by
リプカ人の少女 by se.pl

彼らは14世紀末、リトアニア大公国やウクライナ、ポーランドの地に移り住みました。そして特に、ポーランドに住むタタール人をリプカ人といいます。

また元々はテュルク語を話していましたが、次第にポーランド語を話すようになり、外見もすっかりポーランド人になってしまったリプカ人もたくさん。

そんなリプカ人とポーランド人の最もちがうところ、それは宗教でしょう。

リプカ人の墓 photo by
リプカ人の墓 by se.pl

彼らは敬虔なカトリックの国に住む一方、熱心にイスラム教(スンニ派)を信仰しています。一見相容れなさそうなこの2つの民族、ポーランドが彼らを受け入れた経緯が気になりますね。

 

なぜ、やってきた?

最初に移住してきたのは、シャーマニズム信仰(超自然的存在を信じるもの)を保持するためにリトアニア大公国にやってきた亡命者のタタール人。

14世紀末、リトアニアは優れた戦術や傭兵を持つ彼らをもっと受け入れることにし、この時にムスリムに改宗していたタタール人も移り住んできます。

当初はリトアニアに住んでいたタタール人ですが、やがてポーランドとリトアニアが統合されてポーランド・リトアニア共和国(以下、共和国)となると、現在のポーランド各地にも拡散していきました。つまり、リプカ人ですね。

リプカ人の騎士 photo by
リプカ人の騎士 by Marcin Łada

カトリックを信仰するリトアニアとポーランドですが、彼らのイスラム信仰や文化を守る代わりに軍事協力、共和国への支援を要請し、いつしか互いに友好的な関係となっていきます。

戦いが終われば元の地へ帰っていくタタール人もいましたし、宗教的なぶつかりは多少あったようですが、一度ポーランドに挑んで敗戦した後(後述)は共和国に忠誠を誓うようになりました。

中世のタタール人は常に軍事遠征に参加し、共和国に大きく貢献しています。

 

ポーランド人との深い絆

ポーランド人は移民であるリプカ人の一部に貴族としての権限も与え、また議会に参加することも許可しました。

一般市民のリプカ人に対してもカトリックを信仰するポーランド人との結婚を許し、これもあってリプカ人はイスラムを信仰しながらもポーランド社会にどんどん溶け込んでいきます。

painting by Juliusz Kossak
painting by Juliusz Kossak

しかし1672年、リプカ人は共和国に対する反乱を起こしました。

この頃は共和国の支配下にあったウクライナにおいてウクライナ・コサックが反乱を起こしたり、ロシアがリトアニアを侵攻したため、タタール人はその被害を多いに被ってしまいます。

また同時期に共和国はリプカ人以外の多くの外国人騎士を雇うようになりましたが、彼らは農作物を略奪するなどして恨みを買う存在となっていました。

そして1667年に可決された新しい法律では、一部の領土においてモスク(イスラム教徒の祈りの場所)の建設を制限し、リプカ人が率いる騎士の昇進までをも制限、さらに議会は共和国の財政悪化もあってリプカ人の傭兵に対して賃金を払わなくなってしまったのです。

こうなると彼らが鬱憤ばらしに反乱を起こしてしまうのに無理もありません。

painting by Juliusz Kossak
painting by Juliusz Kossak

リプカ人の反逆者達は2千〜3千人のタタール人を率いて、共和国に戦いを挑みます。しかもキリスト教諸国である西欧やポーランドの最大の敵であったイスラム教のオスマン帝国に服従し、共和国に大ダメージを与えました。

そして略奪をされていた地域で自身も略奪や放火を繰り返し、ポーランド軍の姿に扮して村に侵入しては人々を捕虜としてこらしめるようになったのです。

恐らくそこまで恨みはなかったと思うのですが、もう勢いを止められなくなってしまっていたのでしょう…。

しかし、オスマン帝国の君主からの扱いや厳しい取り決めにすぐ不満を抱くようになり、またポーランド軍がオスマン帝国のホチンという要塞都市を占領して勝利を治めたことから、共和国に戻りたいという者が増えてきました。

そこでリプカ人は、忠誠の誓いと謝罪を記した手紙を国王に渡します。ちなみに前回紹介したこちらの国王です。

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最初は「裏切り者が!」と言わんばかりに拒否されましたが願いは受け入れられ、その後は共和国側の騎士としてリプカ人はオスマン帝国と戦います。

そして見事ポーランド・リトアニア軍とともに撃退するのですが、よく考えればムスリムがムスリムをやっつけるというのはすごいことですよね。

クルシェニャニ村のモスク photo by
クルシェニャニ村のモスク by se.pl

またこの時の国王、ヤン3世はリプカ人に不利となっていた法律を廃止し、ムスリムとしての自由や特権を復活させました。未払いとなっていた賃金は国家の財政難もあって自身の財産からも支払い、これらは彼らが今後も軍事協力をするという前提で付与されています。

この仲直りを機に互いに揉めるということは一切なくなり、共和国が消えてしまった123年間もポーランド独立回帰のためリプカ人は奮闘しました。

第二次世界大戦ではナチスとも闘い、近代史でもポーランド軍と深い絆を確かめ合う存在となっています。

 

現在のリプカ人

ちなに私の夫の義兄(姉の夫)は、タター ル人の先祖を持つのでその面影もあってか出張先ではテュルク系に見間違えられることがあるそうです。

彼の目は青色ですが、髪は黒いので確かに一般的なポーランド人とはちょっと見 た目がちがうかも。あ、彼は立派なカトリック教徒で両親も同じ宗教ですよ。

 

どこに住んでいる?

現在のポーランドに住むタタール人(リプカ人)の人口は推定3千人。そこらへんを歩いていてバッタリと会う、ということはまずないでしょう。

photo by Voices from Poland
リプカ人の家 by Voices from Poland

17世紀には人口10万を越えたと言われますが、2002年の調査では民族的にタタール人と意識しているリプカ人はたったの447人だったそうです。

リプカ人が多く住む地域はグダニスクやビャウィストク、ワルシャワなどのポーランド北東部ですが、現在はリトアニア、ベラルーシ、ウクライナとなっている共和国時代の領土も含めれば1万〜1万5千人のリプカ人がいるとか。

村の看板 photo by se.pl
タタールレストランの看板 by se.pl

居住地として特に有名なのはベラルーシの国境にとても近いクルシェニャニ村(Kruszyniany)。イスラムの祭日となると他の地に住むリプカ人達はこの小さな村に集まって来るそうです。

 

リプカ人は変わったムスリム

本家本元のムスリムから言わせれば「あんたらはムスリムじゃない!」と叱られそうですが、リプカ人はイスラムを信仰しながらも本来は禁じられているはずの豚肉を食べ、お酒も飲みます

ポーランドに住んでおいて酒を飲むなという方が無理があるでしょう。

飲んでる…! photo by
飲んでる…! by tagsecond.com

また面白いことに彼らの地では週休3日制。イスラム教、ユダヤ教、キリスト教の3つの宗教が混在するため、それぞれの安息日である金曜日、土曜日、日曜日の3連休となるわけです。

しかしやっぱり、これが原因でごく少数のアラブ諸国やパキスタンからやって来たムスリムに批判を受けているそう。

また、2013年に改定されたポーランドの動物愛護法にも問題が。

ユダヤ教もイスラム教も動物を食べる場合、「肉を食べる前は必ず血を抜かなければいけない」という決まりがあるのですが、その血を抜くという行為が違法になってしまったのです。

これは両者にとってかなり大問題!

ところが、あるポーランドの政治家はそれは憲法違反だと指摘し、宗教の自由を侵しているということで約2年後に再び法改正がありました。めでたし。

リプカ人の家族 by Voices from Poland
リプカ人の家族 by Voices from Poland

このようにポーランドに見事に同化したリプカ人は、現在の西欧諸国に住む移民の手本とも呼べる存在です。

外国での暮らしに不満のある移民が暴動を起こすことがありますが、リプカ人は暴動を起こしません。彼らは「私たちはポーランド人であり、リプカ人でもある」と胸を張って言います。

近代化に伴った周囲からの差別や偏見で苦しみ、その上に暴動を起こすといったパターンもあると思いますが、ユダヤ人を含め移民とうまく共存してきたポーランドに拍手を送りたいですね。
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今日のポーランド語

Super!

Super(スペル)は英語の “Super”(スーパー)から来た言葉で、「いいね!」「最高!」というような意味を持ちます。割と頻繁に聞きますよ。

発音する場合は「ス」にアクセントを置き、感情を込めながら言いましょう。ただ相手に同意しただけで、落ち着いた表情のまま Super というのはなんだか変です…。

 

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あやか
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2件のコメント

タタール人ほか各国の少数民族について興味があります。
大変参考にないました。

Ayaka より:

調べるのにはちょっと苦労をしたので、お役に立てて何よりです!
いつかタタール人の村に行ってみたいのですが、かなり遠い場所にあるのですぐには叶いそうにありません。

ましおひでゆき へ返信する コメントをキャンセル

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