キリスト教、カトリックってどんな教派?



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ポーランドとカトリックの宗教文化は切っても切れない関係。

そこにはポーランドの歴史が大きく関係しています。興味がある方は下の関連記事もご覧ください。この記事ではカトリックそのものをテーマとして、カトリックはキリスト教のどういった教派なのか詳しく説明していきます。

ポーランドの壮絶な歴史1 ポーランド初期

2015.11.30

 

カトリックを理解する前にキリスト教の知識は不可欠。キリスト教そのものについては、次の関連記事をご覧下さい。

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2015.10.30

 

このページの目次
1. カトリック教会
2. ローマ教皇
3. カトリックの考え方
4. 婚姻の無効と例外の再婚
5. 死後はどのような場所か
6. 教会はどういう場所か

 

カトリック教会

バチカン市国 サン・ピエトロ大聖堂

バチカン市国 サン・ピエトロ大聖堂

一般的にはカトリックといわれますが、正式にはローマカトリックといいます。

ローマ教皇を頂点とした、世界最多の約12億人の信者を持つ世界最大のキリスト教組織、カトリック。世界遺産にも登録されている世界最小の国、バチカン市国はカトリック教会のもつ国土であり、ローマ教皇によって統治されています。

IMG_6329カトリックはプロテスタントのように、個々の自由の信仰にまかせるのではなく、教会が最大の権限を持つというのが特徴。プロテスタントでは皆が平等なので誰かが権限を持つということはありません。またカトリックにおける聖職者のしくみは少し複雑で、上の画像のようにピラミッド型の階級組織となっています。上にいる者ほど権限が強く、そのトップがローマ教皇というわけです。

しかしこのような階級組織や、それによって教会が力を持ちすぎたことが原因で16世紀、ヨーロッパで宗教改革が起きました。そしてこのときに「神のもとでは皆平等である」とカトリックから離れていったのが今日のプロテスタント。プロテスタント教会はそこからも更にたくさんの教派へと分かれていきますが、カトリック教会は1つしかありません。そういったことからカトリックは一体感に重きをおく教派ともいえます。

ただ会社にも階級組織があるように、カトリックほど大きな宗教組織となると皆同じ者として扱うことは難しくなってくるのも事実です。カトリック教徒ではこのしくみに不満を持つ者はいません。不満がある者は自らプロテスタント教会に移っていくからです。しかし、現在のカトリックは根本的な教義からは外れない程度に時代のニーズに合わせて変化しており、中世のように教会が権限を振りかざすような態度はなくなりました。他宗教にも寛容な姿勢を見せています。特に第2バチカン公会議以降は比較的柔軟な考えに変わったといわれています。

補足説明

IMG_6334第2バチカン公会議(1962年~1965年)は、ローマ教皇ヨハネ23世のもとで開かれ、後を継いだパウロ6世によって遂行されたカトリック教会の公会議である。この会議では、公会議史上初めて世界五大陸から参加者が集まり、まさに普遍公会議というにふさわしいものとなった。教会の現代化をテーマに多くの議論がなされ、以後の教会の刷新の原動力となるなど、第2バチカン公会議は20世紀のカトリック教会において最も重要な出来事であり、現代に至るまで大きな影響力をもっている。ーWikipedia

 

ローマ教皇

第246代ローマ法王 ヨハネ・パウロ2世

ヨハネ・パウロ2世

イエス・キリストは生前、十二使徒の1人であるペトロに鍵を託しました。それは死後の楽園、新しいエルサレムに行くための鍵であり、その鍵を受け継ぐ後継者がローマ教皇です。目に見える鍵があるわけではないのですが、このことはしっかりと聖書にも書かれています。

マタイ 16:17-19
―これに答えて、イエスはペトロに仰せになった。「〜(省略)わたしはこの岩の上に、わたしの教会を建てる。陰府の国の門もこれに勝つことはできない。あなたに天の国の鍵を授ける。あなたが地上でつなぐことは、すべて天でもつながれ、あなたが地上で解くことは、すべて天上でも解かれる。」

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この意味は、イエスはペトロだけに死後の楽園の鍵を渡したのではなく、それぞれの教会に鍵を渡したのだと解釈してください(ただし色んな解釈の仕方があります…)。しかしペトロがその言葉をイエスから直接授かっため、カトリックでは伝統的にペトロの後継者をローマ教皇として定めているのです。

こぼれ話
十二使徒ペトロの本名はシモンといいます。ペトロはギリシャ語で「岩=教会の礎石」という意味で、イエスはシモンのことを特に信頼していたためシモンをペトロと呼んでいました。つまり、ペトロは十二使徒の中心人物だったと言えます。またポーランドでは “Piotr”(ピョトル)という名前の男性が非常に多いですが、これはその持つ意味からしてそう名付けたい親が多いから。私の夫も Piotr ですが、自分の名前は使徒ペトロと同じであることを誇りに思っています。

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ローマ教皇は何をしているのか?

イメージ的には日本における天皇陛下のような存在だと思ってください。ローマ教皇はカトリックの象徴であり、数多くの平和的活動や訴えを呼びかけています。決して、カトリックのトップとしてただ威張っているような存在ではありません。例えば、ポーランド出身の故ヨハネ・パウロ2世についてはウィキペディアにもこのように書かれています。

 

冷戦末期において、世界平和と戦争反対への呼びかけと、呼びかけだけにとどまらない数々の平和行動を実践し、一党独裁にあった母国ポーランドを初めとする民主化活動の精神的支柱としての役割も果たした。生命倫理などの分野でのキリスト教的道徳観の再提示を行い、また、宗教間の問題に温和な態度で臨み、他宗教や文化との対話を呼びかけたことは宗教の枠を超えて現代世界全体に大きな影響を与え、多くの信者・宗教関係者から尊敬されている。」— Wikipedia

 

現在のローマ教皇は使徒ペトロから数えて266代目。アルゼンチン出身フランシスコ教皇が2013年から就任しています。ヨハネ・パウロ2世は264代目のローマ教皇でした。私の夫の実家や親戚の家にはヨハネ・パウロ2世の写真が飾ってありますが、これはポーランド家庭ではごく一般的な光景です。もし皆さんがポーランドに訪れれば、至る所でヨハネ・パウロ2世の写真や絵、銅像を見かけることでしょう。

※日本ではローマ法王という場合もありますが、正式にはローマ教皇といいます。

 

カトリックの考え方

カトリックは客観的に見ると男女関係に厳しい宗教かもしれません。

離婚は認めない(再婚は死別の場合のみ認められる)、婚前交渉は禁止同性愛は認めない、というのは基本。厳密に言うと、同性愛という考え自体が罪だとはいいませんが、それは人として異常な傾向であって本来あるべきではないとしています。このような教義を貫くカトリックは、特に同性愛や両性愛など性に対しての意見がオープンになってきた現代、そういった性的少数者やそれらを支持する人々からは非難されているようです。それに対して、柔軟な考えを持つのがプロテスタント。こういった決まりに納得がいかず、カトリックを離れプロテスタント派になる人もいますが、逆にプロテスタント派の人々がカトリックになることも珍しいことではありません。日本では、後者が多いそうです。

ただ、カトリックの同性愛の見解については一般的にかなり誤解されている状態。詳しくは関連記事の「7. 教会組織は悪なのか?」をご覧ください。

なぜキリスト教徒はイエスを信じるのか 後編

2015.10.31

 

またカトリックはプロテスタント派よりという意識に敏感だと感じます。例えば、夫と付き合いだした頃の彼のある発言…当初の私にはビックリでした。

 

私の旦那
結婚した男女は、その後もお互いにとって常に魅力的でなくてはならない。もしそれを怠ったのならそれは罪。家事を手伝わないのも罪、そもそも良い夫として、妻として心がけないのが罪。
……。何でもかんでも罪にして、これじゃ自由がないとは思わないの?神様はそんなに心が狭いの?

 

そこまで罪意識……

なんとカトリックでは、ちょっとした口ゲンカ、食べ過ぎ、酒の飲み過ぎなど日常のささいな過ちも罪になりえるのです。正直、最初は受け入れることができませんでした。(罪と感じる行いには個人差があり、当人がそれを罪と思わないのであれば罪意識は当然ありません)

しかし、そのような過ちを犯せること自体が自由であって、私たちはその自由により神にこたえることができるのです。

7つの秘跡

7つの秘跡

そして神は、私たちが罪を犯さずに生きていくのがどれだけ困難であるかを知っています。その為に最初の秘跡、洗礼の後にも6つの秘跡を与えました。カトリックでは、これらの秘跡を神からの恵みとしています。またイエスが誕生してからは罪を犯したとしても、悔い改め(懺悔)ることによってすべての罪は赦されるとしました。よく勘違いされますが、懺悔は罪を犯した罰としてするのではありません。罪に対して反省するためであり、またそれを告白することによって当人の気持ちも楽になるのです。

補足説明
すべての罪は赦される、と書きましたが、犯した罪の度合いによってはまさしく「神のみぞ知る」ところ。最も重い罪はどんな理由があるにせよ、中絶と自殺です。中絶は、胎児は意思表示も抵抗をすることも全くできないまま堕ろされることになるので殺人より重い罪とされ、この中絶を重い罪とするカトリック教会は、教会外部から賛否両論を呼んでいます。また自殺の場合、自殺をしてしまってからでは赦しを請うことも反省することもできません。しかしこれらの重い罪を犯した者が地獄に行くかどうかは神が決めること。ローマ教皇も「誰が天国に行くか地獄に落ちるかは私の判断することではない」と述べてます。

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もう一つ、私が当初理解出来なかったことに隣人愛というのがあります。

聖書には例え相手が罪人であろうと、その人を赦(ゆる)し愛するべきだと教えていますが、いったい誰が殺人犯に温かみを持って接することが出来るでしょうか?ふつうであれば忌み嫌い、近寄りたくもないはずです。そこでその疑問を神父さんにぶつけてみたところ、「罪人ですら赦すことが出来ずに、どうして神が人を愛することができるだろうか」という答えが返ってきました。

確かに、それもそうですね…。

補足説明
すべて神父さんから直接聞いて、教えてもらったことです。知ったかぶったような表現になってしまったので、念のために補足しておきます…。

 

婚姻の無効と例外の再婚

カトリック教会は絶対に離婚を認めませんが、婚姻の無効例外の再婚を認めるケースがあります。
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まず婚姻の無効についてですが、これは、相手がよっぽどのウソをついており、それが原因で「結婚はなかったことにしたい」ということになったとき、そのよっぽどの理由を教会側が認めたときに成立する、特別なルールです。離婚と同義ではなく、あくまでも「結婚をしたときにさかのぼって、婚姻はなかったことにする」という意味。これを簡単に認めてしまうと「婚姻の無効」の乱用が考えられるので、相当なレベルじゃないと認めてはもらえません。

カトリックでは、本人たちの自由意志に基づいて結婚をした場合、99.9%婚姻の解消はできないと思ってもいいほどです。ただ万が一のケースに備えて、こうした救済措置が用意してあります。このことについて、もう少し詳しく知りたいという方は、関連記事の「6. 神父さんとのインタビュー」をご覧下さい。

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例外の再婚は、死別で配偶者と別れた場合のみ適用されます。

カトリックでは離婚という概念はないので、離婚をして再婚するわけではないことに注意。もちろん教会から再婚を薦めるようなことはありませんし、やはり1人の配偶者に生涯をささげるべきだと考えます。ただ、私は当初この例外があることに納得がいきませんでした。「もし自分が先に死んで主人(奥さん)が再婚したら、死後再会したときの自分の立ち位置はどうなるんだ!結局この世の人とはこの世だけの付き合いなのか?」と。

その答えは、次の項目をご覧下さい。

 

死後はどのような場所か

キリスト教死後のイメージ

キリスト教死後のイメージ

正直なところ、死後に一体何が起きるかは分かりません。でも聖書にはヒントがいくつか書いてあります。

カトリックのいう天国とは「永遠の幸福に満ちているところ」。白い服を来た天使がたくさんいて自分も自由に飛び回れて、綺麗なお花畑が一面にある、なんていうイメージは私たちのステレオタイプが作り出した天国なので、それはまた別の話だと思ってください。では、カトリックは天国に対してどんなイメージを持っているのかというと、私たちには

想像すらできない

だから、分からないということです。じゃあオチがないじゃないか、となるでしょうが、そこで前項目の「例外の再婚」について触れていきます。

私たちが結婚するのは「幸せになるため/なりたいから」ですよね。でも天国は「永遠の幸福で満ちている」場所なので、幸せになるために誰かと寄り添う必要はもうないのです。永遠の幸福には、悲しみも妬みも一切ありません。神は、この世は結婚という制度があり、家族をつくることを幸せとする世界としましたが、天国はそうではないということです。その証拠に、カトリックでの結婚式ではこのような誓いを述べます。
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新郎(新婦)となる私は、新婦(新郎)となるあなたを妻(夫)とし、良いときも悪いときも、富めるときも貧しきときも、病めるときも健やかなるときも、死がふたりを分かつまで、愛し慈しみ貞節を守ることをここに誓います。

 

聖書によって確実に言えることは、

「死」は神によって意図的につくられた別れであり、永遠の幸福に満ちた天国というのは存在するということ。その幸福は「愛」であって、それ以上のことはこの世の私たちには想像もできません。私たちが今できることは、それが真実であることを信じ、神の存在を疑わずに悔い改めながら今を生きることです。

そして前項目の「死別の再婚」については上記の理由によって認められるともいえますが、もっと現実的な理由があります。それはもし、子を持つ夫婦のどちらかが若くして夫や妻を亡くしたとき、その子どもが幼ければ幼いほど一人で子どもを育てていくことが困難だから。そのため、カトリック教会では再婚を認めているといっていいでしょう。子どもが成人してから夫や妻に先立たれた場合で再婚する人はあまりいません。

 

教会はどういう場所か

ビィドゴシチュの教会

ビィドゴシチュの教会

キリスト教文化のヨーロッパにおいて、たまにこんな意見が聞こえます。
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教会にお金をかける必要はない。教会は見た目なんかで決まらないし、祈る場所であることが最大の目的だろう。
それに、政府は教会修復に協力するべきじゃない。

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本当にそうでしょうか?

私はプロテスタント教会も多く見てきましたが、プロテスタント教会の内部は必要最小限といった具合で、カトリック教会と比べて装飾が圧倒的に少なく、なんだか冷たいような印象をよく受けました。外見こそ立派な教会は多いのですが、中に入るとやっぱり冷たいのです。しかし、プロテスタントという教派そのものが教会の内部や装飾にはあまりこだわらないグループ。彼らはあえて、教会自体にあまりお金をかけません。

しかしカトリック教会では考えそのものが違います。分かりやすく言うと、プロテスタント教徒にとっての教会は、祈りの場所、カトリック教徒にとっての教会は神の家神の体の一部

クラクフの聖マリア教会

クラクフの聖マリア教会

写真だとあまりすごみが伝わってこないのですが、ポーランドの教会の多くは全面的に黒と金の繊細な装飾で施されています。写真は有名な聖マリア教会ですが、ここだけに限った話ではありません。ポーランドのカトリック教会は小規模にしても、やはり内部に入ると神に対する尊厳をその豪華な内装から感じることが出来ます。またその素晴らしい装飾こそが、信者にとって教会がどれほど大切な場所であるのかを物語っているのです。その後、ウクライナやグルジア、アルメニアなどの正教会にも訪れましたが、これもカトリック教会と同じ尊厳さを感じることができました。

補足説明
正教会は ローマカトリックとは異なりますが、ローマカトリックに1番近いといわれる教派であり、ローマを付けずにカトリックとだけいう場合はこれらの東方正教会(オーソドックス)も含むことがあります。ただし、このホームページで使われる「カトリック」はローマカトリックの略称とします。

自分の家や場所、所有物にはこだわりを持ちたい人は多いと思いますが、カトリック教会にとって教会が “神の家” “神の体の一部” ならば装飾などにお金をかけてしまうのは当然なのかもしれません。
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また、ヨーロッパには「政府は教会修復に膨大な金額を投じているが、やめるべきだ」と主張する人が大勢います。では、もし政府が古い歴史のある教会などを金銭面でサポートしなかったらその教会はどうなるでしょう?

ヨーロッパの観光名所の大多数は教会や宗教関連施設が占めています。でももし、政府が教会の修復を援助しなくなったら、誰がそんな古くてボロボロの教会を見に行くのでしょう。結局、教会というのは、 ヨーロッパの観光収入を担っている部分もあります。しかし、それ以前にキリスト教文化は現代のヨーロッパを作り上げた基礎ともいえる部分。残念ながら熱心な信者の数は減りつつありますが、美しい教会を自国に持つヨーロッパ人はキリスト教信者でないにしてもあるにしても、その文化には誇りを持つべきではないのかな、と私は思います。

 

最後までお読み頂きありがとうございます☆
あやか
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